1877(明治10)年の今日(7月9日)、 テニスの世界選手権・ウィンブルドン大会の第1回大会が開催された。
ウィンブルドン選手権(英語正式名称:The Championships, Wimbledon)は、テニスの四大国際大会の1つである全英選手権大会の別名。毎年6月最終(もしくはその前週の)月曜日から2週間の日程で行われる。開催地のウィンブルドン(イギリス・ロンドン南西部)に因み、この名がある。グランドスラム4大会中、最も古い歴史を持ち、唯一の芝生のコートで行われるこの大会は120年以上の伝統と格式を持ち、「白いウェア」が義務づけられている(練習の際にも白を基調としたウェアとシューズを義務づけている。これは会場ともなっているクラブの規定によるもの)。
2002(平成14)年には1番コートの近くに、バックスクリーンで試合を観戦できる新スポットが設置され、当地の英雄ティム・ヘンマンにちなんで“ヘンマン・ヒル”という通称がつけられた。
通常、入場券は事前の前売り制で発売されるが、ミドル・サンデー(第1週と第2週の中間日となる日曜日)の開催時には当日入場券が発売される。そのため、いつもは静かな会場が熱狂的なテニスファンでにぎわっているという。
開催国イギリスの優勝者は、現時点では1977(昭和52)年の女子シングルス優勝者バージニア・ウェードが最後に、男子シングルスでは1936(昭和11)年のフレッド・ペリーを最後に地元選手の優勝はなく、これを称して、ウィンブルドン現象と呼んでいる。
因みに、2003(平成15)年以降、2006(平成18)年まで、男子シングルスでは、スイスのロジャー・フェデラーが4連続優勝しており、女子シングルスは、2003年セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ) 、2004年マリア・シャラポワ(ロシア) 、2005年ヴィーナス・ウィリアムズ(アメリカ) 、2006年アメリ・モレスモ(フランス) が優勝している。(最近の優勝者参照)
かっての試合の中で印象的なのは、1990(平成2)年女子シングルスでマルチナ・ナブラチロワ(アメリカ) が、3年ぶり9度目の優勝を達成、宿願のウィンブルドン歴代1位を実現。52年間大会歴代1位であった、ヘレン・ウィルス・ムーディ(アメリカが生んだ最大の女子テニス選手の1人)の記録が破られた。
1997(平成 9)年女子シングルスで優勝した マルチナ・ヒンギス(スイス)>は「16歳9ヶ月」での優勝であり、1968(昭和43)年のオープン化以後の最年少記録を樹立した。彼女は早熟選手であったことから、女子テニス界における数々の最年少記録を保持している。16歳の時に達成した4大大会初制覇(1997年全豪オープンに16歳3ヶ月で優勝)、世界ランキング1位(16歳6ヶ月)、4大大会年間3冠獲得はすべて歴代最年少記録である。
2004(平成16)年、女子シングルスで優勝したマリア・シャラポワ(ロシア) は、セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破り、17歳2ヶ月で優勝。1997(平成 9)年のマルチナ・ヒンギス(16歳9ヶ月)に次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録を樹立した。2005(平成17)年8月に、ロシアの女子テニス選手としては初めて世界ランキング1位となっている。ニックネームは「ロシアの妖精」。彼女はボールを打つときに独特の甲高い叫び声をあげながらラケットを振りぬくことでも有名で、彼女の愛称になぞらえて「妖精の叫び」などと形容されている。美人で身長188cm、体重59kgのスタイリストであり、テニスプレーヤーとは別にファッションモデルとしても活躍しており、ファッション雑誌の人気も高く、日本人のファンも多い。
日本人女子では、伊達公子選手が、1996年(平成8)7月4日~5日の2日間にわたり、準決勝でシュテフィ・グラフ(ドイツ) と最後の対戦となり、第1セットはグラフが 6-3 で先取したが、第2セットを伊達が 6-2 で取り返したときに試合が日没順延となり、翌日に持ち越された第3セットはグラフが 6-3 で取ったため、日本人選手初の4大大会決勝進出はならなかったのは残念であった。
日本人男子では、1995(平成7)年、松岡修造が日本人男子選手として、1933(昭和8)年の佐藤次郎以来「62年ぶり」のベスト8進出。その準々決勝では1番コートに立ち、第2シードのピート・サンプラス(アメリカ)にセットカウント 1-3 で敗れた。勝ったサンプラスが、1993(平成5)年~2000(平成12)年の8年間で、ウィンブルドンに優勝できなかったのはこの翌年の1996(平成8)年だけ。驚異的な強さだったね~。
国別では、やはりアメリカが強いね~。次々と新しく強い選手が出てくる。しかし、テニスは、男子も良いけれど、女子選手の試合がいいね~。やはり、男子と比べて華があるよ。
BBCが1937(昭和12)年からウィンブルドン選手権の放送を担当している。また、法令により、決勝戦の模様は必ず生中継で最後まで放送しなければならないことになっているそうだ。日本ではシングルスはNHK、ダブルスはGAORAで放送されている。
「テニスの世界選手権」と言えば私などは「ウィンブルドン」を想像する。しかし、日本人は男子女子共に、余り活躍することはなかったようだが、今年は女子が頑張っているね~。
女子シングルス3回戦で森上亜希子は、4度目の優勝を果した、ビーナス・ウィリアムズ(米国)に第23シードで2-6、6-3、5-7とフルセット戦って敗れたがよく検討したよね~。また、女子ダブルスでは、杉山愛/カテリーナ・シュレボトニック組が決勝に進出する。杉山はコンビのカテリーナとの息が良く合っているようだ。頑張って欲しいね。
今年の結果は以下参考に記載の「ウィンブルドンテニス2007特集」を参照すると良い。
(画像は、2004年ウィンブルドンのマリア・シャラポワ。Wikipediaより)
ウィンブルドン選手権 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%B3%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9
ウィンブルドンフェア2006
http://news.tennis365.net/wimbledon/history/history.html
ウィンブルドンテニス2007特集|【テニス365:tennis365.net 】
http://news.tennis365.net/news/feature/Wimbledon/
ウィンブルドン選手権(英語正式名称:The Championships, Wimbledon)は、テニスの四大国際大会の1つである全英選手権大会の別名。毎年6月最終(もしくはその前週の)月曜日から2週間の日程で行われる。開催地のウィンブルドン(イギリス・ロンドン南西部)に因み、この名がある。グランドスラム4大会中、最も古い歴史を持ち、唯一の芝生のコートで行われるこの大会は120年以上の伝統と格式を持ち、「白いウェア」が義務づけられている(練習の際にも白を基調としたウェアとシューズを義務づけている。これは会場ともなっているクラブの規定によるもの)。
2002(平成14)年には1番コートの近くに、バックスクリーンで試合を観戦できる新スポットが設置され、当地の英雄ティム・ヘンマンにちなんで“ヘンマン・ヒル”という通称がつけられた。
通常、入場券は事前の前売り制で発売されるが、ミドル・サンデー(第1週と第2週の中間日となる日曜日)の開催時には当日入場券が発売される。そのため、いつもは静かな会場が熱狂的なテニスファンでにぎわっているという。
開催国イギリスの優勝者は、現時点では1977(昭和52)年の女子シングルス優勝者バージニア・ウェードが最後に、男子シングルスでは1936(昭和11)年のフレッド・ペリーを最後に地元選手の優勝はなく、これを称して、ウィンブルドン現象と呼んでいる。
因みに、2003(平成15)年以降、2006(平成18)年まで、男子シングルスでは、スイスのロジャー・フェデラーが4連続優勝しており、女子シングルスは、2003年セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ) 、2004年マリア・シャラポワ(ロシア) 、2005年ヴィーナス・ウィリアムズ(アメリカ) 、2006年アメリ・モレスモ(フランス) が優勝している。(最近の優勝者参照)
かっての試合の中で印象的なのは、1990(平成2)年女子シングルスでマルチナ・ナブラチロワ(アメリカ) が、3年ぶり9度目の優勝を達成、宿願のウィンブルドン歴代1位を実現。52年間大会歴代1位であった、ヘレン・ウィルス・ムーディ(アメリカが生んだ最大の女子テニス選手の1人)の記録が破られた。
1997(平成 9)年女子シングルスで優勝した マルチナ・ヒンギス(スイス)>は「16歳9ヶ月」での優勝であり、1968(昭和43)年のオープン化以後の最年少記録を樹立した。彼女は早熟選手であったことから、女子テニス界における数々の最年少記録を保持している。16歳の時に達成した4大大会初制覇(1997年全豪オープンに16歳3ヶ月で優勝)、世界ランキング1位(16歳6ヶ月)、4大大会年間3冠獲得はすべて歴代最年少記録である。
2004(平成16)年、女子シングルスで優勝したマリア・シャラポワ(ロシア) は、セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破り、17歳2ヶ月で優勝。1997(平成 9)年のマルチナ・ヒンギス(16歳9ヶ月)に次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録を樹立した。2005(平成17)年8月に、ロシアの女子テニス選手としては初めて世界ランキング1位となっている。ニックネームは「ロシアの妖精」。彼女はボールを打つときに独特の甲高い叫び声をあげながらラケットを振りぬくことでも有名で、彼女の愛称になぞらえて「妖精の叫び」などと形容されている。美人で身長188cm、体重59kgのスタイリストであり、テニスプレーヤーとは別にファッションモデルとしても活躍しており、ファッション雑誌の人気も高く、日本人のファンも多い。
日本人女子では、伊達公子選手が、1996年(平成8)7月4日~5日の2日間にわたり、準決勝でシュテフィ・グラフ(ドイツ) と最後の対戦となり、第1セットはグラフが 6-3 で先取したが、第2セットを伊達が 6-2 で取り返したときに試合が日没順延となり、翌日に持ち越された第3セットはグラフが 6-3 で取ったため、日本人選手初の4大大会決勝進出はならなかったのは残念であった。
日本人男子では、1995(平成7)年、松岡修造が日本人男子選手として、1933(昭和8)年の佐藤次郎以来「62年ぶり」のベスト8進出。その準々決勝では1番コートに立ち、第2シードのピート・サンプラス(アメリカ)にセットカウント 1-3 で敗れた。勝ったサンプラスが、1993(平成5)年~2000(平成12)年の8年間で、ウィンブルドンに優勝できなかったのはこの翌年の1996(平成8)年だけ。驚異的な強さだったね~。
国別では、やはりアメリカが強いね~。次々と新しく強い選手が出てくる。しかし、テニスは、男子も良いけれど、女子選手の試合がいいね~。やはり、男子と比べて華があるよ。
BBCが1937(昭和12)年からウィンブルドン選手権の放送を担当している。また、法令により、決勝戦の模様は必ず生中継で最後まで放送しなければならないことになっているそうだ。日本ではシングルスはNHK、ダブルスはGAORAで放送されている。
「テニスの世界選手権」と言えば私などは「ウィンブルドン」を想像する。しかし、日本人は男子女子共に、余り活躍することはなかったようだが、今年は女子が頑張っているね~。
女子シングルス3回戦で森上亜希子は、4度目の優勝を果した、ビーナス・ウィリアムズ(米国)に第23シードで2-6、6-3、5-7とフルセット戦って敗れたがよく検討したよね~。また、女子ダブルスでは、杉山愛/カテリーナ・シュレボトニック組が決勝に進出する。杉山はコンビのカテリーナとの息が良く合っているようだ。頑張って欲しいね。
今年の結果は以下参考に記載の「ウィンブルドンテニス2007特集」を参照すると良い。
(画像は、2004年ウィンブルドンのマリア・シャラポワ。Wikipediaより)
ウィンブルドン選手権 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%B3%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9
ウィンブルドンフェア2006
http://news.tennis365.net/wimbledon/history/history.html
ウィンブルドンテニス2007特集|【テニス365:tennis365.net 】
http://news.tennis365.net/news/feature/Wimbledon/