7月24日「河童忌,我鬼忌,龍之介忌」
1927(昭和2)年7月24日、小説家の芥川龍之介が多量の睡眠薬を飲んで自殺した。俳号、我鬼から「我鬼忌」。代表作の『河童』から、「河童忌」と名附けられた。
芥川 龍之介は、1892(明治25)年3月1日東京都に生まれる。名前の由来は辰年辰月辰日の辰刻に生まれたため、龍之介と名づけられたといわれている。
生後7ヵ月後ごろに母が発狂したため、母の実家である芥川家に預けられる。東京帝国大学進学後、第三次『新思潮』を刊行し、翌年「羅生門」を発表。「鼻」で夏目漱石に認められ、文壇に入る。王朝もの、近世初期のキリシタン文学、江戸時代の人物・事件、明治の文明開化期など、さまざまな時代の歴史的文献に題材をとり、スタイルや文体を使い分けたたくさんの短編小説を書いた。
1921(大正10年)には中国を旅行をするが、この旅行後から次第に心身衰えはじめ、神経衰弱、腸カタルなどを病み、1923(大正12)年には湯河原へ湯治に赴く。そして、自身の創作にも影響を及ぼしはじめ作品数も減ってゆくが、このころから私小説的な傾向の作品が現れ、この流れは晩年の「歯車」「河童」などへとつながっていく。翌・1926(昭和元)年、胃潰瘍・神経衰弱・不眠症などが高じて再び湯河原で療養。1927年1月、義兄の西川豊が放火の嫌疑をかけられて自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。4月より「文芸的な、余りに文芸的な」で谷崎潤一郎と文学史上有名な論争を繰り広げる。互いに一歩も引かず論を戦わせた芥川と谷崎だが、格別仲が悪かったわけではなく、むしろ親交は厚かったという。
1927(昭和2)年の夏は異常な暑さだったという。7月22日にキリストにみずからを投影した『西方の人』の続編『続西方の人』を脱稿できなかった芥川は、翌日深夜それを仕上げた後、24日となった午前2時ごろ致死量の薬物を飲み自らの命を絶った。枕頭には聖書が残され、又、絶筆『続西方の人』も「クリストの一生」は「天上から地上へ登るために無残にも折れた梯子である」という誤記(地上から天上への誤り)ともとれるくだりが、なにやら意味深長な表現と見えてくる。保険金詐欺の容疑を受けた義兄の自殺と遺族の世話、友人宇野浩二の発狂、精神病の母からの遺伝の恐怖、精神衰弱からくる不眠症、「円本」宣伝の講演旅行の疲れ、等々が重なって芥川を苦しめていたが、遺書『或旧友へ送る手記』では、自殺の動機を「唯ぼんやりとした不安」であるとしている。新聞各紙は一作家の死を異例の大きさで扱い、大阪日日新聞は「大きな時代の影」と報じたという。1916(大正5)年、『鼻』が夏目漱石に賞賛されて以来、文壇の花形となった作家芥川の死は、まさに、大正時代の終焉を象徴する事件と受け止められていたようだ。(アサヒクロニクル・週刊20世紀より)
その「ぼんやりとした不安」には、マルクス主義と言う「科学的思想」の台頭の前に敗れ去るブルジョワ文学の行く末を感じ、知識人の危機意識の漂白を見たものも多かったという。明敏な知性によって導かれた文学世界の担い手であった芥川が最後の力を振り絞った『河童』身辺小説の『歯車』、そして、執筆活動とかかわってきた半生を描く『或る阿呆の一生』などには、鬼気迫る不安や恐怖、そして、困憊がにじんでいる。死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川賞」を設けた。芥川賞は直木賞と並ぶ文学賞として現在まで、続いている。又、彼の作品『藪の中』は、黒澤明によって、三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬ほか 出演により映画化(タイトルは『羅生門』と改称)され、日本映画初のヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したことでよく知られている。
芥川の作品の多くは短編で、「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」など、『今昔物語』『宇治拾遺物語』などの古典から題材をとったものが多い。
芥川の作品は、初期と晩年でかなり違うと言われる。これはまた、多くの作風を試みたことを表しており、多くの支持者を持つ要因の1つでもあろう。
芥川は「蜘蛛の糸」『杜子春』など、子供向けのものも多い。
芥川は幾篇かの童話を作っているが、その処女作が仏教童話ともいうべき『蜘蛛の糸』であった。
悪業の限りをつくし、地獄へ落とされた大泥棒の陀多。人を殺し、家に火をつけることをためらわなかった男が、一匹の蜘蛛の命を無駄に奪わず済ませたことがあった。陀多の中にも、一片の慈悲の心があったのである。そのことを思い出されたお釈迦様は、血の池でもがく彼の頭上に救いの糸をお降しになるが…。『杜子春』 は、唐の都に暮らす一文無しの若者、杜子春は、春の夕方、不思議な老人と出会い仙人の道をめざす旅に出た。中国の伝記鄭還古の「杜子春伝」に材を取った芥川の童話であるが、『蜘蛛の糸』の童話は芥川自身の他の童話である『杜子春』や、『白』などに共通する「論理的な美しさ」、「明るくて暖かい人間尊重の気持ち、素直で親しみのある人道的思想」とも全く相容れぬ種類のものでむしろ「どこか澄み切らぬ、割切れない趣」を残しているが、この『蜘蛛の糸』は、生死の瀬戸際に立った場合の利己主義つまり、人間のうちに潜む本来の醜さを、人間が生きて行く為には必要であるとさえ感じさせるエゴイズムの難しい問題を提起しているが、芥川の作品には、明らかに、子供も対象とした工夫が見られる。この作品は「世界一受けたい授業」(日本テレビ系列)で「今や何十カ国で翻訳され、日本を代表する名作といっても過言では無く、同時に知っていないと日本人として恥ずかしい」と紹介されたという。私は、子供の頃お寺で、お坊さんから聞かされた記憶がある。
日本にはすばらしい童謡が沢山あるが、私は、芥川の童謡も大好きである。ほかに、『三つの宝』、『犬と笛』、『トロッコ』、『魔術』、『桃太郎』などなど・・・ところで、こんなワルい『桃太郎』のお話があったのをあなたは知っていましたか?。私も、子供の頃には、芥川の小説は、難しいという印象があって、特に好きになれなかったが、大人になって読み直してみると本当に面白い。幸い、短編ばかりなので、是非また、この機会に芥川の童話など再読して見るとよい。童話というと「子供のためのもの」と思いがちだが、童話に年齢の垣根はない。いくつになっても、良い童話は心に響くものだ。きっと新たな発見があると思うよ。
そうだ、『妙な話』・・というタイトルの短編があるが、そのタイトルの通り、不思議な話である。この短編は、声優ナレーター(アクセント所属)佐々木 健が、ブログ上で、読み聞かせをしている。全部で18分ほどなので2回に分割しているが、ネット上で、朗読を聴くのも良いと思いませんか。以下参考の「STORYTELLER BOOK ポッドキャスティング by 心尽」にあります。音声ファイルは以下にあります。
音声ファイル芥川龍之介「妙な話」(2/1)
http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/12_37bc.html
音声ファイル芥川龍之介「妙な話」(2/2)
http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/22_ea02.html
他にもボランティアグループの方たちの、『蜘蛛の糸』他芥川龍之介作品の朗読が以下にあります。
朗読作品メニュー・芥川龍之、『蜘蛛の糸』他10話。
http://hayamimi.net/~hayamimi/roudoku/menu_akutagawa.html
(画像は、日本の童話名作選芥川 龍之介「蜘蛛の糸」作:芥川 龍之介)
参考:
芥川龍之介-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E7%AB%9C%E4%B9%8B%E4%BB%8B
芥川龍之介ファンページ
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/3673/
芥川龍之介「西方の人」「続西方の人」徹底検証
http://homepage2.nifty.com/snowwolf/akutagawa.htm
菊池寛 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E5%AF%9B
大阪日日新聞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%97%A5%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E
マルクス主義 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
STORYTELLER BOOK ポッドキャスティング by 心尽・TOPページ
http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/
音のボランティア・朗読作品メニュー
http://hayamimi.net/~hayamimi/roudoku/menu.html
1927(昭和2)年7月24日、小説家の芥川龍之介が多量の睡眠薬を飲んで自殺した。俳号、我鬼から「我鬼忌」。代表作の『河童』から、「河童忌」と名附けられた。
芥川 龍之介は、1892(明治25)年3月1日東京都に生まれる。名前の由来は辰年辰月辰日の辰刻に生まれたため、龍之介と名づけられたといわれている。
生後7ヵ月後ごろに母が発狂したため、母の実家である芥川家に預けられる。東京帝国大学進学後、第三次『新思潮』を刊行し、翌年「羅生門」を発表。「鼻」で夏目漱石に認められ、文壇に入る。王朝もの、近世初期のキリシタン文学、江戸時代の人物・事件、明治の文明開化期など、さまざまな時代の歴史的文献に題材をとり、スタイルや文体を使い分けたたくさんの短編小説を書いた。
1921(大正10年)には中国を旅行をするが、この旅行後から次第に心身衰えはじめ、神経衰弱、腸カタルなどを病み、1923(大正12)年には湯河原へ湯治に赴く。そして、自身の創作にも影響を及ぼしはじめ作品数も減ってゆくが、このころから私小説的な傾向の作品が現れ、この流れは晩年の「歯車」「河童」などへとつながっていく。翌・1926(昭和元)年、胃潰瘍・神経衰弱・不眠症などが高じて再び湯河原で療養。1927年1月、義兄の西川豊が放火の嫌疑をかけられて自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。4月より「文芸的な、余りに文芸的な」で谷崎潤一郎と文学史上有名な論争を繰り広げる。互いに一歩も引かず論を戦わせた芥川と谷崎だが、格別仲が悪かったわけではなく、むしろ親交は厚かったという。
1927(昭和2)年の夏は異常な暑さだったという。7月22日にキリストにみずからを投影した『西方の人』の続編『続西方の人』を脱稿できなかった芥川は、翌日深夜それを仕上げた後、24日となった午前2時ごろ致死量の薬物を飲み自らの命を絶った。枕頭には聖書が残され、又、絶筆『続西方の人』も「クリストの一生」は「天上から地上へ登るために無残にも折れた梯子である」という誤記(地上から天上への誤り)ともとれるくだりが、なにやら意味深長な表現と見えてくる。保険金詐欺の容疑を受けた義兄の自殺と遺族の世話、友人宇野浩二の発狂、精神病の母からの遺伝の恐怖、精神衰弱からくる不眠症、「円本」宣伝の講演旅行の疲れ、等々が重なって芥川を苦しめていたが、遺書『或旧友へ送る手記』では、自殺の動機を「唯ぼんやりとした不安」であるとしている。新聞各紙は一作家の死を異例の大きさで扱い、大阪日日新聞は「大きな時代の影」と報じたという。1916(大正5)年、『鼻』が夏目漱石に賞賛されて以来、文壇の花形となった作家芥川の死は、まさに、大正時代の終焉を象徴する事件と受け止められていたようだ。(アサヒクロニクル・週刊20世紀より)
その「ぼんやりとした不安」には、マルクス主義と言う「科学的思想」の台頭の前に敗れ去るブルジョワ文学の行く末を感じ、知識人の危機意識の漂白を見たものも多かったという。明敏な知性によって導かれた文学世界の担い手であった芥川が最後の力を振り絞った『河童』身辺小説の『歯車』、そして、執筆活動とかかわってきた半生を描く『或る阿呆の一生』などには、鬼気迫る不安や恐怖、そして、困憊がにじんでいる。死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川賞」を設けた。芥川賞は直木賞と並ぶ文学賞として現在まで、続いている。又、彼の作品『藪の中』は、黒澤明によって、三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬ほか 出演により映画化(タイトルは『羅生門』と改称)され、日本映画初のヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したことでよく知られている。
芥川の作品の多くは短編で、「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」など、『今昔物語』『宇治拾遺物語』などの古典から題材をとったものが多い。
芥川の作品は、初期と晩年でかなり違うと言われる。これはまた、多くの作風を試みたことを表しており、多くの支持者を持つ要因の1つでもあろう。
芥川は「蜘蛛の糸」『杜子春』など、子供向けのものも多い。
芥川は幾篇かの童話を作っているが、その処女作が仏教童話ともいうべき『蜘蛛の糸』であった。
悪業の限りをつくし、地獄へ落とされた大泥棒の陀多。人を殺し、家に火をつけることをためらわなかった男が、一匹の蜘蛛の命を無駄に奪わず済ませたことがあった。陀多の中にも、一片の慈悲の心があったのである。そのことを思い出されたお釈迦様は、血の池でもがく彼の頭上に救いの糸をお降しになるが…。『杜子春』 は、唐の都に暮らす一文無しの若者、杜子春は、春の夕方、不思議な老人と出会い仙人の道をめざす旅に出た。中国の伝記鄭還古の「杜子春伝」に材を取った芥川の童話であるが、『蜘蛛の糸』の童話は芥川自身の他の童話である『杜子春』や、『白』などに共通する「論理的な美しさ」、「明るくて暖かい人間尊重の気持ち、素直で親しみのある人道的思想」とも全く相容れぬ種類のものでむしろ「どこか澄み切らぬ、割切れない趣」を残しているが、この『蜘蛛の糸』は、生死の瀬戸際に立った場合の利己主義つまり、人間のうちに潜む本来の醜さを、人間が生きて行く為には必要であるとさえ感じさせるエゴイズムの難しい問題を提起しているが、芥川の作品には、明らかに、子供も対象とした工夫が見られる。この作品は「世界一受けたい授業」(日本テレビ系列)で「今や何十カ国で翻訳され、日本を代表する名作といっても過言では無く、同時に知っていないと日本人として恥ずかしい」と紹介されたという。私は、子供の頃お寺で、お坊さんから聞かされた記憶がある。
日本にはすばらしい童謡が沢山あるが、私は、芥川の童謡も大好きである。ほかに、『三つの宝』、『犬と笛』、『トロッコ』、『魔術』、『桃太郎』などなど・・・ところで、こんなワルい『桃太郎』のお話があったのをあなたは知っていましたか?。私も、子供の頃には、芥川の小説は、難しいという印象があって、特に好きになれなかったが、大人になって読み直してみると本当に面白い。幸い、短編ばかりなので、是非また、この機会に芥川の童話など再読して見るとよい。童話というと「子供のためのもの」と思いがちだが、童話に年齢の垣根はない。いくつになっても、良い童話は心に響くものだ。きっと新たな発見があると思うよ。
そうだ、『妙な話』・・というタイトルの短編があるが、そのタイトルの通り、不思議な話である。この短編は、声優ナレーター(アクセント所属)佐々木 健が、ブログ上で、読み聞かせをしている。全部で18分ほどなので2回に分割しているが、ネット上で、朗読を聴くのも良いと思いませんか。以下参考の「STORYTELLER BOOK ポッドキャスティング by 心尽」にあります。音声ファイルは以下にあります。
音声ファイル芥川龍之介「妙な話」(2/1)
http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/12_37bc.html
音声ファイル芥川龍之介「妙な話」(2/2)
http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/22_ea02.html
他にもボランティアグループの方たちの、『蜘蛛の糸』他芥川龍之介作品の朗読が以下にあります。
朗読作品メニュー・芥川龍之、『蜘蛛の糸』他10話。
http://hayamimi.net/~hayamimi/roudoku/menu_akutagawa.html
(画像は、日本の童話名作選芥川 龍之介「蜘蛛の糸」作:芥川 龍之介)
参考:
芥川龍之介-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E7%AB%9C%E4%B9%8B%E4%BB%8B
芥川龍之介ファンページ
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/3673/
芥川龍之介「西方の人」「続西方の人」徹底検証
http://homepage2.nifty.com/snowwolf/akutagawa.htm
菊池寛 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E5%AF%9B
大阪日日新聞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%97%A5%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E
マルクス主義 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
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