今日(7月月7日)は「ゆかたの日」
ゆかたの全国団体である”日本ゆかた連合会”が1981(昭和56)年に制定。
旧暦7月7日の七夕は、日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(現在のお盆)に中国から伝来した乞巧奠(きこうでん)などが習合したものと考えられている。「乞巧奠」は、七夕の行事として、女子は色糸を結び、七本の針を並べ、ウリを供えて手芸、裁縫の上達を祈願し、衣類に感謝する日としたそうである。
この中国の乞巧奠の慣習と織女祭(織女星と牽牛星の伝説参照)に因み、”日本ゆかた連合会”が、7月7日を「ゆかたの日」としたとのこと。丁度浴衣をきるのに良い時期で有り、若い人たちにも、日本伝統の衣類である「ゆかた」の良さを見直し親しんでもらうきっかけにしてもらおうという狙いもあるようだ。万葉集では(2029)で初めて、七夕(なぬかのよ)の歌が読まれている。「 天の川楫の音聞こゆ彦星と織女と今夜逢ふらしも」(以下参考のたのしい万葉集より)
浴衣(ゆかた)は和服の一種である。今日の七夕祭りを浴衣で楽しんでみては・・。
前に4月26日「よい風呂の日」でも書いたように、入浴するところを、「風呂」などと呼ぶようになったのは、「室(むろ)」が訛ったもの。日本の風呂(浴場)はもともと蒸し風呂から始まった。その室・・つまり部屋へ入るいうことから呼ばれるようになった。蒸し風呂の中で女性が身に着けていた白衣が今は浴衣(ゆかた)としてきているものだった。蒸し風呂に入る際に、蒸し風呂の壁や火傷などをしないようにと着たものを「湯帷子(ゆかたびら)」とも呼ばれた。「ゆかた」の名はこの「ゆかたびら」の略である。「帷子」の語源は「片枚」で、一枚物すなわち一重の着物を指して言っていた。「湯帷子」には素材は水に強く、水切れの良い麻が使われていた。平安中期の「和名抄」(和妙類聚鈔)には、「内衣 布で沐浴の為の衣也」とある。室町末から江戸時代初期にかけて盆踊りの流行につれ「踊り帷子」が出来、やがて庶民の間にも広がり、浴後の衣料となり、また、江戸時代には労働着や夏の家庭内での日常着としても着られるようになった。街着にはならないが祭礼の衣装や夕方の散歩着には利用された。単衣との差を言えば、浴衣は平織白木綿に藍染めというのが原則で、地白に藍、または地藍に白で文様を抜く(図参照)。かつ、浴衣模様という独特の模様もあり、広袖仕立もあり、見ただけで単衣と区別がつくが、その差のつけがたいものも出来ていたようだ。なお、単衣は下に肌襦袢を着るのが一般的で、浴衣は素肌に着るものである。江戸時代の浮世絵などを見ていると、浴衣の利用範囲は広く、雨着として小袖の上に被ったり(晴信「下駄の雪とり」)、道中の塵除け(豊国「役者道中見立」)としても着用されている。
現代では、生地が薄く、開放的で風通しがよいことから、もっぱら夏場や湯上り、あるいは寝巻きとしての用途が主であるが、花火・縁日・盆踊りなどの夏の行事で使用されている。浴衣を、男子は三尺帯、女子は半幅帯で着るのが古風であるが、明治以降兵児帯(へこおび)が流行したこともあって、これを用いることもある。浴衣に合わせる履物は、素足に下駄が一般的である。元来が略装の最たるものであるから、浴衣で出かけられるのは気取らない場所にかぎられており、この格好で人と会うのは失礼とされている。しかし、現在では和装そのものが稀になりつつあることもあり、こうしたしきたりをあまり感じない人も多いようだ。浴衣の柄も近年では和服を着る唯一の機会が浴衣という感じにもなってきており、華やかな色合いと柄のものなど多様化してきている。また浴衣本来の木綿ではなく、ポリエステルなどを用いた一重(ひとえ)の着物としての用途も増えつつある。
最近は若い人の間に浴衣に対する関心が高まっているようであり、いいものだと思うが、やはり、普段から着慣れていないせいか、様になっていない人が多い。それに、ギャル浴衣と言うのか茶髪姿で靴をはいて膝上の短い丈のものを着ている姿などを見ると、少々、腹立たしさを感じさえする。日本の伝統文化が次々と廃れていく中で、比較的簡単に着用できる浴衣位は、正式なものを着てもらいたいと思うのだが・・・。今の日本人ほど、自分の国の文化を大切にしない民族は、他にはいないのではないか。今は、外国人が日本の伝統文化に注目している。もう、日本の伝統文化は外国人に継いでいってもらうしかないのであろうか!
我が地元兵庫県では、「姫路ゆかた祭り」が例年賑やかに行われている(今年は6月22日~23日に開催)。姫路地方ではかって「ゆかた」は長壁(おさかべ)神社の例祭から着る習わしとなっていた。「ゆかた祭」は江戸・吉原から高尾太夫を身請けするなど、風流大名として名高い播磨姫路藩第3代藩主榊原政岑が将軍徳川吉宗が出した倹約令を無視して贅を尽くし、吉原で派手に遊興にふけり、吉原太夫を身請けしたことから、越後・高田に懲罰的転封を命じられた際に姫路の思い出に永久に残しておくに相応しい行事として、庶民も姫路城内にあった長壁神社の参拝ができるように長源寺境内に社を造営させ、御神璽を竪町に遷したのが始まりだという。姫路城主の居館は、当初、天守台の下にある本丸にあったが、山上で使いづらいため、本多忠政は三の丸に本城と称する館を立ててここに住んだ。以降の城主は本城、あるいは中曲輪の市の橋門内の西屋敷に居住している。徳川吉宗の時代の城主・榊原政岑が吉原から高尾太夫を落籍し住まわせたのもこの西屋敷だそうであり、西屋敷跡およびその一帯は今日では姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」として整備されている。
ただ、「姫路ゆかた祭り」は通常3日間だが、近年暴走族など若者が警察と衝突し、昨年に続き2日間に短縮された。あいにくの雨模様となったが、22日浴衣姿の家族連れなど約5万人がそぞろ歩きを満喫した。今年は、市民400人も警戒態勢に協力してしるが、暴走族の車乗り入れを規制しているので、10代後半から20代の若者が、祭り期間中「電車などで来て、途中で特攻服に着替え」て、までして相変わらず騒いで人に迷惑をかけている。これを「暴徒族」というらしい。また、それを見て楽しむ「期待族」とか言われる馬鹿な若者も非常に多い。今の世の中堕ちこぼれはそんなことでもしないと自分の存在感がないのかも知れないが、本当に迷惑な話で、許す訳には行かない。
今日・7月7日の「ゆかたの日 」以外に、8月4日 「ゆかたの日」 もある。これは、兵庫県城崎町の城崎温泉観光協会が制定。「城崎ふるさと祭り」の開催日。
また、8月第1土曜日 「ゆかたの日」は、 大阪府柏原市が1988(昭和63)年に市制30周年を記念して制定。柏原市ではゆかたの生産が盛んで、全国シェアの25%を占めているそうだ。
テレビの人気番組「はなまるマーケット」の「とくまる」で、6月18日に、「夏のおしゃれ、浴衣の楽しみ方」をしていた。今年は、夏の浴衣がファッションとして注目を集めているそうだが、見ていると、ある大手チェーンストアーでは、浴衣・帯下駄のセットで10000円。浴衣・帯セット女性用2980円 男性用3980円など非常に低価格でそれなりのものが売られている。へんな、ギャル浴衣など着ないで、夏の伝統的おしゃれを楽しんでみては・・・。それと、そのような憩いの場所でみなの楽しみをこれ見よがしに騒いで邪魔する馬過どもは徹底的に取り締まって欲しいね。
とくまる「夏のおしゃれ、浴衣の楽しみ方」
http://www.tbs.co.jp/hanamaru/tokumaru/index-j.html
(画像は、役者 当盛若三人 三代歌川豊国作。以下参考の「国立歴史民族博物館」より)
浴衣-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%8B%E3%81%9F
七夕 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95
たのしい万葉集
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/index.html
七夕の起源・中国での起源
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/tn00a3.htm
4月26日「よい風呂の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/255e031f95253f52805fdec3cb4b71c8
沐浴 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%90%E6%B5%B4
季節の言葉「ゆかた(浴衣)」
http://www.nikkoku.net/ezine/kotoba/ktb030.html
和名類聚抄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%90%8D%E9%A1%9E%E8%81%9A%E6%8A%84
国立歴史民族博物館・夏の風景・浴衣・浮世絵・怪談
http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index96/index.html#yukata
ギャル浴衣について
http://coquette.fem.jp/yukata.html
榊原政岑 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8A%E5%8E%9F%E6%94%BF%E5%B2%91
長壁神社
http://www.himeji-kanko.jp/shisetsu/ss008.html
ゆかたの全国団体である”日本ゆかた連合会”が1981(昭和56)年に制定。
旧暦7月7日の七夕は、日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(現在のお盆)に中国から伝来した乞巧奠(きこうでん)などが習合したものと考えられている。「乞巧奠」は、七夕の行事として、女子は色糸を結び、七本の針を並べ、ウリを供えて手芸、裁縫の上達を祈願し、衣類に感謝する日としたそうである。
この中国の乞巧奠の慣習と織女祭(織女星と牽牛星の伝説参照)に因み、”日本ゆかた連合会”が、7月7日を「ゆかたの日」としたとのこと。丁度浴衣をきるのに良い時期で有り、若い人たちにも、日本伝統の衣類である「ゆかた」の良さを見直し親しんでもらうきっかけにしてもらおうという狙いもあるようだ。万葉集では(2029)で初めて、七夕(なぬかのよ)の歌が読まれている。「 天の川楫の音聞こゆ彦星と織女と今夜逢ふらしも」(以下参考のたのしい万葉集より)
浴衣(ゆかた)は和服の一種である。今日の七夕祭りを浴衣で楽しんでみては・・。
前に4月26日「よい風呂の日」でも書いたように、入浴するところを、「風呂」などと呼ぶようになったのは、「室(むろ)」が訛ったもの。日本の風呂(浴場)はもともと蒸し風呂から始まった。その室・・つまり部屋へ入るいうことから呼ばれるようになった。蒸し風呂の中で女性が身に着けていた白衣が今は浴衣(ゆかた)としてきているものだった。蒸し風呂に入る際に、蒸し風呂の壁や火傷などをしないようにと着たものを「湯帷子(ゆかたびら)」とも呼ばれた。「ゆかた」の名はこの「ゆかたびら」の略である。「帷子」の語源は「片枚」で、一枚物すなわち一重の着物を指して言っていた。「湯帷子」には素材は水に強く、水切れの良い麻が使われていた。平安中期の「和名抄」(和妙類聚鈔)には、「内衣 布で沐浴の為の衣也」とある。室町末から江戸時代初期にかけて盆踊りの流行につれ「踊り帷子」が出来、やがて庶民の間にも広がり、浴後の衣料となり、また、江戸時代には労働着や夏の家庭内での日常着としても着られるようになった。街着にはならないが祭礼の衣装や夕方の散歩着には利用された。単衣との差を言えば、浴衣は平織白木綿に藍染めというのが原則で、地白に藍、または地藍に白で文様を抜く(図参照)。かつ、浴衣模様という独特の模様もあり、広袖仕立もあり、見ただけで単衣と区別がつくが、その差のつけがたいものも出来ていたようだ。なお、単衣は下に肌襦袢を着るのが一般的で、浴衣は素肌に着るものである。江戸時代の浮世絵などを見ていると、浴衣の利用範囲は広く、雨着として小袖の上に被ったり(晴信「下駄の雪とり」)、道中の塵除け(豊国「役者道中見立」)としても着用されている。
現代では、生地が薄く、開放的で風通しがよいことから、もっぱら夏場や湯上り、あるいは寝巻きとしての用途が主であるが、花火・縁日・盆踊りなどの夏の行事で使用されている。浴衣を、男子は三尺帯、女子は半幅帯で着るのが古風であるが、明治以降兵児帯(へこおび)が流行したこともあって、これを用いることもある。浴衣に合わせる履物は、素足に下駄が一般的である。元来が略装の最たるものであるから、浴衣で出かけられるのは気取らない場所にかぎられており、この格好で人と会うのは失礼とされている。しかし、現在では和装そのものが稀になりつつあることもあり、こうしたしきたりをあまり感じない人も多いようだ。浴衣の柄も近年では和服を着る唯一の機会が浴衣という感じにもなってきており、華やかな色合いと柄のものなど多様化してきている。また浴衣本来の木綿ではなく、ポリエステルなどを用いた一重(ひとえ)の着物としての用途も増えつつある。
最近は若い人の間に浴衣に対する関心が高まっているようであり、いいものだと思うが、やはり、普段から着慣れていないせいか、様になっていない人が多い。それに、ギャル浴衣と言うのか茶髪姿で靴をはいて膝上の短い丈のものを着ている姿などを見ると、少々、腹立たしさを感じさえする。日本の伝統文化が次々と廃れていく中で、比較的簡単に着用できる浴衣位は、正式なものを着てもらいたいと思うのだが・・・。今の日本人ほど、自分の国の文化を大切にしない民族は、他にはいないのではないか。今は、外国人が日本の伝統文化に注目している。もう、日本の伝統文化は外国人に継いでいってもらうしかないのであろうか!
我が地元兵庫県では、「姫路ゆかた祭り」が例年賑やかに行われている(今年は6月22日~23日に開催)。姫路地方ではかって「ゆかた」は長壁(おさかべ)神社の例祭から着る習わしとなっていた。「ゆかた祭」は江戸・吉原から高尾太夫を身請けするなど、風流大名として名高い播磨姫路藩第3代藩主榊原政岑が将軍徳川吉宗が出した倹約令を無視して贅を尽くし、吉原で派手に遊興にふけり、吉原太夫を身請けしたことから、越後・高田に懲罰的転封を命じられた際に姫路の思い出に永久に残しておくに相応しい行事として、庶民も姫路城内にあった長壁神社の参拝ができるように長源寺境内に社を造営させ、御神璽を竪町に遷したのが始まりだという。姫路城主の居館は、当初、天守台の下にある本丸にあったが、山上で使いづらいため、本多忠政は三の丸に本城と称する館を立ててここに住んだ。以降の城主は本城、あるいは中曲輪の市の橋門内の西屋敷に居住している。徳川吉宗の時代の城主・榊原政岑が吉原から高尾太夫を落籍し住まわせたのもこの西屋敷だそうであり、西屋敷跡およびその一帯は今日では姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」として整備されている。
ただ、「姫路ゆかた祭り」は通常3日間だが、近年暴走族など若者が警察と衝突し、昨年に続き2日間に短縮された。あいにくの雨模様となったが、22日浴衣姿の家族連れなど約5万人がそぞろ歩きを満喫した。今年は、市民400人も警戒態勢に協力してしるが、暴走族の車乗り入れを規制しているので、10代後半から20代の若者が、祭り期間中「電車などで来て、途中で特攻服に着替え」て、までして相変わらず騒いで人に迷惑をかけている。これを「暴徒族」というらしい。また、それを見て楽しむ「期待族」とか言われる馬鹿な若者も非常に多い。今の世の中堕ちこぼれはそんなことでもしないと自分の存在感がないのかも知れないが、本当に迷惑な話で、許す訳には行かない。
今日・7月7日の「ゆかたの日 」以外に、8月4日 「ゆかたの日」 もある。これは、兵庫県城崎町の城崎温泉観光協会が制定。「城崎ふるさと祭り」の開催日。
また、8月第1土曜日 「ゆかたの日」は、 大阪府柏原市が1988(昭和63)年に市制30周年を記念して制定。柏原市ではゆかたの生産が盛んで、全国シェアの25%を占めているそうだ。
テレビの人気番組「はなまるマーケット」の「とくまる」で、6月18日に、「夏のおしゃれ、浴衣の楽しみ方」をしていた。今年は、夏の浴衣がファッションとして注目を集めているそうだが、見ていると、ある大手チェーンストアーでは、浴衣・帯下駄のセットで10000円。浴衣・帯セット女性用2980円 男性用3980円など非常に低価格でそれなりのものが売られている。へんな、ギャル浴衣など着ないで、夏の伝統的おしゃれを楽しんでみては・・・。それと、そのような憩いの場所でみなの楽しみをこれ見よがしに騒いで邪魔する馬過どもは徹底的に取り締まって欲しいね。
とくまる「夏のおしゃれ、浴衣の楽しみ方」
http://www.tbs.co.jp/hanamaru/tokumaru/index-j.html
(画像は、役者 当盛若三人 三代歌川豊国作。以下参考の「国立歴史民族博物館」より)
浴衣-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%8B%E3%81%9F
七夕 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95
たのしい万葉集
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/index.html
七夕の起源・中国での起源
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/tn00a3.htm
4月26日「よい風呂の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/255e031f95253f52805fdec3cb4b71c8
沐浴 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%90%E6%B5%B4
季節の言葉「ゆかた(浴衣)」
http://www.nikkoku.net/ezine/kotoba/ktb030.html
和名類聚抄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%90%8D%E9%A1%9E%E8%81%9A%E6%8A%84
国立歴史民族博物館・夏の風景・浴衣・浮世絵・怪談
http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index96/index.html#yukata
ギャル浴衣について
http://coquette.fem.jp/yukata.html
榊原政岑 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8A%E5%8E%9F%E6%94%BF%E5%B2%91
長壁神社
http://www.himeji-kanko.jp/shisetsu/ss008.html