1970(昭和45)年の今日(7月18日)、東京都杉並区にある立正高校で体育授業中の生徒が突然目の痛みや頭痛等を訴えて倒れ、40数人が病院へ運ばれた。また、東京一円で多数の人が目やのどの痛みを感じた。翌日の朝刊各紙は大きな見出しで日本における初めての「光化学スモッグ」発生を伝えた。
7月18日の事件を「光化学スモッグ」であると断定した根拠は、この日の国設東京測定所(当時の厚生省が設置)のオキシダント濃度が著しく高濃度だったこと、また二酸化窒素濃度のピークのあとオキシダント濃度が上昇し始め、オキシダント濃度がピークに達すると、二酸化窒素濃度は最小になるという典型的光化学スモッグ時の反応パターンが認められたことからであり、この日の人体被害は都内で5200人、埼玉県で407人だったが眼の刺激のみならず呼吸困難を訴えた人もあったという。
光化学スモッグは、工場や自動車の排気ガスなどに含まれる窒素酸化物や炭化水素(揮発性有機化合物)が、日光に含まれる紫外線の影響で光化学反応をおこし、それにより生成する有害な光化学オキシダント(オゾンやアルデヒドなど)が空中に停留しスモッグ状になることをいう。光化学スモッグが発生すると、人の健康に悪影響を及ぼすため、大気汚染として問題となる。
戦後高度経済成長を続けてきた日本で、1970(昭和45)年という年は、公害・環境問題が一気に噴出した年である。ふと立ち止まり周囲を眺めると「開発」という名の破壊の後は、ヘドロに汚染され悪臭が漂う川や海、人体を蝕む有害物質・・と無残なものであった。この年、新聞・テレビなどマスメディアも、来る日も来る日これらの問題を報道し、「光化学スモッグ」「鉛中毒」「カドミュウム米」などおどろおどろしい言葉が次々に紙面に登場。そして、たとえば新聞の見出しを見ると「公害は重大課題、全国知事会で首相強調」(5月)、野党各党も「公害闘争を推進」(6月)、学生運動も「大学紛争から反公害へ、看板塗り替え」(7月)と足並みを揃え、新聞社は、全国立体調査を行い「公害日本を覆う、各地で住民運動の高まり」といった記事をまとめ、「この汚染、この荒廃、どうする公害列島」の大見出しで、見開きの特集を組む。中には、「公害を許すな」のタイトルで特設面を儲ける新聞まで現れた。「自然を返せ」「命を守れ」・・といった人々の怒りが、11月24日召集の第64臨時国会において公害対策関連14法案を成立させた。この国会は別名公害国会の異名もある。そして、12月28日、佐藤首相が環境保護庁(仮称)の新設を裁定。翌1971(昭和46)年1月8日環境庁発足7月1日環境庁(現環境省)の新設を閣議了解 され7月1日、環境庁が発足している。
このような、公害・環境問題は突然に起こったものではなく、じわじわと悪化していた公害が爆発的に表面化したものである。政府企業によって押さえ込まれていた熊本の水俣病問題、も1967年新潟の第二水俣病が表面化公害訴訟が起こったことで、再び表面化。又、三重の四日市石油コンビナートによる四日市喘息も訴訟に発展、以前からくすぶっていた、富山県、神通川流域のイタイイタイ病もカドミュウムが原因と判明したのもこの頃である。そこに、この年、5月東京・牛込の交差点付近で起こった車の排ガスによる「鉛中毒」事件が問題に、そして、この年の今日(7月18日)の出来事も同じ排ガスによると見られる「光化学スモック」が発生し、杉並の女子高校生がバタバタと倒れることになったのである。このようなことから、爆発的に公害・環境問題が噴出したのである。
この「光化学スモック」が初めて観測されたのは、1945(昭和20)年、アメリカのロサンゼルスであった。1945(昭和20)年と言えば、日本が終戦を迎えた年である。敗戦で何もかも失った日本が、一日も早く立ち直ろうと経済発展を目指しがむしゃらに働いてきた。そして、25年を経過したとき、日本で初めて「光化学スモッグ」が発生し、被害者が出たことになる。私は、約15年くらい前に、アメリカのロサンゼルス地域へ仕事で、2度ほど視察に行ったことがある。ロサンゼルスの車の量はものすごく、空は、スモッグで覆われて、太陽は全く見えなかった。いまや、国土の狭い日本の国も車両で溢れている。日本で「光化学スモック」は、1970年代をピークに、80年代以降は沈静化し、人々の記憶から遠ざかっていたがその公害が、ここ数年、関東地方を中心に再発しているという。最近の異常気象を引き起こしている地球温暖化にも影響を与えている問題であり、先進国は、温暖化防止のために取り組んでいるが、足並みは揃わない。又、後進国は、先進国が歩んできたと同じ道を今歩もうとしている。なかなか難しい問題ではある。
兎に角。光化学スモッグの発生は日ざしが強くて風の弱い日に特に発生しやすく、夏に多い。以下参考に記載の「光化学スモッグ」絶対に知っておきましょう! などでは、「光化学スモッグ」の初歩的な知識その他対策などがよくわかる。一度覗いておくのも役にたつかも・・・。
(東京・牛込柳町では、1970年5月、自動車排ガス中に含まれる鉛による鉛汚染が問題に。都と警視庁は11月から、マスク姿の警官を動員して、排ガスの共同点検を始めた。「都民は将来、ガスマスクが必需品に」と、当時の新聞に。・・・画像、週刊20世紀・朝日クロニクル1970年より。)
参考:
「光化学スモッグ」絶対に知っておきましょう!
http://allabout.co.jp/children/childcare/closeup/CU20040701A/
光化学スモッグ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%8C%96%E5%AD%A6%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%83%83%E3%82%B0
独立行政法・ 環境再生保全気候ホームページ
http://www.erca.go.jp/taiki/index.html
厚生白書(昭和46年版)
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197101/b0177.html
光化学スモッグ発令状況(大阪府環境情報センター 環境情報室 情報システム課)
https://www.epcc.pref.osaka.jp/kanshi/smog/index.html
環境省大気汚染物質広域監視システム「そらまめ君」
http://w-soramame.nies.go.jp/DataMap.php?BlockID=06
環境庁○光化学スモッグ注意報 ・東京都の光化学スモッグ注意報等の発令状況
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/ox/bunpu/smog.htm
7月18日の事件を「光化学スモッグ」であると断定した根拠は、この日の国設東京測定所(当時の厚生省が設置)のオキシダント濃度が著しく高濃度だったこと、また二酸化窒素濃度のピークのあとオキシダント濃度が上昇し始め、オキシダント濃度がピークに達すると、二酸化窒素濃度は最小になるという典型的光化学スモッグ時の反応パターンが認められたことからであり、この日の人体被害は都内で5200人、埼玉県で407人だったが眼の刺激のみならず呼吸困難を訴えた人もあったという。
光化学スモッグは、工場や自動車の排気ガスなどに含まれる窒素酸化物や炭化水素(揮発性有機化合物)が、日光に含まれる紫外線の影響で光化学反応をおこし、それにより生成する有害な光化学オキシダント(オゾンやアルデヒドなど)が空中に停留しスモッグ状になることをいう。光化学スモッグが発生すると、人の健康に悪影響を及ぼすため、大気汚染として問題となる。
戦後高度経済成長を続けてきた日本で、1970(昭和45)年という年は、公害・環境問題が一気に噴出した年である。ふと立ち止まり周囲を眺めると「開発」という名の破壊の後は、ヘドロに汚染され悪臭が漂う川や海、人体を蝕む有害物質・・と無残なものであった。この年、新聞・テレビなどマスメディアも、来る日も来る日これらの問題を報道し、「光化学スモッグ」「鉛中毒」「カドミュウム米」などおどろおどろしい言葉が次々に紙面に登場。そして、たとえば新聞の見出しを見ると「公害は重大課題、全国知事会で首相強調」(5月)、野党各党も「公害闘争を推進」(6月)、学生運動も「大学紛争から反公害へ、看板塗り替え」(7月)と足並みを揃え、新聞社は、全国立体調査を行い「公害日本を覆う、各地で住民運動の高まり」といった記事をまとめ、「この汚染、この荒廃、どうする公害列島」の大見出しで、見開きの特集を組む。中には、「公害を許すな」のタイトルで特設面を儲ける新聞まで現れた。「自然を返せ」「命を守れ」・・といった人々の怒りが、11月24日召集の第64臨時国会において公害対策関連14法案を成立させた。この国会は別名公害国会の異名もある。そして、12月28日、佐藤首相が環境保護庁(仮称)の新設を裁定。翌1971(昭和46)年1月8日環境庁発足7月1日環境庁(現環境省)の新設を閣議了解 され7月1日、環境庁が発足している。
このような、公害・環境問題は突然に起こったものではなく、じわじわと悪化していた公害が爆発的に表面化したものである。政府企業によって押さえ込まれていた熊本の水俣病問題、も1967年新潟の第二水俣病が表面化公害訴訟が起こったことで、再び表面化。又、三重の四日市石油コンビナートによる四日市喘息も訴訟に発展、以前からくすぶっていた、富山県、神通川流域のイタイイタイ病もカドミュウムが原因と判明したのもこの頃である。そこに、この年、5月東京・牛込の交差点付近で起こった車の排ガスによる「鉛中毒」事件が問題に、そして、この年の今日(7月18日)の出来事も同じ排ガスによると見られる「光化学スモック」が発生し、杉並の女子高校生がバタバタと倒れることになったのである。このようなことから、爆発的に公害・環境問題が噴出したのである。
この「光化学スモック」が初めて観測されたのは、1945(昭和20)年、アメリカのロサンゼルスであった。1945(昭和20)年と言えば、日本が終戦を迎えた年である。敗戦で何もかも失った日本が、一日も早く立ち直ろうと経済発展を目指しがむしゃらに働いてきた。そして、25年を経過したとき、日本で初めて「光化学スモッグ」が発生し、被害者が出たことになる。私は、約15年くらい前に、アメリカのロサンゼルス地域へ仕事で、2度ほど視察に行ったことがある。ロサンゼルスの車の量はものすごく、空は、スモッグで覆われて、太陽は全く見えなかった。いまや、国土の狭い日本の国も車両で溢れている。日本で「光化学スモック」は、1970年代をピークに、80年代以降は沈静化し、人々の記憶から遠ざかっていたがその公害が、ここ数年、関東地方を中心に再発しているという。最近の異常気象を引き起こしている地球温暖化にも影響を与えている問題であり、先進国は、温暖化防止のために取り組んでいるが、足並みは揃わない。又、後進国は、先進国が歩んできたと同じ道を今歩もうとしている。なかなか難しい問題ではある。
兎に角。光化学スモッグの発生は日ざしが強くて風の弱い日に特に発生しやすく、夏に多い。以下参考に記載の「光化学スモッグ」絶対に知っておきましょう! などでは、「光化学スモッグ」の初歩的な知識その他対策などがよくわかる。一度覗いておくのも役にたつかも・・・。
(東京・牛込柳町では、1970年5月、自動車排ガス中に含まれる鉛による鉛汚染が問題に。都と警視庁は11月から、マスク姿の警官を動員して、排ガスの共同点検を始めた。「都民は将来、ガスマスクが必需品に」と、当時の新聞に。・・・画像、週刊20世紀・朝日クロニクル1970年より。)
参考:
「光化学スモッグ」絶対に知っておきましょう!
http://allabout.co.jp/children/childcare/closeup/CU20040701A/
光化学スモッグ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%8C%96%E5%AD%A6%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%83%83%E3%82%B0
独立行政法・ 環境再生保全気候ホームページ
http://www.erca.go.jp/taiki/index.html
厚生白書(昭和46年版)
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197101/b0177.html
光化学スモッグ発令状況(大阪府環境情報センター 環境情報室 情報システム課)
https://www.epcc.pref.osaka.jp/kanshi/smog/index.html
環境省大気汚染物質広域監視システム「そらまめ君」
http://w-soramame.nies.go.jp/DataMap.php?BlockID=06
環境庁○光化学スモッグ注意報 ・東京都の光化学スモッグ注意報等の発令状況
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/ox/bunpu/smog.htm