今日(7月28日)は、「なにわの日」(Part 2)
「な(7)に(2)わ(8)」(難波・浪速)の語呂合せ。
「なにわの日」については前にも書いたが、今回は、Part 2として、視点を変え、大阪市浪速区(大阪市浪速区HP)のことについて書いてみよう。(前に書いたことは→ここで見てください。)
大阪市を構成する24区のうちのひとつ浪速区(なにわく)、一帯は上町台地西側の平地で、北辺では西道頓堀川が、西辺では木津川が区境となっている。また区東部には江戸時代に難波新川または難波入堀川と呼ばれる運河が開削されたが、1958(昭和33)年に埋め立てられた。(埋め立て後の旧河道には阪神高速道路1号環状線が建設された。)日本一面積の小さな行政区でもある。
歴史的に見ると、1925(大正14)年 、 南区(現在の中央区南部)から分区によって誕生。区の全域は旧西成郡に属した。 西成郡は、もともとは「古事記」に、大阪湾の中央に南北に突き出した上町台地の東部(河内湖沿い)を「難波大郡」、西部(大阪湾沿い)を「難波小郡」と称したことが記載されている。大郡・小郡とは大化の改新の制度で、五十戸を「里」とし三里で「小郡」、四里~三十里で「中郡」、四十里以上で「大郡」となる。つまり外海に面している割に西側のほうが小さな集落だった。713(和銅6)年、郡郷の名称が公式に定められ、東部の難波大郡を「東生(ひがしなり)」、西部の難波小郡を「西成(にしなり)」と称するようになった。つまり、「上町台地の西側に新たに生まれた集落」という意味である。 上町台地西側は難波津があり、難波長柄豊崎宮などたびたび首都や副都が置かれ、大陸や西日本各地との交易拠点となったが、難波京が廃れてからは一時ほど重要ではなくなったが、、中世には渡辺津が繁栄を極め、その後石山本願寺、大坂城などが上町台地の突端に置かれるようになって周囲に町が発達した。
難波村は古くから農村であり、特に大坂の街が大きくなった江戸時代以降は、市内に野菜を供給する一大近郊農村として繁栄した。特にねぎが有名で、「なんば」はねぎの代名詞となった。ちなみに、鴨南蛮(かもなんばorかもなんばん)とは、鴨肉とねぎを使ったそばの種物である。「南蛮」は江戸では、「なんばん」というが大阪で「なんば」という。つまり、大阪ではネギを使った料理を南蛮と言い、昔から難波がネギの産地であったのでネギのことを「なんば」と言ったされている。(以下参考の「南蛮・なんば・なんばん語源の謎 鴨なんば 鴨なんばん」参照)
これらの野菜は天満の青物市場(天満青物市場も参照)に持ってゆく決まりであったが、農民達は市を建てたり自前で売ろうとして、天満商人と対立したという。
明治時代以後は1885(明治18)年に阪堺鉄道(後の南海鉄道)の難波駅が1889(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E9%A7%85)年には大阪鉄道(後の関西鉄道、現在の西日本旅客鉄道)の湊町駅(現在のJR難波駅)が開通し、奈良や和歌山の木材や農産物などが集まった。木津には大きな市場(現在の木津地方卸売市場)ができ、日本橋以南の堺筋は松坂屋ほか商店、古物商や古本屋が軒を並べる繁華街となった。また1903(明治36)年の第5回内国勧業博覧会以後は新世界がレジャーセンターになるなど遊興地としても栄えた。
戦後は日本橋が焼け野原から電気街として繁栄したが、産業構造の変化などに伴い中小企業や工場主体の地域の活力は落ち始めた。この地域にあった大阪球場やクボタの工場、湊町駅の貨物駅などが相次いで再開発の対象となった。近年、日本橋に対して郊外の大規模電気店・梅田へのヨドバシカメラ出店などが地域全体を揺さぶったが、日本橋もソフト販売・開発の町に変わりつつあるなど変化への対応も見られるという。また、戦前は大変繁盛した新世界界隈は私が大阪で仕事をしていた昭和30年代前半にはまだそれなりの賑わいもあったのでよく行った。まだ新湯社員で安月給の私などが好きな酒を飲んで遊ぶには安くて気安く遊べるので気に入っていた。そんな庶民的な歓楽街として親しまれてきた新世界界隈だが、大手私鉄のターミナルに位置しないこと、観光の多様化などに伴い、近年は衰退していた。NHKの連続テレビ小説「ふたりっ子」が放映され他時には当時を思い出し懐かしかった。しかし、私も昔若い頃遊んだとき以来最近は行ったことがないのだが、現在他の繁華街のような近代的な街へと変化していないことが、逆に「昔の繁華街」の雰囲気を色濃く残しているとして、近年は観光に来る人も増えているそうだ。
かつての新世界は、その独特の雰囲気で人々を惹きつけ、大阪市南区生玉前町(現天王寺区上汐町4丁目27。地図)生まれの織田作之助他の多くの小説の舞台ともなったが、一方周辺には飛田遊廓などもあったところなので街娼などが声をかけてくるなどあったため、一般の人がちょっと立ち入り難い側面もあったようだ。・・・私など全然気にならなかったが・・(^0^)。そこで1996(平成8)年、阪神・淡路大震災復興を機に新世界全体が改造され、家族連れも気軽に来られる雰囲気へとイメージチェンジが図られたそうだ。私は、昭和30年代後半から、東京で仕事をするようになった、東京の浅草へ遊びにいって浅草が非常に良く似た雰囲気のところだと思った。
浪速区では、「未来わがまちビジョン」に基づき、区民・企業・行政機関が協同して「住みよい明るいまちづくり」の実現を目指して、7月28日を「なにわの日」とし、経済、地域の活性化に向けて区内全域で独自事業を開催。 通天閣をメイン会場として、オープニングセレモニーやジャズコンサートを実施しているようで、このジャズコンサートが結構人気があるようだよ。以下参照。
浪速区”7 月28日は「なにわの日」記念イベントを開催”のお知らせ。
http://www.denden-town.or.jp/naniwa.htm
また、なにわ名物開発研究会 は、大阪一のいちびりを募集し、今日7月28日の「なにわの日」に発表を行うと共に、贈呈(も~て~)式を催すそうだ。
◆第10回なにわ大賞募集!(大阪一のいちびり募集!)
http://www.naniwa-meibutsu.com/taishou/index.htm
大阪弁で「いちびり」と言うのは、よく「ふざける」ことを「おちょける」と言い、そんなふざけてばかりいる人のことを「おちょけ」と言っっているが、そんな「おちょけ」てばかりいる人を「いちびり」と言ったりもしていると思うのだが、この「 いちびり」の語源は、"せり市で手を振って値の決定をとりしきること、また人のことをいう「市振り」から起こったと言われ、転じて物事のリーダーシップをとることや、その人のことをいう"・・・そうだ。単なるふざけるだけの「おちょけ」ではなくそこにリーダーシップも無くてはいけないんだね。「いちびり」ってえらいんだ~!!。
また、大阪へ出かけたときには、一度立ち寄ってみたいところではある。
(画像は、新世界界隈(南側)と通天閣。2007年4月現在。Wikipediaより)
浪速区 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AA%E9%80%9F%E5%8C%BA
大阪市浪速区
http://www.city.osaka.jp/naniwa/
なにわ名物開発研究会
http://www.naniwa-meibutsu.com/index.html
南蛮・なんば・なんばん語源の謎 鴨なんば 鴨なんばん
http://www10.ocn.ne.jp/~sobakiri/4-1.html
なにわいきいき情報館(大阪ポータルサイト)
http://naniwa-ikiiki.jp/
大阪木津地方卸売市場
http://www.shoku-sta.jp/
第5回内国勧業博覧会
http://www.lib-sakai.jp/kyoudo/kyo_digi/sakaikoutooohama/kyo_digi_nai.htm
「新世界NOW」 7月28日なにわの日制定記念「通天閣JAZZ LIVE」予告
http://blog.goo.ne.jp/shinsekainow/e/846b6dbb35e67c45f6bc2554662b0a5b
作家別作品リスト:No.40作家名: 織田 作之助
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person40.html#sakuhin_list_1
関西弁基礎講座 INDEX
http://homepage2.nifty.com/GANSO_hirokun/kouza00.html
Webでんでんタウン
http://www.denden-town.or.jp/index.html
「なにわの日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/fa783402d7776c1632c5de6d5bdeb5ef
「な(7)に(2)わ(8)」(難波・浪速)の語呂合せ。
「なにわの日」については前にも書いたが、今回は、Part 2として、視点を変え、大阪市浪速区(大阪市浪速区HP)のことについて書いてみよう。(前に書いたことは→ここで見てください。)
大阪市を構成する24区のうちのひとつ浪速区(なにわく)、一帯は上町台地西側の平地で、北辺では西道頓堀川が、西辺では木津川が区境となっている。また区東部には江戸時代に難波新川または難波入堀川と呼ばれる運河が開削されたが、1958(昭和33)年に埋め立てられた。(埋め立て後の旧河道には阪神高速道路1号環状線が建設された。)日本一面積の小さな行政区でもある。
歴史的に見ると、1925(大正14)年 、 南区(現在の中央区南部)から分区によって誕生。区の全域は旧西成郡に属した。 西成郡は、もともとは「古事記」に、大阪湾の中央に南北に突き出した上町台地の東部(河内湖沿い)を「難波大郡」、西部(大阪湾沿い)を「難波小郡」と称したことが記載されている。大郡・小郡とは大化の改新の制度で、五十戸を「里」とし三里で「小郡」、四里~三十里で「中郡」、四十里以上で「大郡」となる。つまり外海に面している割に西側のほうが小さな集落だった。713(和銅6)年、郡郷の名称が公式に定められ、東部の難波大郡を「東生(ひがしなり)」、西部の難波小郡を「西成(にしなり)」と称するようになった。つまり、「上町台地の西側に新たに生まれた集落」という意味である。 上町台地西側は難波津があり、難波長柄豊崎宮などたびたび首都や副都が置かれ、大陸や西日本各地との交易拠点となったが、難波京が廃れてからは一時ほど重要ではなくなったが、、中世には渡辺津が繁栄を極め、その後石山本願寺、大坂城などが上町台地の突端に置かれるようになって周囲に町が発達した。
難波村は古くから農村であり、特に大坂の街が大きくなった江戸時代以降は、市内に野菜を供給する一大近郊農村として繁栄した。特にねぎが有名で、「なんば」はねぎの代名詞となった。ちなみに、鴨南蛮(かもなんばorかもなんばん)とは、鴨肉とねぎを使ったそばの種物である。「南蛮」は江戸では、「なんばん」というが大阪で「なんば」という。つまり、大阪ではネギを使った料理を南蛮と言い、昔から難波がネギの産地であったのでネギのことを「なんば」と言ったされている。(以下参考の「南蛮・なんば・なんばん語源の謎 鴨なんば 鴨なんばん」参照)
これらの野菜は天満の青物市場(天満青物市場も参照)に持ってゆく決まりであったが、農民達は市を建てたり自前で売ろうとして、天満商人と対立したという。
明治時代以後は1885(明治18)年に阪堺鉄道(後の南海鉄道)の難波駅が1889(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E9%A7%85)年には大阪鉄道(後の関西鉄道、現在の西日本旅客鉄道)の湊町駅(現在のJR難波駅)が開通し、奈良や和歌山の木材や農産物などが集まった。木津には大きな市場(現在の木津地方卸売市場)ができ、日本橋以南の堺筋は松坂屋ほか商店、古物商や古本屋が軒を並べる繁華街となった。また1903(明治36)年の第5回内国勧業博覧会以後は新世界がレジャーセンターになるなど遊興地としても栄えた。
戦後は日本橋が焼け野原から電気街として繁栄したが、産業構造の変化などに伴い中小企業や工場主体の地域の活力は落ち始めた。この地域にあった大阪球場やクボタの工場、湊町駅の貨物駅などが相次いで再開発の対象となった。近年、日本橋に対して郊外の大規模電気店・梅田へのヨドバシカメラ出店などが地域全体を揺さぶったが、日本橋もソフト販売・開発の町に変わりつつあるなど変化への対応も見られるという。また、戦前は大変繁盛した新世界界隈は私が大阪で仕事をしていた昭和30年代前半にはまだそれなりの賑わいもあったのでよく行った。まだ新湯社員で安月給の私などが好きな酒を飲んで遊ぶには安くて気安く遊べるので気に入っていた。そんな庶民的な歓楽街として親しまれてきた新世界界隈だが、大手私鉄のターミナルに位置しないこと、観光の多様化などに伴い、近年は衰退していた。NHKの連続テレビ小説「ふたりっ子」が放映され他時には当時を思い出し懐かしかった。しかし、私も昔若い頃遊んだとき以来最近は行ったことがないのだが、現在他の繁華街のような近代的な街へと変化していないことが、逆に「昔の繁華街」の雰囲気を色濃く残しているとして、近年は観光に来る人も増えているそうだ。
かつての新世界は、その独特の雰囲気で人々を惹きつけ、大阪市南区生玉前町(現天王寺区上汐町4丁目27。地図)生まれの織田作之助他の多くの小説の舞台ともなったが、一方周辺には飛田遊廓などもあったところなので街娼などが声をかけてくるなどあったため、一般の人がちょっと立ち入り難い側面もあったようだ。・・・私など全然気にならなかったが・・(^0^)。そこで1996(平成8)年、阪神・淡路大震災復興を機に新世界全体が改造され、家族連れも気軽に来られる雰囲気へとイメージチェンジが図られたそうだ。私は、昭和30年代後半から、東京で仕事をするようになった、東京の浅草へ遊びにいって浅草が非常に良く似た雰囲気のところだと思った。
浪速区では、「未来わがまちビジョン」に基づき、区民・企業・行政機関が協同して「住みよい明るいまちづくり」の実現を目指して、7月28日を「なにわの日」とし、経済、地域の活性化に向けて区内全域で独自事業を開催。 通天閣をメイン会場として、オープニングセレモニーやジャズコンサートを実施しているようで、このジャズコンサートが結構人気があるようだよ。以下参照。
浪速区”7 月28日は「なにわの日」記念イベントを開催”のお知らせ。
http://www.denden-town.or.jp/naniwa.htm
また、なにわ名物開発研究会 は、大阪一のいちびりを募集し、今日7月28日の「なにわの日」に発表を行うと共に、贈呈(も~て~)式を催すそうだ。
◆第10回なにわ大賞募集!(大阪一のいちびり募集!)
http://www.naniwa-meibutsu.com/taishou/index.htm
大阪弁で「いちびり」と言うのは、よく「ふざける」ことを「おちょける」と言い、そんなふざけてばかりいる人のことを「おちょけ」と言っっているが、そんな「おちょけ」てばかりいる人を「いちびり」と言ったりもしていると思うのだが、この「 いちびり」の語源は、"せり市で手を振って値の決定をとりしきること、また人のことをいう「市振り」から起こったと言われ、転じて物事のリーダーシップをとることや、その人のことをいう"・・・そうだ。単なるふざけるだけの「おちょけ」ではなくそこにリーダーシップも無くてはいけないんだね。「いちびり」ってえらいんだ~!!。
また、大阪へ出かけたときには、一度立ち寄ってみたいところではある。
(画像は、新世界界隈(南側)と通天閣。2007年4月現在。Wikipediaより)
浪速区 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AA%E9%80%9F%E5%8C%BA
大阪市浪速区
http://www.city.osaka.jp/naniwa/
なにわ名物開発研究会
http://www.naniwa-meibutsu.com/index.html
南蛮・なんば・なんばん語源の謎 鴨なんば 鴨なんばん
http://www10.ocn.ne.jp/~sobakiri/4-1.html
なにわいきいき情報館(大阪ポータルサイト)
http://naniwa-ikiiki.jp/
大阪木津地方卸売市場
http://www.shoku-sta.jp/
第5回内国勧業博覧会
http://www.lib-sakai.jp/kyoudo/kyo_digi/sakaikoutooohama/kyo_digi_nai.htm
「新世界NOW」 7月28日なにわの日制定記念「通天閣JAZZ LIVE」予告
http://blog.goo.ne.jp/shinsekainow/e/846b6dbb35e67c45f6bc2554662b0a5b
作家別作品リスト:No.40作家名: 織田 作之助
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person40.html#sakuhin_list_1
関西弁基礎講座 INDEX
http://homepage2.nifty.com/GANSO_hirokun/kouza00.html
Webでんでんタウン
http://www.denden-town.or.jp/index.html
「なにわの日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/fa783402d7776c1632c5de6d5bdeb5ef