2007(昭和19)年の今日(7月16日)第3月曜日は、「海の日(Marine Day)である。
「海の日」は、日本の国民の祝日の一つ。 国民の祝日に関する法律(祝日法)では「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としている。
以下参考の(財)海事広報協会では、「海の日」制定の由来を詳しく書いてあるが、要約すると以下のようである。
”1876年(明治9年)7月20日、明治天皇が東北巡幸の帰途、灯台視察船・明治丸で函館を経て横浜に帰着されたことにちなんで、1941(昭和16)年に当時の逓信大臣・村田省蔵の提唱により次官会議においてこの日を「海の記念日」と定めたもの。1996年(平成8年)から「国民の祝日に関する法律」により、”海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う日”として7月20日が国民の祝日「海の日」となった。その後の祝日法の改正(ハッピーマンデー制度)により2003(平成15)年から当初7月20日であったものが7月第3月曜日となった。” ・・・と。
この時に明治天皇が御乗船された御召艦は、1873(明治6)年に英国グラスゴーのネピア造船所に発注して造られたもので、当時の工部卿伊藤博文が「明治丸」と名付けた。1875(明治8)年2月横浜に回航され、その後灯台巡視船として活躍し、明治天皇の巡幸に際しては東北・北海道御巡幸を初めとして数次にわたって御召艦としてつかわれている。この他小笠原諸島や硫黄島の領有権調査にも活躍し、1896(明治29)年に現役を退き、商船学校(東京商船大学の前身。現在は東京海洋大学海洋工学部)に譲り渡された後は、係留練習船として、以来50余年にわたり5000人以上に及ぶ海の児を育てた。終戦後1951(昭和26)年まで米国軍に校舎と共に接収され一時荒廃していたが、1978(昭和53)年5月、我国に現存する唯一の鉄船(現在の船は鋼船)であり、造船技術史上貴重な船として国の重要文化財に指定されている。その後文化庁及び東京商船大学の手により修復が行われ1988(昭和63)年1月に完了し、現在同大学に保存されている。(現在展示の写真はここ)
しかし、「海の記念日」が設定された1941(昭和16)年に、どうして、明治天皇が東北巡幸を終えて帰ってきた1876年(明治9年)7月20日をわざわざ記念日に制定したのだろうか?
それがどうした・・・祝日が1日でも多ければ、どうでもいいじゃ~ないか!どうせ、夏休み期間中だから祝日なんて関係ないよと言う人も多いだろうが、何でも、記念日を設定するのに、理由がないものはないし、ましてや、政府が制定する場合は、その奥に深い理由があるものだ。後は、推測しか出来ないが、先ず、1941(昭和16)年ってどんな年だったのだろうか?、その年の出来事を見てみよう。以下は1941年- Wikipediaより抜粋。
5月27日 - 第二次世界大戦: ドイツ海軍の戦艦ビスマルクが沈没。
5月27日 - フランクリン・ルーズベルト米大統領が国家非常事態宣言。
6月22日 - ナチス・ドイツ、ソ連に対し宣戦布告。バルバロッサ作戦始まる。
7月 - チトーがパルチザンを組織し、ドイツ軍に対するゲリラ戦を開始。
7月18日 - 第3次近衛内閣成立。
10月18日 - 東條内閣成立。
12月8日 - 日本軍の真珠湾攻撃で大東亜戦争(太平洋戦争)が開戦する。
12月21日 - 大日本帝国とタイ王国の間に日泰同盟が締結される。
1941(昭和16)年7月20日というと、第3次近衛内閣が成立した2日後で、この内閣は、たったの3ヶ月で解散し、次には東條内閣が成立。12月8日 には、真珠湾を攻撃し、同月21日には大東亜戦争に突入している。(真珠湾攻撃#宣戦布告遅延問題参照)
第3次近衛内閣での逓信大臣 村田省蔵は、1900(明治33)年大阪商船(現商船三井)入社。同副社長等を経て、1934(昭和9)年同社長就任。1939(昭和14)年貴族院議員、1940(昭和15)年逓信大臣兼鉄道大臣、1942(昭和17)年、第2次近衞内閣から留任し、大日本帝国陸軍第十四軍最高顧問にもなっている。議員になる前は海運業の社長だった人物である。日中戦争4年目の1940(昭和15)年のこの年、中国を支援するアメリカと日本の関係は険悪の一途をたどっていた。知米派の野村吉三郎が大使に任命され、日米交渉が始まっていたが、交渉は難航。独ソ開戦に乗じて陸軍が南部仏印進駐を強行すると、アメリカは石油の前面禁輸で応じた。四面楚歌の中で対米強硬論が急激に高まり、ついに開戦が決定される。英米と戦うためには、しっかりと重要資材(戦時物資)を確保しておかねばならない時期であった。そして、時の新聞記事を見ても物資を確保するための陸・海・空を総合する一元的運輸政策の確立が提案されている。このような時期に、単に、”海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う日”として、国民の祝日を制定するだろうか?。
1937(昭和12)年5月に成立した第1次近衛内閣は、生産力拡充、国際収支改善、物資の需給調整という経済三原則を発表した。同年7月に支那事変が勃発すると、政府は9月にこの戦争に適用するために、経済を統制する「臨時資金調整法」、物を統制する「輸出入品等臨時措置法」、及び軍需工場等を国家管理のもとに置く「軍需工場動員法」の統制三法を制定した。1937(昭和12)年10月には企画院が設置され、1938(昭和13)年から重要物資の供給と配分を決める物資動員計画が始まり、同年4月には「国家総動員法」が制定された。これは人的資源及び物的資源を全面的に戦争目的のために動員するものであった。それまで自主的統制を行ってきた海運界であったが、ここにいたって戦時経済の進展に応じて海運業の使命を果たすためには、政府の監督指導のもとに官民協力して統制を実施することが必要と認識された。官民による統制の要領等についての研究の結果、先ず民間団体の統制力を強化するための「海運組合法」が、1939(昭和14)年4月に公布された。これにより既存の民間団体を統合して「日本海運協会」を翌・1940(昭和15)年5月に設立した。そして、政府は、更に強力な海運の国家管理態勢を確立するために、「海運統制国策要綱」を同年9月1日に閣議決定した。
そして、戦時事変その他の場合において帝国の通商航海に脅威を受け又は受ける恐れあるとき、敵襲その他の軍事的危害に対し船舶を保護することを目的とする「船舶保護法」が1941(昭和16)年3月17日に制定公布された。又、内外情勢の一層の緊迫化に対応して、政府は同年8月19日の閣議において「戦時海運管理要綱」も決定した。
詳細については、こちらを見られると良い。 → 戦時の海運統制
当然に海運業や庶民からの抵抗もあっただろうと推測できる。それらの不満を解消し、海洋国日本の繁栄のために理解して欲しいというのが本音ではなかったかと思うが、これは、私の邪推であろうか?毎年7月21日からと決まっていた夏休みもこの年から、8月1日からとなっている。せめて、子供たちに、7月20日の国民の祝日を1日プレゼントしてやっても良かっただろうね。しかし、折角の祝日だ、今日は、ちょっと、海のことや船舶のことなど勉強してみるのも良いね。
神戸地方、海の日の今日の天気は台風が過ぎ去った後で南の方は曇り空だが天気は悪くない。朝の気温は少しひんやりしているが時間と共に暑くなるのであろう。塩水に浸かるとあせもが出来ないなどともいうので、汗疹予防に海水にチャボっと浸かって来ますか?。ただ、まだ、台風の影響が残っている地域もあるようなので、地域によっては注意しないといけないよ。
さらにこの海の日誕生を記念して、1996年(平成8年)に競艇のSGにオーシャンカップ競走が新設されたが、何故、国民の祝日に、昔は賭博の1つだとみなされていたような競艇が、競艇のSG(エスジー)に選ばれたのだろうね~。こんな馬鹿なこと考えるのは私だけかな???
(画像は 「報知新聞・奥羽御巡幸圖會」。以下参考の 重要文化財 明治丸・国立大学法人 東京海洋大学 海洋工学部より)
参考:
海の日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%97%A5
1941年- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/1941%E5%B9%B4
重要文化財 明治丸・ 国立大学法人 東京海洋大学 海洋工学部
http://www.e.kaiyodai.ac.jp/meiji/index.htm
東京商船大学
http://www.tosho-u.ac.jp/TUMM/Intro/Siseki/
(財)海事広報協会
http://www.kaijipr.or.jp/
戦時の海運統制
http://www.drc-jpn.org/AR-6J/ikawa-j02.htm
危機を孕める海運界 (上・中・下) / 村田,省蔵: 大阪商船専務 (大阪毎日新聞 1924.1.25-1924.1.29 (大正13))[海運 23-093]
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00146210&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00146210
新聞記事文庫 編年一覧(年代別の新聞記事スクラップ)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/sinbun/ymlist/ymlist.html
山野ゆきよしメルマガ:2003年7月:海の日
http://blog.goo.ne.jp/yamano4455/m/200307
Category:日本の海運業 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%B5%B7%E9%81%8B%E6%A5%AD
尖閣諸島領有権問題
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E9%A0%98%E6%9C%89%E6%A8%A9%E5%95%8F%E9%A1%8C
東海大学 海洋科学博物館・日本の大学で唯一の海洋学部をもつ東海大学の開設する「海」の科学館。小学生対象のサマースクールなどの行事。
http://www.umi.muse-tokai.jp/
東京大学 海洋研究所・海洋に関する基礎研究を行う全国共同利用の研究所。海洋関係の研究者を目指したい人は,一度はのぞいておくとよい。
「船の科学館」のホームページ.海と船のデイリーニュースなど、施設以外の情報も興味深い。
http://www.funenokagakukan.or.jp/
「海の日」は、日本の国民の祝日の一つ。 国民の祝日に関する法律(祝日法)では「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としている。
以下参考の(財)海事広報協会では、「海の日」制定の由来を詳しく書いてあるが、要約すると以下のようである。
”1876年(明治9年)7月20日、明治天皇が東北巡幸の帰途、灯台視察船・明治丸で函館を経て横浜に帰着されたことにちなんで、1941(昭和16)年に当時の逓信大臣・村田省蔵の提唱により次官会議においてこの日を「海の記念日」と定めたもの。1996年(平成8年)から「国民の祝日に関する法律」により、”海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う日”として7月20日が国民の祝日「海の日」となった。その後の祝日法の改正(ハッピーマンデー制度)により2003(平成15)年から当初7月20日であったものが7月第3月曜日となった。” ・・・と。
この時に明治天皇が御乗船された御召艦は、1873(明治6)年に英国グラスゴーのネピア造船所に発注して造られたもので、当時の工部卿伊藤博文が「明治丸」と名付けた。1875(明治8)年2月横浜に回航され、その後灯台巡視船として活躍し、明治天皇の巡幸に際しては東北・北海道御巡幸を初めとして数次にわたって御召艦としてつかわれている。この他小笠原諸島や硫黄島の領有権調査にも活躍し、1896(明治29)年に現役を退き、商船学校(東京商船大学の前身。現在は東京海洋大学海洋工学部)に譲り渡された後は、係留練習船として、以来50余年にわたり5000人以上に及ぶ海の児を育てた。終戦後1951(昭和26)年まで米国軍に校舎と共に接収され一時荒廃していたが、1978(昭和53)年5月、我国に現存する唯一の鉄船(現在の船は鋼船)であり、造船技術史上貴重な船として国の重要文化財に指定されている。その後文化庁及び東京商船大学の手により修復が行われ1988(昭和63)年1月に完了し、現在同大学に保存されている。(現在展示の写真はここ)
しかし、「海の記念日」が設定された1941(昭和16)年に、どうして、明治天皇が東北巡幸を終えて帰ってきた1876年(明治9年)7月20日をわざわざ記念日に制定したのだろうか?
それがどうした・・・祝日が1日でも多ければ、どうでもいいじゃ~ないか!どうせ、夏休み期間中だから祝日なんて関係ないよと言う人も多いだろうが、何でも、記念日を設定するのに、理由がないものはないし、ましてや、政府が制定する場合は、その奥に深い理由があるものだ。後は、推測しか出来ないが、先ず、1941(昭和16)年ってどんな年だったのだろうか?、その年の出来事を見てみよう。以下は1941年- Wikipediaより抜粋。
5月27日 - 第二次世界大戦: ドイツ海軍の戦艦ビスマルクが沈没。
5月27日 - フランクリン・ルーズベルト米大統領が国家非常事態宣言。
6月22日 - ナチス・ドイツ、ソ連に対し宣戦布告。バルバロッサ作戦始まる。
7月 - チトーがパルチザンを組織し、ドイツ軍に対するゲリラ戦を開始。
7月18日 - 第3次近衛内閣成立。
10月18日 - 東條内閣成立。
12月8日 - 日本軍の真珠湾攻撃で大東亜戦争(太平洋戦争)が開戦する。
12月21日 - 大日本帝国とタイ王国の間に日泰同盟が締結される。
1941(昭和16)年7月20日というと、第3次近衛内閣が成立した2日後で、この内閣は、たったの3ヶ月で解散し、次には東條内閣が成立。12月8日 には、真珠湾を攻撃し、同月21日には大東亜戦争に突入している。(真珠湾攻撃#宣戦布告遅延問題参照)
第3次近衛内閣での逓信大臣 村田省蔵は、1900(明治33)年大阪商船(現商船三井)入社。同副社長等を経て、1934(昭和9)年同社長就任。1939(昭和14)年貴族院議員、1940(昭和15)年逓信大臣兼鉄道大臣、1942(昭和17)年、第2次近衞内閣から留任し、大日本帝国陸軍第十四軍最高顧問にもなっている。議員になる前は海運業の社長だった人物である。日中戦争4年目の1940(昭和15)年のこの年、中国を支援するアメリカと日本の関係は険悪の一途をたどっていた。知米派の野村吉三郎が大使に任命され、日米交渉が始まっていたが、交渉は難航。独ソ開戦に乗じて陸軍が南部仏印進駐を強行すると、アメリカは石油の前面禁輸で応じた。四面楚歌の中で対米強硬論が急激に高まり、ついに開戦が決定される。英米と戦うためには、しっかりと重要資材(戦時物資)を確保しておかねばならない時期であった。そして、時の新聞記事を見ても物資を確保するための陸・海・空を総合する一元的運輸政策の確立が提案されている。このような時期に、単に、”海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う日”として、国民の祝日を制定するだろうか?。
1937(昭和12)年5月に成立した第1次近衛内閣は、生産力拡充、国際収支改善、物資の需給調整という経済三原則を発表した。同年7月に支那事変が勃発すると、政府は9月にこの戦争に適用するために、経済を統制する「臨時資金調整法」、物を統制する「輸出入品等臨時措置法」、及び軍需工場等を国家管理のもとに置く「軍需工場動員法」の統制三法を制定した。1937(昭和12)年10月には企画院が設置され、1938(昭和13)年から重要物資の供給と配分を決める物資動員計画が始まり、同年4月には「国家総動員法」が制定された。これは人的資源及び物的資源を全面的に戦争目的のために動員するものであった。それまで自主的統制を行ってきた海運界であったが、ここにいたって戦時経済の進展に応じて海運業の使命を果たすためには、政府の監督指導のもとに官民協力して統制を実施することが必要と認識された。官民による統制の要領等についての研究の結果、先ず民間団体の統制力を強化するための「海運組合法」が、1939(昭和14)年4月に公布された。これにより既存の民間団体を統合して「日本海運協会」を翌・1940(昭和15)年5月に設立した。そして、政府は、更に強力な海運の国家管理態勢を確立するために、「海運統制国策要綱」を同年9月1日に閣議決定した。
そして、戦時事変その他の場合において帝国の通商航海に脅威を受け又は受ける恐れあるとき、敵襲その他の軍事的危害に対し船舶を保護することを目的とする「船舶保護法」が1941(昭和16)年3月17日に制定公布された。又、内外情勢の一層の緊迫化に対応して、政府は同年8月19日の閣議において「戦時海運管理要綱」も決定した。
詳細については、こちらを見られると良い。 → 戦時の海運統制
当然に海運業や庶民からの抵抗もあっただろうと推測できる。それらの不満を解消し、海洋国日本の繁栄のために理解して欲しいというのが本音ではなかったかと思うが、これは、私の邪推であろうか?毎年7月21日からと決まっていた夏休みもこの年から、8月1日からとなっている。せめて、子供たちに、7月20日の国民の祝日を1日プレゼントしてやっても良かっただろうね。しかし、折角の祝日だ、今日は、ちょっと、海のことや船舶のことなど勉強してみるのも良いね。
神戸地方、海の日の今日の天気は台風が過ぎ去った後で南の方は曇り空だが天気は悪くない。朝の気温は少しひんやりしているが時間と共に暑くなるのであろう。塩水に浸かるとあせもが出来ないなどともいうので、汗疹予防に海水にチャボっと浸かって来ますか?。ただ、まだ、台風の影響が残っている地域もあるようなので、地域によっては注意しないといけないよ。
さらにこの海の日誕生を記念して、1996年(平成8年)に競艇のSGにオーシャンカップ競走が新設されたが、何故、国民の祝日に、昔は賭博の1つだとみなされていたような競艇が、競艇のSG(エスジー)に選ばれたのだろうね~。こんな馬鹿なこと考えるのは私だけかな???
(画像は 「報知新聞・奥羽御巡幸圖會」。以下参考の 重要文化財 明治丸・国立大学法人 東京海洋大学 海洋工学部より)
参考:
海の日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%97%A5
1941年- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/1941%E5%B9%B4
重要文化財 明治丸・ 国立大学法人 東京海洋大学 海洋工学部
http://www.e.kaiyodai.ac.jp/meiji/index.htm
東京商船大学
http://www.tosho-u.ac.jp/TUMM/Intro/Siseki/
(財)海事広報協会
http://www.kaijipr.or.jp/
戦時の海運統制
http://www.drc-jpn.org/AR-6J/ikawa-j02.htm
危機を孕める海運界 (上・中・下) / 村田,省蔵: 大阪商船専務 (大阪毎日新聞 1924.1.25-1924.1.29 (大正13))[海運 23-093]
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00146210&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00146210
新聞記事文庫 編年一覧(年代別の新聞記事スクラップ)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/sinbun/ymlist/ymlist.html
山野ゆきよしメルマガ:2003年7月:海の日
http://blog.goo.ne.jp/yamano4455/m/200307
Category:日本の海運業 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%B5%B7%E9%81%8B%E6%A5%AD
尖閣諸島領有権問題
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E9%A0%98%E6%9C%89%E6%A8%A9%E5%95%8F%E9%A1%8C
東海大学 海洋科学博物館・日本の大学で唯一の海洋学部をもつ東海大学の開設する「海」の科学館。小学生対象のサマースクールなどの行事。
http://www.umi.muse-tokai.jp/
東京大学 海洋研究所・海洋に関する基礎研究を行う全国共同利用の研究所。海洋関係の研究者を目指したい人は,一度はのぞいておくとよい。
「船の科学館」のホームページ.海と船のデイリーニュースなど、施設以外の情報も興味深い。
http://www.funenokagakukan.or.jp/