今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

外国人力士が初めて優勝した日

2006-07-16 | 歴史
今日(7月16日)は、「外国人力士の日」
1972(昭和47)年の今日(7月16日)、ハワイ・マウイ島出身の高見山大五郎(当時28歳。米国名はジェシー・クハウルア)が、大相撲名古屋場所で旭国を破り、相撲300年の歴史上、外国人力士として初めて優勝した。1964(昭和39)年に来日して、8年余り。故郷マウイ島も沸きかえった。
見山の名前の由来は、三重県と奈良県の県境にある高見山からと言われているようで、初代高砂(前田山 英五郎)、また優勝制度確立後初の優勝力士が名乗るなど、高砂部屋で由緒あるしこ名だそうである。
高見山は、1964(昭和39)年2月に砂に5年間衣食住を保障するといってスカウトされ3月初土俵。1967(昭和42)年3月新十両に昇進し、初の外国出身外国籍の関取となり、その翌1968(昭和43)年1月新入幕、史上初の外国人幕内力士となり3月には佐田の山に引導を渡す金星、9月には柏戸からも金星を挙げる。そして、1969(昭和44)年11月には、外国人では初の小結に昇進するなど目覚しい活躍をしている。しかし、その後小結と平幕の往復が続く、1971(昭和46)年師匠(前田山)が亡くなると廃業も考えたが、師匠夫人ら周囲に励まされて現役続行を決意し、その翌1972(昭和47)年の今日(7月16日)、13勝2敗で史上初の外国人による幕内最高優勝を果たした。表彰式では当時の米国大統領リチャード・ニクソンの祝電が読み上げられた。表彰式に外国語(英語)スピーチが流れたのも初めてのことである。翌場所には外国人で初の関脇、その後大関・横綱を期待させるような場面も数度あったが足腰の弱さから、最高位は関脇止まりとなったが、16年、97場所にもわたる幕内在位は現在でも大相撲記録であり、幕内通算出場 1430回 の記録も持っている。年寄名跡の襲名を希望して1980(昭和55)年に日本国籍を取得、日本名渡辺大五郎。
ジェシーこと見山 と言えば、身長192cm体重205kgの巨体と愛嬌のあるキャラクターで、テレビでの、丸八真綿や、日本船舶振興会(日本財団)、永谷園 、松下電器産業、富士通
などのCMでも人気を集めた。親方が相撲に厳しく、1966(昭和41)年に、扁桃腺を手術して、普通は1週間くらい休むところを、すぐに稽古しろといわれ、相撲をとり、それがもとで、声帯がおかしくなり、かすれ声になってしまったというが、又、その声がおもしろいといって、レコードまで出している。→スーパー・ジェシー
そういえば、そんな、ジェシーこと見山 を、私が始めて見たのは、私が結婚式の当日、式、披露宴も終り、翌日からの新婚旅行に行くために、その日の夜は大阪の新阪急ホテルに泊まった時のことである。新十両に昇進したところであったと思うが、丁度、大阪場所に来ていて、大勢の仲間の力士達と一緒に歩いているところを見た。先ず大きな体に驚いたが、その時の印象としては、その後のCMなどで見せる愛嬌のある顔とは異なり、色の黒いちょっと恐い顔をした人だな~という感じであった。まだ日本に馴れず、愛嬌どころではなかったのかもしれないな~?
高見山は、東関親方となって後、小錦をスカウトし、を横綱まで育てて大相撲の国際化に貢献したとともに、その後の相撲界に外国人力士活躍の道を開いた功績は大きい。そして、いまや、日本の伝統相撲の世界では、モンゴル・ブラジル・中国・韓国・ロシア・トンガ・グルジア・チェコ・ブルガリア・カザフスタン・エストニア・ハンガリー といった国からの外国人力士がひしめいており、幕内 だけでも、13名もの外国人力士が活躍しており、中でも、モンゴル出身力士が東横綱 の朝青龍(あさしょうりゅう) や西大関 の白鵬(はくほう) など計7名もいる。
そして、平成11年1月場所~平成18年5月まで、計45場所での優勝は、武蔵丸9回、曙2回、平成14年11月、朝青龍が初優勝してから16回、今年・平成18年の6月 白鵬が優勝、1回と、外人力士が28度優勝しており、平成14年11月~平成18年5月までの22場所中17回はモンゴル出身力士で占められている。
かって、老若男女を問わず日本人にもっとも愛されてきた日本の伝統相撲も、若乃花、貴乃花が去って後、その人気に翳りが出てきたといわれている。
思い起こせば、戦後低迷していた時期もある相撲界も、昭和32年から35年までは、栃錦、若乃花(初代、若貴の叔父)で人気を二分する栃若時代が続いた。これが戦後の相撲人気、第一次黄金時代である。昭和36年から45年くらいまで、大鵬と柏戸が活躍して、柏鵬時代を築いた。第二期黄金時代である。昭和45年から46年にかけて、北玉時代、つまり、北の富士と玉の海の両横綱が支えた。しかし、玉の海は、気の毒なことに、盲腸炎をこじらせて、強さの頂点においてすぐに他界してしまった。その後に続いたのが大学出身の輪島と北の湖であるが、北の湖は余り強すぎて、それに少々ふてぶてしい態度なので、余り人気が出ない。それを補ったのが、大関にしては弱かったが、抜群の人気を誇っていたのが貴乃花(今の貴乃花親方の父)であった。
そして、昭和56年~平成2年まで小兵横綱の千代の富士全盛期がやってくる。小さな横綱が大きな力士をやっつける相撲ならでは魅力倍増である。、その頃に幕下から十両へと登ってきたのが若乃花、貴乃花の兄弟である。そして、平成3年から10年くらいまで若貴時代が続いた。これが第三の黄金時代といえる。相撲人気は最高に達したのであるが・・・。若貴の2人が退いてから、まだ、日本人の横綱が誕生せず、大関もだらしない。その人気をなんとか、支えているのが外国出身力士だ。 そのうち、朝青龍はじめ外国人力士に横綱・大関の地位を独占されそうである。かっては、相撲ファンであった私も、日本の力士の余りのふがいなさに、今では、殆ど相撲を見ることもなくなったし、そのうち、番付表結果すら見なくなるだろうと思う。なにも、今の横綱 朝青龍や、大関白鵬が嫌いと言うわけではない。二人とも良い関取である。 朝青龍も今年の正月のTV番組で言っていたが、日本の相撲界のためにも早く日本人の横綱が誕生してほしいと・・。日本人ではない外国人力士が、日本の相撲界の将来を心配しているのである。今の日本人力士に一番欠如しているのは、ハングリー精神だろう。日本に出稼ぎに来ている外国人力士達は、国の家族のために必至に頑張っている。今の日本では、3Kとも言われる、相撲界で頑張ろうという若者はいなくなったのかもしれない。もし、体が大きくて運動神経が発達しているなら、今流行のサッカーや野球の世界へ行けば、相撲界より遥かに多い収入が得られ、大人達だけでなくちびっ子までにファンが出来るだろう。それと、外国人力士、特に、ハワイ出身の超大型の外人力士が来てからだろうか、小さい身体では通用しないと思っての対抗上か、今の力士は体が大きい・・・というより、太っている感じがする。先にも述べたような時代に活躍していた横綱達の多くは締まった身体をしていたように思う。もう、日本の相撲は、日本の伝統相撲から、世界のSUMOUの時代になったと思う。私などは、伝統相撲のファンだったので、世界のスポーツSUMOUには興味がない。世界のスポーツSUMOUにするのであれば、部屋に何人などという外人枠をつくらずに、いくらでも相撲界に入れればよい。いくらでも素質のある人たちが世界中から集まるだろう。重量制のない相撲では、幕内の殆どは外国人になるであろう。外国人観光客向けには本当に良いスポーツになることと思う。
(画像は、先代高砂親方未亡人の好美さんに祝福される高見山。アサヒクロニクル・週刊20世紀より)
参考:
日本相撲協会公式サイト
http://www.sumo.or.jp/
高見山大五郎-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%99%E8%A6%8B%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E4%BA%94%E9%83%8E
関取名鑑(高見山 大五郎)
http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19680101.htm
お相撲さんのレコード
http://homepage1.nifty.com/igex/sumo.htm