1186(文治2年)年 の今日(7月29日)、源義經の愛妾・静御前が安達新三郎の家で男子を出産するが、頼朝の命により溺殺される 。
静御前(しずかごぜん)は、平安時代末期の女性磯禅師(いそのぜんじ)の娘である。磯禅師は、讃岐国小磯の出身で、礒野禅尼という表記も見られるそうだ。
鳥羽天皇の世に、藤原通憲(出家後の法名:信西入道の方が有名)がすぐれた曲を選んで、磯禅師に白い水干に鞘巻をさし、烏帽子の男装で舞わせたのが白拍子の始まりと吉田兼好が書いた随筆徒然草第225段にある。(徒然草第225段参照)
静御前は、白拍子の祖とされる母の磯禅師より、白拍子を伝えられた。
『義経記』によると、日照りが続いたので後白河法皇は神泉苑の池で100人の僧に読経させたが効験がなかったので、100人の容顔美麗な白拍子に舞わせ雨を祈らせた。99人まで効験がなかったが、静が舞うとたちまち黒雲が現れ、3日間雨が降り続いた。静は法皇から「日本一」の宣旨を賜った。その時に、静を見初めた源義経が召して妾にしたという。(以下参考の義経記巻第六 七 静若宮八幡宮へ参詣の事 参照)
源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちて九州へ向かう際に同行するが、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。吉野で義経と別れ京へ戻るが、途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡され、1186(文治2)年3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られる。同年4月8日、静は頼朝に強要されて鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた。静は、
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子がとりなして助けられる。この時、静は義経の子を身ごもっており、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じる。閏7月29日、静は男子を産んだ。安達清恒が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった。磯禅師が赤子を取り上げて清恒に渡し、赤子は由比ヶ浜に沈められた。時に静、19歳であった。その後、静と磯禅師は京に帰された。(以下参考の義経記巻第六 六 静鎌倉へ下る事 参照)
奈良県大和高田市礒野は礒野禅尼の里といわれ、静はここに身を寄せたとも伝えられる。
室町時代初期から中期の書かれた『義経記』(ぎけいき、全8巻、著者未詳)巻第六では、「吉野山で捕まった静の動静が、細かく描写される。鎌倉に送られてきた静は、男の子を産んで、あっけなく殺され、さらにその後、鶴ヶ岡八幡宮で、頼朝夫妻の前で、白拍子の舞いを見せ、傷心の静は、鎌倉を発って京に戻る。巻六の後半は、静の巻とも云うべきものがある。
大和高田市ホームページの民話と伝承(4)義経の七つ石 を見ると大和高田には、静御前にまつわる伝承も数多く残っていて、「静御前の塚」「衣掛けの松」「住居の跡」などが、礒野村の古地図にのっているそうだ。最も、静のその後は文献などにはなく不明であるが、他にもまた淡路島や埼玉県北葛飾郡栗橋町、山口県阿武郡阿東町などに静のものと伝えられる墓があり、福島県郡山市には、義経の訃報を聞いた静御前が身を投げたと言われる美女池や、その供養のために建立された静御前堂がある。これら静御前に纏わるものについては、源義経同様、それぞれの地域にそれぞれの伝承があり、ネット上には、それらに関するホームページが見られるので関心のある人は検索の上見られるとよい。
(画像は、古今名婦伝 静御前、豊国画。国立国会図書館貴重画像データーベースより)
参考;
源義経 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C
静御前- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%BE%A1%E5%89%8D
徒然草
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure_index.htm
義経記の構造(覚え書き)
http://www.st.rim.or.jp/~success/gikeiki_kouzou.htm
義経記
http://www.st.rim.or.jp/~success/gikeiki_00.html
義経記(国民文庫)全
http://www.j-texts.com/sheet/kgikei.html
静御前ホームページ
http://www.shizukagozen.gr.jp/
河越重頼女と静御前
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/8529/sigeyorimusumetosizuka.html
国立国会図書館貴重画像データーベース:(静御前で検索する)
http://rarebook.ndl.go.jp/pre/servlet/pre_com_menu.jsp
神泉苑公式HP
http://www.shinsenen.org/indexnakami.html
静御前(しずかごぜん)は、平安時代末期の女性磯禅師(いそのぜんじ)の娘である。磯禅師は、讃岐国小磯の出身で、礒野禅尼という表記も見られるそうだ。
鳥羽天皇の世に、藤原通憲(出家後の法名:信西入道の方が有名)がすぐれた曲を選んで、磯禅師に白い水干に鞘巻をさし、烏帽子の男装で舞わせたのが白拍子の始まりと吉田兼好が書いた随筆徒然草第225段にある。(徒然草第225段参照)
静御前は、白拍子の祖とされる母の磯禅師より、白拍子を伝えられた。
『義経記』によると、日照りが続いたので後白河法皇は神泉苑の池で100人の僧に読経させたが効験がなかったので、100人の容顔美麗な白拍子に舞わせ雨を祈らせた。99人まで効験がなかったが、静が舞うとたちまち黒雲が現れ、3日間雨が降り続いた。静は法皇から「日本一」の宣旨を賜った。その時に、静を見初めた源義経が召して妾にしたという。(以下参考の義経記巻第六 七 静若宮八幡宮へ参詣の事 参照)
源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちて九州へ向かう際に同行するが、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。吉野で義経と別れ京へ戻るが、途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡され、1186(文治2)年3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られる。同年4月8日、静は頼朝に強要されて鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた。静は、
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子がとりなして助けられる。この時、静は義経の子を身ごもっており、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じる。閏7月29日、静は男子を産んだ。安達清恒が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった。磯禅師が赤子を取り上げて清恒に渡し、赤子は由比ヶ浜に沈められた。時に静、19歳であった。その後、静と磯禅師は京に帰された。(以下参考の義経記巻第六 六 静鎌倉へ下る事 参照)
奈良県大和高田市礒野は礒野禅尼の里といわれ、静はここに身を寄せたとも伝えられる。
室町時代初期から中期の書かれた『義経記』(ぎけいき、全8巻、著者未詳)巻第六では、「吉野山で捕まった静の動静が、細かく描写される。鎌倉に送られてきた静は、男の子を産んで、あっけなく殺され、さらにその後、鶴ヶ岡八幡宮で、頼朝夫妻の前で、白拍子の舞いを見せ、傷心の静は、鎌倉を発って京に戻る。巻六の後半は、静の巻とも云うべきものがある。
大和高田市ホームページの民話と伝承(4)義経の七つ石 を見ると大和高田には、静御前にまつわる伝承も数多く残っていて、「静御前の塚」「衣掛けの松」「住居の跡」などが、礒野村の古地図にのっているそうだ。最も、静のその後は文献などにはなく不明であるが、他にもまた淡路島や埼玉県北葛飾郡栗橋町、山口県阿武郡阿東町などに静のものと伝えられる墓があり、福島県郡山市には、義経の訃報を聞いた静御前が身を投げたと言われる美女池や、その供養のために建立された静御前堂がある。これら静御前に纏わるものについては、源義経同様、それぞれの地域にそれぞれの伝承があり、ネット上には、それらに関するホームページが見られるので関心のある人は検索の上見られるとよい。
(画像は、古今名婦伝 静御前、豊国画。国立国会図書館貴重画像データーベースより)
参考;
源義経 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C
静御前- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%BE%A1%E5%89%8D
徒然草
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure_index.htm
義経記の構造(覚え書き)
http://www.st.rim.or.jp/~success/gikeiki_kouzou.htm
義経記
http://www.st.rim.or.jp/~success/gikeiki_00.html
義経記(国民文庫)全
http://www.j-texts.com/sheet/kgikei.html
静御前ホームページ
http://www.shizukagozen.gr.jp/
河越重頼女と静御前
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/8529/sigeyorimusumetosizuka.html
国立国会図書館貴重画像データーベース:(静御前で検索する)
http://rarebook.ndl.go.jp/pre/servlet/pre_com_menu.jsp
神泉苑公式HP
http://www.shinsenen.org/indexnakami.html