今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

漫画の日

2007-07-17 | 記念日
今日(7月17日)は、「漫画の日」
イギリスの絵入り諷刺漫画週刊誌である『パンチ・ロンドン・シャリヴァリ』(Punch, or The London Charivari)、通称『パンチ』が、ヘンリー・メイヒュー及びマーク・レモン、そして木版画家エビネザー・ランデルズにより、1841年の今日(7月17日)創刊された。
『パンチ』の創刊者達はフランスの日刊風刺新聞『ル・シャリヴァリ』 (Le Charivari )を見て、イギリスにも同様の雑誌を作ろうと考えた。その風刺的かつユーモラスな意図を反映して、彼らはその雑誌に人形芝居のキャラクターである無政府主義者ミスター・パンチの名を冠して発行人に据え、またフランスの雑誌への言及として「ザ・ロンドン・シャリヴァリ」と副題を添えた。現代の出版業界における用語カートゥーンが漫画を意味する言葉となったのは、『パンチ』の功績であるといわれている。現代の出版業界におけるカートゥーンは、一般にユーモラスな傾向を備えたイラストレーションのことを指し、この用法は、1843(天保14)年に風刺漫画雑誌『パンチ』が誌上での風刺画、とりわけジョン・リーチ(ジョン・テニエル参照)によるスケッチに用いて以来、現在に到るまで用いられている。創刊号の表紙は挿絵画家のアーチボルド・ヘニングが担当した。創刊号はW・ブライアント出版社から発売され、雑誌サイズはA4判14ページ、値段は3ペンスで、第1刷5000部と増刷5000部の計10000部を売り上げた。
1849年1月のリチャード・ドイル(以下参考に妖精画家〔リチャード・ドイル〕参照)によるミスター・パンチと忠犬トビーを配した表紙は好評を博し、以後107年間にわたってこのデザインがパンチの表紙として定着した。ドイルは同誌の常連寄稿者であった。雑誌『パンチ』は創刊から150年後の1992(平成 4)年、発行部数の減少により廃刊を余儀なくされた。第一次世界大戦の期間を含む1923年以前の『パンチ』のバックナンバーは、プロジェクト・グーテンベルクで閲覧可能だそうである。
少し話がそれるかもしれないが、日本の近代ジャーナリズムを考える時、外国にはない日本の特徴として新聞小説に見られる挿絵の存在が大きい。江戸時代の庶民に歓迎された草双紙絵巻物木版摺りの読売(瓦版)などには、文章と共に挿絵が伴っていたが、むしろ絵が主で文章は従の様な存在であった。新聞小説だけではない、新聞に写真が常時掲載されだすのは、明治末期のことであるが、それまでは、画報、風俗画、漫画その他画家による挿絵類が紙上で重要な役割を果たしていた。明治初期の庶民向け「小新聞」は艶種(つやだね)。警察種、忠君種、孝行種などを満載したもので、別名「絵入り新聞」といわれ、挿絵を売り物にしていたのに対して、知識人向けの「大新聞」は言論活動中心の政党機関紙などであり漢文調に論説中心で、挿絵がない点に特色がっあった。しかし、「大新聞」は「小新聞」に部数で引き離されるようになり、なりふりかまわず挿絵を掲載するようになった。新聞、雑誌は、読者と同時に権力を意識しながら活動を続けてきた。権力は、常に自分に都合のよい活動をしてくれるジャーナリズムを期待しているが、読者のジャーナリズム観は権力のそれとは対極にあるといっていいだろう。読者は反権力のジャーナリズムを投書で応援した。権力は必要あれば法令・官憲武器に弾圧に臨む。特に明治期の政治権力はそうであった。この点、治外法権をの特権を、明治30年代初頭まで享受できた外人ジャーナリストは恵まれていた。彼等は、風刺画、風刺文で権力を刺戟し、また、読者を喜ばすことが出来た。1861(文久元)年、外人の手によって長崎の外国人居留地で最初の英字紙『ナガサキ・ショッピング・リスト・アンド・アバイダー』が、続いて横浜の居留地で英字新聞『ジャパン・ヘラルド』が創刊された。これが日本における最初の新聞である。母国で新聞・雑誌に慣れ親しんでいた居留地の外人が居留地でもジャーナリズムを求めることについて、そこが治外法権である以上、幕府も手をこまねくしかなかった。これに刺戟を受けて、幕府も翌・1862(文久2)年には最初の翻訳新聞『官板バタピヤ新聞』を創刊するなど、幕府自ら横浜に群小の英字新聞を次々と刊行することになった。その大部分の狙いは尊王攘夷派に国際情報を周知させ、開国の正当さをPRすることにあった。
その様な時期、1862(文久2)年に、チャールズ・ワーグマンが日本最初の漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を、横浜居留地で創刊した。ここから、「ポンチ絵」という言葉が生まれた。これはイギリスの風刺漫画雑誌パンチを模したもので当時の日本のさまざまな様子・事件・風俗を描き残すとともに、高橋由一をはじめとする様々な日本人画家に洋画の技法を教え、日本の近代漫画成立に多大な影響を与えた。居留地の歴史を知る上での一級資料となっている。1863(文久2)年には、日本人女性の小沢カネと結婚。翌年には、長男の一郎が誕生。
ワーグマンは、1857(安政4)年に「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」の特派記者兼挿絵画家として広東アロー戦争の取材のため来訪。1861(文久元)年には長崎を訪れ、その後イギリス公使オールコックの一行に伴って上京するが、8月10日にイギリス公使館となっていた東禅寺にて水戸藩浪士の襲撃を受ける。この時ワーグマンは、縁の下に避難しながら事件の一部始終を記録し、これを記事とスケッチにして横浜から発信している。この年薩英戦争が勃発、ワーグマンも取材のために写真家フェリーチェ・ベアトとイギリス艦隊に同行し記事などを書いている(彼とは後に「ベアト・アンド・ワーグマン商会」を設立している)。また同年から翌・1864(元治元)年にかけて、下関戦争についても記事や挿絵をロンドンに送っている。また、同年の「日本貿易新聞」には、この時のアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四国連合艦隊の長州諸砲台砲撃事件を風刺した漫画が掲載される。これはポルトガル人ダ・ローザ首宰の「ジャパン・コンマーシャル・ニュース」(文久3年横浜創刊)紙の記事を転載したものだそうで、日本人の作ではない。日本の新聞に漫画が載るようになるのは1868(慶応4)年である。
ワーグマンは漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊したが、このように本業である『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』の取材のために忙しく、直ぐに休刊してしまい、第2号を復刊するのは、1865(慶応元)年である。
日本の新聞に漫画が載るようになるのは、1868(慶応4)年である。1865(慶応元)年の『ジャパン・パンチ』の影響を受けて、佐幕色の 『中外新聞』、『江湖新聞』(1868年創刊)などに、風刺漫画が掲載される。『江湖新聞』には、「ポンチ」というワーグマンが『ジャパン・パンチ』の中で日本文字で使用した言葉が紹介されている。この「ポンチ」という言葉は、明治に入って、急速に普及しだす。最初は、西洋風の風刺の鋭い絵という意味が強かったようだ。それは、従来の『鳥羽絵」「大津絵」『狂画」「戯画」などといったものとは違った新しい感覚の戯画が登場したことを意味しているのだろう。
1874 (明治7)年、戯作者、新聞記者である 仮名垣魯文(本名:野崎文蔵)は、時局風刺をテーマーとして、絵師の河鍋暁斎と組んで『絵新聞日本地』という日本初の漫画雑誌を刊行した。また、1881 (明治14 )には小林清親が出した錦絵「清親ポンチ」シリーズも、新聞錦絵にスタイルを模し、その漫画版を目指したものであった。
以下で、小林清親『清親ポンチ絵画帖』が見れるよ。↓
国立国会図書館蔵〔清親ポンチ絵画帖〕
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=88090089&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0
1878 (明治11)年創刊の『月とスッポンチ』( 篠田仙果主宰)も流行語「ポンチ」を取り入れた誌名をつけ、時局風刺漫画を掲載した。
ワーグマンは、『ジャパン・パンチ』によって、「ぽんち」と言う言葉を日本にもたらしたが、漫画史的観点からすると、時局問題をテーマーにした漫画を発表する月間漫画雑誌を発行したことと、似顔絵を多用する新しい漫画形式を紹介した意味の方がより大きいといえる。日本人が、似顔絵を使用して、著名人を風刺するのは、きわめて新しいことである。江戸時代には、それは不可能で、せいぜい役者絵を描いたぐらいで、東洲斎写楽の役者絵のような風刺性をも感じさせるものは例外中の例外であった。
今日、新聞などで政治などを風刺した一筆漫画が掲載されているが、これらのはしりといえるだろう。(週刊朝日百科『日本の歴史」参照)
この日とは別に、手塚治虫の命日である2月9日も「漫画の日」になっている。漫画家・手塚治虫の命日にちなんで、漫画本専門古書店「まんだらけ」が制定。
11月3日も「漫画の日」。日本漫画家協会と出版社5社が2002(平成14)年8月に制定。「漫画を文化として認知してもらいたい」ということから、文化の日を記念日としたそうだ。
確かに、日本の漫画は、今や日本の文化として世界に認知され始めているようだね。
(画像は、左カラーのもの:1841年創刊『パンチ』パリの『シャリバリ』誌を、まねて創刊された。右:『ジャパン・パンチ』文久2年イギリス人C・ワーグマンが横浜居留地で創刊。画像は週間朝日百科『日本の歴史』より)
参考:
パンチ (雑誌) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%81_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)
チャールズ・ワーグマン- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3
瓦版 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%A6%E7%89%88
ロンドン路地裏の生活誌(上/下) ヘンリー・メイヒュー
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=30594
洋ナシ, 王ルイ・フィリップ(1773-1850)の風刺漫画 - 'ル・シャリヴァリ(Le Charivari)'より
http://www.allposters.co.jp/-sp/-Posters_i1343262_.htm
妖精画家(リチャード・ドイル)
http://island.site.ne.jp/fairy/pictures/doyle.html#top
近代新聞検索・新聞の歴史
http://www.npoabc.jp/03aboutkindai/
外国人居留地 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%B1%85%E7%95%99%E5%9C%B0
仮名垣魯文 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E5%90%8D%E5%9E%A3%E9%AD%AF%E6%96%87
国立国会図書館・過去の常設展示/第140回 明治の息吹 -漫画・諷刺画から-
http://www.ndl.go.jp/jp/gallery/permanent/jousetsu140.html
静岡県立美術館【主な収蔵品の作家名:小林 清親】
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/collection/item/P_76_721_J.html
国立国会図書館・デジタルアーカイブ
http://www.dap.ndl.go.jp/home/modules/dasearch/
日本漫画家協会
http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/
有鄰 「チャールズ・ワーグマンが語る 横浜外国人居留地の生活」ジョゼフ・ロガラ(山下仁美訳)
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_440/yurin4.html