今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

日光の日

2006-07-26 | 記念日
今日(7月26日)は「日光の日」
820(弘仁11)年、弘法大師が日光山を命名したそうだが、私自身今日(7月26日)が命名日であるとの確証はないのだが、いつも参考にしている「今日は何の日~毎日が記念日~」では、この日が命名日となっており、他の人もそれに倣っているいるようなのでそれを信じることとした。太古の昔より、日本人は、高い山々に、恐れと尊敬の念を抱き、そこには神がいると信じた山岳信仰があった。
関東平野の北方に聳える「男体山(なんたいさん)」も、そのような、神がいる山と信じられていた。今から約1200年程前の766(天平神護2)年、この地に修行に訪れた「勝道上人(しょうどうしょうにん)」が、「補陀洛山(ふだらくさん)」と命名した。補陀洛山」(梵語のPOTALAKA=観音浄土)について、「西域記(さいいきき)」には「山頂に池あり、その水鏡にして大河を流出す」と書かれているといい、男体山、中禅寺湖、大谷川(だいやがわ)を、それに見立てたものと言われている。中禅寺湖は人造湖を除く広さ4平方キロメートル以上の湖としては、日本一高い湖である。まさに西域記にあるとおりの光景だったのだろう。
以下参考の「日光ユネスコ協会のホームページ」の日光歴史年表を見ると、”日光、特に奥日光は古くからの猟場であったと思われ、男体山の中腹からは石のヤジリが発見されている。また、日光市内には16カ所の縄文・弥生遺跡があり集落跡や土器も発見されているが、古墳は発見されておらず、「歴史」以前の日光は狩猟民族マタギが先住民であったようで、日光山の開山は勝道上人とされているが、男体山山頂からはさらに古い時代の遺物も発見されており勝道上人以前から日光は信仰の山であったと考えられる。しかし、日光が「歴史」に登場するにはやはり勝道上人を待たなければならない。 ”と紹介されている。
この「補陀洛山(ふだらくさん)」が、後に「ふたらさん」と呼ばれるようになり「補陀洛」に「二荒」の字が当てられ、さらに音読みにより「二荒山(にこうさん)」となり、その後、820(弘仁11)年に「弘法大師空海」が来山し、「二荒」の字に「日光」を宛て「日光山(にっこうさん)」と改名されたといわれている。
このことは、芭蕉の文集「おくのほそ道」の「日光」にも「卯月朔日、御山(日光山)に詣拝す。往昔、此御山を「二荒山」と書しを、空海大師開基の時、「日光」と改給ふ。」と書かれている。
詳しくはこちら「芭蕉DB・おくのほそ道・日光」で。http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno051.htm
上記にも書かれている通り、何故、弘法大師空海が、「二荒」の字に「日光」を宛て「にっこう」と読ませたか?。その理由は明確ではないが、空海は真言宗の開祖である。真言宗は大日如来を本尊としており、「大日」とは「偉大なる太陽」を意味している。空海は真言宗布教の為にも、「二荒」の字に太陽のイメージを連想させる「日光」の字を宛てたのではないか?。もともと「日光」は山岳信仰の地でもあり、山岳信仰は太陽信仰と無縁ではない。今でも、正月などにご来光を山頂で迎えるという習慣が残っており、そのような理由で、「二荒」を「日光」と改名したのだろうと推測は出来るが、恐らく、当時、地元では、この改名に色々反対もあったであろうことは推測できる。
勝道上人により、日光が「歴史」に登場。江戸時代の1617(元和3)年、東照宮が祀られたとき、幕府は神領を寄進し、社殿を造営するなどしてあがめた。そして、日光東照宮への参詣の目的で日光街道がつくられ、「日光」という呼称が全国に広がり確定したと言われている。明治の神仏分離により、日光は神社の東照宮・二荒山神社、寺院の輪王寺の「二社一寺」の形式に分立した。
東照宮は神社であり、「二社一寺」ではなく「一宮一社一寺」ではないかと思われるかもしれないが、これは、東照宮は、1645(正保2)年11月に、宮号がおくられ社名が東照宮と改められるまでは、東照社(とうしょうしゃ)と呼ばれていたからである。この二社一寺のある場所一帯は日光山内(にっこうさんない) と呼ばれている。
今日、日光東照宮が全国的に有名であるが、二代将軍秀忠公により造営された創建当初の社殿は、20年後の1636(寛永13)年三代将軍 家光公により建て替えられ、今日の絢爛豪華な社殿群となった(「寛永の大造替」)。現在の国指定文化財(国宝、重文)の建造物は、その時建立された木殿や陽明門など35棟を中心にその前後に建立されたものや、大名の奉納による五重塔や石鳥居など55棟になる。1999(平成11)年 には、ユネスコの『世界遺産』にも登録された。
日光東照宮の表門をくぐって左に進むと、主な部分を塗っていない唯一の素木造りの建物がある。「神厩舎」といい、最初には徳川家康公が関ヶ原の合戦に乗馬された馬が奉納されていたといい、この厩舎は日本の神社建築史上 最初に境内に建てられたものだそうだ。 この長押の上には あの有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」など猿の彫刻が彫られているが、それは、猿は昔から 馬を病気から守るとされたためだそうだ。左から順に8面にわったって 猿の一生を描きながら 「人の生き方」 を伝えているという。
面白いので、今一度見てみる?日光東照宮 公式ページの神厩舎彫刻の解説を見ると良い。
日光東照宮 「神厩舎彫刻の解説」
ここ→http://www.toshogu-koyoen.com/toshogu/umagoya/index.html
(画像は、日光東照宮観光時購入のパンフレット)
参考:
(社)日光観光協会HP
http://www.nikko-jp.org/index.shtml
芭蕉DB/奥の細道
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/basho.htm
日光に関する基礎用語の解説
http://www.zuisousha.co.jp/tochigi/nikkore02.htm
日光東照宮 公式ページ
http://www.toshogu-koyoen.com/toshogu/
日光市立図書館HP/日光の古写真・絵図
http://lib.nikkocity.jp/picture/index.shtml
日光ユネスコ協会のホームページ
http://www.unesco.or.jp/nikko/index.html
修学旅行のための日光ガイド
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4616/0200.htm


夏氷の日

2006-07-25 | 記念日
今日(7月25日)は「夏氷の日」
日本かき氷協会が制定。夏氷とはかき氷のこと。
「な(7)つ(2)ご(5)おり」の語呂合せと、この日に日本の最高気温が記録されたことからとか。
夏氷とはかき氷、つまり、氷を砕いてシロップ等をかけた氷菓のこと。日本の夏の風物詩であり、夏の季語にもなっている。かき氷を売っている店では、氷旗(白地に赤い文字で「氷」と書かれた幟(のぼり))を掲げていることが多い。夏季に社寺の境内で催される祭礼や縁日などでは綿飴・たこ焼き・焼きそばとともに代表的な縁日物(えんにちもの)の一つともなっている。
「さじなめて 童たのしも 夏氷 」   (山口誓子)
俳人・山口誓子( やまぐち せいし)は、昭和初期に「ホトトギス」雑詠欄の新鋭として活躍。阿波野青畝、水原秋桜子、高野素十とともに名前の頭文字を取って『ホトトギス』の四S(よんエスの一人に数えられた俳人である。夏の暑い日に、一口すくってはさじをなめ、また一口すすってはさじをなめして、子供がかき氷を食べている様子が本当に楽しそうである。 
余談であるが、誓子は 1994年、92歳で死去。氏の遺産は、御遺志により神戸大学に寄贈された。残念ながら、誓子が住んでいた兵庫県西宮市苦楽園にあった屋敷は阪神・淡路大震災で崩壊し、代わりに句碑と記念碑が建てられている。今後西宮市の文学遺跡として、大事に保存されることになたようだ。 同じ地元に住むものとして、付け加えておく。
1933(昭和8)年の今日(7月25日)、山形市で日本の最高気温40.8℃が記録されたことから、今日は「最高気温記念日」にも登録されているが、夏のうだるような暑い日に、街などで、あの「氷旗」など見ると、どうしても、かき氷を食べたくなるよね。
でも、かき氷など、冷たいものを急いで食べると、その冷たさが喉の奥を刺激し、頭などが、「キーン!」と痛くなる。これは、その刺激に顔全体の知覚を司っている三叉神経が活動を始め、額やコメカミなど、直接触れているわけではない場所に刺激を受けたと脳が勘違いを起こして起こる関連痛で、「神経の勘違い」といわれる現象だそうだ。
かき氷の史実上の記録としては、平安時代に清少納言の『枕草子』第三十九段「あてなるもの」には”貴(あて)なるもの。淡色に、白がさねの汗衫。雁の卵。削り氷に甘葛入れて、あたらしき鋺(かなまり)に入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に、雪の降りかかりたる。いみじううつくしき稚児の、苺など食ひたる。”とあり、その中に「金属製の器に氷を刃物で削った削り氷(けずりひ)に蔓草の一種である甘茶蔓(あまちゃづる)・甘葛(あまかづら・あまづら)の甘味のある樹液である露をかけたとして、「削り氷にあまづら入れて、あたらしき金鋺(かなまり)に入れたる」の記述が見られる。また、紫式部の「源氏物語」」蜻蛉の巻の場面には、夏の暑い日、宮中の女房たちが夏の夕暮れ時に氷室から取り出した氷を割って、額や胸などに押し当てて涼をとる様子や、夏の盛り、源氏の君が青年達に氷室から出した氷を振舞う様子が描かれている。このようなことからも氷が当時の平安貴族の夏の贅沢な楽しみとされていたことをうかがい知ることが出来る。以下参考の「源氏物語の世界(本文・現代語訳両方あり)」の蜻蛉 第五章 薫の物語 明石中宮の女宮たちの第二段~第四段あたりを読まれるとよい。
ここ→http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/text52.html
又、以下参考の「源氏物語にみる平安時代の生活」の「女房の局~女房の日常~あてなるもの」のページでは、「削り氷に甘葛入れて、あたらしき鋺(かなまり)に入れたる。」の様子が、再現されている。
ここ→ http://f1.aaa.livedoor.jp/~heiankyo/co200601news5.htm
かき氷は天然氷を刃物の刃先で削ぎ落としたのが始まりとされているが、1882(明治15)年頃に博物学者のエドワード・S・モースが、かき氷を食べたことを自著に記しているという。
今のようなかき氷は昭和初期に手動の氷削機が普及し、一般化するが、今では、家庭用の電動のかき氷器も出来ており、我が家でも夏は、大活躍である。
以下参考の大阪府内を中心とした氷の卸販売業者が組織する「大阪氷卸協同組合」のWEBサイト「大阪純氷 」には、氷にまつわる面白い話が載っているので興味がありと覗くとよい。
あなたの性格をシロップで占う!「かき氷占い」・・・なんていうのもあるよ。ちょっとひんやりとした結果が出るかな?(^0^)
ここ→http://www.junpyou.or.jp/museum/uranai.html
氷のことや氷室のことは、私の以前のブログ今日(6月1日)は「氷の日」でも書いたので見てね。
しかし、暑いからといって、余り冷たいものを食べ過ぎて、お腹を壊さないように、くれぐれもご注意を・・・!
(画像の宇治金時のかき氷 は、フリー百科事典Wikipediaのものを借用)
参考:
かき氷 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%8D%E6%B0%B7
山口誓子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E8%AA%93%E5%AD%90
源氏物語の世界(本文・現代語訳両方あり)
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/
源氏物語にみる平安時代の生活
http://evagenji.hp.infoseek.co.jp/index.html
大阪純氷
http://www.junpyou.or.jp/>http://www.junpyou.or.jp/>http://www.junpyou.or.jp/


河童忌,我鬼忌,龍之介忌

2006-07-24 | 人物
7月24日「河童忌,我鬼忌,龍之介忌」
1927(昭和2)年7月24日、小説家の芥川龍之介が多量の睡眠薬を飲んで自殺した。俳号、我鬼から「我鬼忌」。代表作の『河童』から、「河童忌」と名附けられた。
芥川 龍之介は、1892(明治25)年3月1日東京都に生まれる。名前の由来は辰年辰月辰日の辰刻に生まれたため、龍之介と名づけられたといわれている。
生後7ヵ月後ごろに母が発狂したため、母の実家である芥川家に預けられる。東京帝国大学進学後、第三次『新思潮』を刊行し、翌年「羅生門」を発表。「鼻」で夏目漱石に認められ、文壇に入る。王朝もの、近世初期のキリシタン文学、江戸時代の人物・事件、明治の文明開化期など、さまざまな時代の歴史的文献に題材をとり、スタイルや文体を使い分けたたくさんの短編小説を書いた。
1921(大正10年)には中国を旅行をするが、この旅行後から次第に心身衰えはじめ、神経衰弱、腸カタルなどを病み、1923(大正12)年には湯河原へ湯治に赴く。そして、自身の創作にも影響を及ぼしはじめ作品数も減ってゆくが、このころから私小説的な傾向の作品が現れ、この流れは晩年の「歯車」「河童」などへとつながっていく。翌・1926(昭和元)年、胃潰瘍・神経衰弱・不眠症などが高じて再び湯河原で療養。1927年1月、義兄の西川豊が放火の嫌疑をかけられて自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。4月より「文芸的な、余りに文芸的な」で谷崎潤一郎と文学史上有名な論争を繰り広げる。互いに一歩も引かず論を戦わせた芥川と谷崎だが、格別仲が悪かったわけではなく、むしろ親交は厚かったという。
1927(昭和2)年の夏は異常な暑さだったという。7月22日にキリストにみずからを投影した『西方の人』の続編『続西方の人』を脱稿できなかった芥川は、翌日深夜それを仕上げた後、24日となった午前2時ごろ致死量の薬物を飲み自らの命を絶った。枕頭には聖書が残され、又、絶筆『続西方の人』も「クリストの一生」は「天上から地上へ登るために無残にも折れた梯子である」という誤記(地上から天上への誤り)ともとれるくだりが、なにやら意味深長な表現と見えてくる。保険金詐欺の容疑を受けた義兄の自殺と遺族の世話、友人宇野浩二の発狂、精神病の母からの遺伝の恐怖、精神衰弱からくる不眠症、「円本」宣伝の講演旅行の疲れ、等々が重なって芥川を苦しめていたが、遺書『或旧友へ送る手記』では、自殺の動機を「唯ぼんやりとした不安」であるとしている。新聞各紙は一作家の死を異例の大きさで扱い、大阪日日新聞は「大きな時代の影」と報じたという。1916(大正5)年、『鼻』が夏目漱石に賞賛されて以来、文壇の花形となった作家芥川の死は、まさに、大正時代の終焉を象徴する事件と受け止められていたようだ。(アサヒクロニクル・週刊20世紀より)
その「ぼんやりとした不安」には、マルクス主義と言う「科学的思想」の台頭の前に敗れ去るブルジョワ文学の行く末を感じ、知識人の危機意識の漂白を見たものも多かったという。明敏な知性によって導かれた文学世界の担い手であった芥川が最後の力を振り絞った『河童』身辺小説の『歯車』、そして、執筆活動とかかわってきた半生を描く『或る阿呆の一生』などには、鬼気迫る不安や恐怖、そして、困憊がにじんでいる。死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川賞」を設けた。芥川賞は直木賞と並ぶ文学賞として現在まで、続いている。又、彼の作品『藪の中』は、黒澤明によって、三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬ほか 出演により映画化(タイトルは『羅生門』と改称)され、日本映画初のヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したことでよく知られている。
芥川の作品の多くは短編で、「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」など、『今昔物語』『宇治拾遺物語』などの古典から題材をとったものが多い。
芥川の作品は、初期と晩年でかなり違うと言われる。これはまた、多くの作風を試みたことを表しており、多くの支持者を持つ要因の1つでもあろう。
芥川は「蜘蛛の糸」『杜子春』など、子供向けのものも多い。
芥川は幾篇かの童話を作っているが、その処女作が仏教童話ともいうべき『蜘蛛の糸』であった。
悪業の限りをつくし、地獄へ落とされた大泥棒の陀多。人を殺し、家に火をつけることをためらわなかった男が、一匹の蜘蛛の命を無駄に奪わず済ませたことがあった。陀多の中にも、一片の慈悲の心があったのである。そのことを思い出されたお釈迦様は、血の池でもがく彼の頭上に救いの糸をお降しになるが…。『杜子春』 は、唐の都に暮らす一文無しの若者、杜子春は、春の夕方、不思議な老人と出会い仙人の道をめざす旅に出た。中国の伝記鄭還古の「杜子春伝」に材を取った芥川の童話であるが、『蜘蛛の糸』の童話は芥川自身の他の童話である『杜子春』や、『白』などに共通する「論理的な美しさ」、「明るくて暖かい人間尊重の気持ち、素直で親しみのある人道的思想」とも全く相容れぬ種類のものでむしろ「どこか澄み切らぬ、割切れない趣」を残しているが、この『蜘蛛の糸』は、生死の瀬戸際に立った場合の利己主義つまり、人間のうちに潜む本来の醜さを、人間が生きて行く為には必要であるとさえ感じさせるエゴイズムの難しい問題を提起しているが、芥川の作品には、明らかに、子供も対象とした工夫が見られる。この作品は「世界一受けたい授業」(日本テレビ系列)で「今や何十カ国で翻訳され、日本を代表する名作といっても過言では無く、同時に知っていないと日本人として恥ずかしい」と紹介されたという。私は、子供の頃お寺で、お坊さんから聞かされた記憶がある。
日本にはすばらしい童謡が沢山あるが、私は、芥川の童謡も大好きである。ほかに、『三つの宝』『犬と笛』『トロッコ』『魔術』『桃太郎』などなど・・・ところで、こんなワルい『桃太郎』のお話があったのをあなたは知っていましたか?。私も、子供の頃には、芥川の小説は、難しいという印象があって、特に好きになれなかったが、大人になって読み直してみると本当に面白い。幸い、短編ばかりなので、是非また、この機会に芥川の童話など再読して見るとよい。童話というと「子供のためのもの」と思いがちだが、童話に年齢の垣根はない。いくつになっても、良い童話は心に響くものだ。きっと新たな発見があると思うよ。
そうだ、『妙な話』・・というタイトルの短編があるが、そのタイトルの通り、不思議な話である。この短編は、声優ナレーター(アクセント所属)佐々木 健が、ブログ上で、読み聞かせをしている。全部で18分ほどなので2回に分割しているが、ネット上で、朗読を聴くのも良いと思いませんか。以下参考の「STORYTELLER BOOK ポッドキャスティング by 心尽」にあります。音声ファイルは以下にあります。
音声ファイル芥川龍之介「妙な話」(2/1)
http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/12_37bc.html
音声ファイル芥川龍之介「妙な話」(2/2)
http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/22_ea02.html
他にもボランティアグループの方たちの、『蜘蛛の糸』他芥川龍之介作品の朗読が以下にあります。
朗読作品メニュー・芥川龍之、『蜘蛛の糸』他10話。
http://hayamimi.net/~hayamimi/roudoku/menu_akutagawa.html
(画像は、日本の童話名作選芥川 龍之介「蜘蛛の糸」作:芥川 龍之介)
参考:
芥川龍之介-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E7%AB%9C%E4%B9%8B%E4%BB%8B
芥川龍之介ファンページ
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/3673/
芥川龍之介「西方の人」「続西方の人」徹底検証
http://homepage2.nifty.com/snowwolf/akutagawa.htm
菊池寛 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E5%AF%9B
大阪日日新聞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%97%A5%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E
マルクス主義 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
STORYTELLER BOOK ポッドキャスティング by 心尽・TOPページ
http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/
音のボランティア・朗読作品メニュー
http://hayamimi.net/~hayamimi/roudoku/menu.html

文月ふみの日

2006-07-23 | 記念日
今日(7月23日)は、「文月ふみの日」
郵政省(現在の日本郵政公社)が1979(昭和54)年から実施。毎月23日は「ふ(2)み(3)」の語呂合せから。ふみの日を契機に手紙を書くことを普及・啓発させる運動を展開している。
日本では、旧暦7月を文月(ふみづき、ふづき)と呼び、現在では新暦7月の別名としても用いる。このように、7月の旧称が「文月」であることから、ふみの日の中でも、毎年7月のふみの日は、特別に「文月ふみの日」として、ふみの日にちなむ郵便切手が発行されるほか、様々なイベントが行われている。
今年、2006(平成18)年の「ふみの日」にちなむ郵便切手は、7月21日(金)に発売された。
今年のテーマは「百人一首」。江戸時代の「光琳(こうりん)かるた」の絵柄から、春、夏、秋、冬、恋の歌が一首ずつ選ばれている。50円郵便切手シート、80円郵便切手シートがある。
詳しくは、ゆうびんホームページの「日本の雅(みやび)を伝えたい/ふみの日『百人一首(ひゃくにんいっしゅ)』切手 ~『ふみの日』にちなむ郵便切手~」に案内されている。
文月(ふづき・ふみづき) の 語源の由来は、7月7日の七夕に短冊に歌や書をしたためた文を供えその上達を祈った「文披月(ふみひらきづき)」と 呼ばれていた行事が転じたとする説が有力。しかし、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、もともと日本にはない風習なので、稲の穂が含む月であることから「穂含月(ほふみづき)」や「含月ふくみづき」から転じたと言う説もある。
七月には、「文月 (ふみづき・ふづき)」、「文披月(ふみひらきづき)」「穂含月ほふみづき」や「含月ふくみづき」のほかにも、「書披月 (ふみひろげづき)」「相月 (あいづき)」「秋初月 (あきそめつき)」「女郎花月 (おみなえしつき)」「七夕月 (たなばたつき)」「親月 (ふづき)」「愛合月 (めであいづき)」「新秋 (しんしゅう)」「初秋 (はつあき・しょしゅう)」「孟秋 (もうしゅう)」「涼月 (りょうげつ)」などの異名があるようだ。日本独特のみやびな月の異称である。 このようなきれいな日本語を使って、歌や文書が書けたら素敵だよね。
今日・7月23日(日)は、大暑(たいしょ) 。小暑から数えて15日目。梅雨も明け暑さの真っ盛りです。暦便覧には「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されている。
夏の土用が大暑の数日前から始まり、大暑の間じゅう続く。小暑と大暑の一ヶ月間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送る。
ただ、7月の和風月名は旧暦の季節や行事に合わせたもので、現在の暦でも使用されることがあるが、現在の季節感とは1~2ヶ月ほどのずれがあるので、現代の手紙などにはちょっと使いにくいよね。
「梅雨明けて息つく間もないこの暑さでは誠にたえがたく、それこそ、一雨欲しい今日この頃ですが皆様にはますますご健勝の事と存じます。いつも一方ならぬお力添えにあずかり、今のところはなんとかこのブログも継続することことが出来ています。この場をもって、今までのご愛読のお礼を一言申しあげます。誠にありがとうございした。これからも、頑張って少しでも長く続けてまいりたいと思いますので、今後とも、よろしくご指導のほどをお願い申し上げます。最後になりましたが、皆様も時節柄、くれぐれもお身体をおいといください。」・・なんて紋切り型の文書で締めくくるつもりだったが、・・・まだ梅雨が明けない・・・その上各地で、集中豪雨。大変な被害が出ているが、被害者の方々には本当にご同情申しあげます。一日も早い梅雨明けを祈っています。梅雨が明けると猛暑になるので、皆さんも十分体調維持にお気をつけくださいね。 私も、今日は鰻の蒲焼でも食べてスタミナつけよう~と・・・。 
「暑中見舞のことについては、私の以前のブログ今日(6月15日)は、「暑中見舞いの日」で書いたので、そこで見てね。       
(画像は、ふみの日「百人一首」切手10枚/シートの一部 。伊勢大輔 。八重桜 。書 :小山 やす子)
参考:
日本郵政公社
http://www.japanpost.jp/
ゆうびんホームページ
http://www.post.japanpost.jp/
7月 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%88
七夕の起源・中国での起源
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/tn00a3.htm
ちょっと便利帳(福島中央TV)/二十四節気
http://www.fct.co.jp/benri/koyomi/tuki.html
時候の挨拶(月別の手紙用語)
http://www5.ocn.ne.jp/~ys2001/page8-jikouu.html
直子の代筆
http://www.teglet.co.jp/naoko/intro.php?IntroEnd=1

ナッツの日

2006-07-22 | 記念日
今日(7月22日)は「ナッツの日」
日本ナッツ協会が1996(平成8)年12月に制定し、1997(平成9)年から実施。
ナ(7)ッ(2)ツ(2)」の語呂合せ。
goo-国語辞典 で、ナッツ [nuts] を見ると、”クルミ・アーモンド・ピーナッツなど、堅い殻をもち、食用とされる果実の総称”とある。
自然からの贈り物「ナッツ」(木の実)は、人類の歴史の中でも古代から、貴重な保存食としてだけでなく神事や催事などの供物にも利用されていた。
例えばクルミは、紀元前7000年頃から人類が食用としていた最古のナッツと言われ、原産地のイランから地中海を渡りヨーロッパに伝えられたという。紀元前のエジプトでも国王の墓には必ず棺の中にクルミなどのナッツ類が供えられていたそうだ。また、アーモンドの起源も古く、4000年以上前、地中海沿岸のヨルダン地方が原産地と考えられているが、その後世界中で広く栽培されるようになり、中世頃までは王侯貴族や上流階級の人々の高級嗜好品だったという。
一口に「ナッツ」と言っても実に様々な種類のものが世界各地で食用とされていたが、もちろん日本においても、古代よりナッツは欠かせない食材で、縄文時代からドングリやトチの実、栗、クルミなどを食べていた。 今でもちょっと裏山に登るとどこにでも見られるドングリ。goo-国語辞典 で ドングリ(団栗)を調べると、カシ類・コナラ・クヌギなどのブナ科ナラ属の果実の俗称。楕円形または卵円形の堅果で、その下部が椀形または皿形の殻斗で包まれる。クヌギの実をいうことが多いとあり、「ドングリの背比(せいくら)べ」と言うように、どれもこれも平凡で、特にすぐれたもののないことのたとえに使われているが、・・、日本には亜種を含めて19種類のドングリの木があるそうで、食べられるドングリはスダジイ、マテバシイ、ミズナラ、コナラなどで、特にシイの類は生でも食べることができ、縄文時代にはこのドングリを主食としていたようだという。(以下参考の「ドングリ入門」参照)
そして、縄文時代の保存食として「縄文クッキー」といわれるものがあるという。この成分を分析すると、ニホンシカやイノシシなどの肉に栗やクルミなどのでんぷん質を加え、野鳥の卵の材料に塩と野生酵母を加えて焼いたものであったいうが、これが、本当にそのような保存食として作られたものかどうかについては異議もあるようだ。しかし、栄養価も高く、そのままでも優秀な保存食としての役割は果たしていたであろうドングリ、「すぐれたもののないことのたとえ」に使われるのは、ちょっとかわいそうではないかな?
時代が下って船での外国との往来が出来るようになると、日本原産でないナッツ類もどんどん日本に上陸してくるようになる。ヨーロッパに伝えられたクルミは、ペルシャグルミの名が付いたといわれ、このペルシャグルミが東回りして中国(胡)、朝鮮から日本に渡ったことから、「胡桃(くるみ)」と呼ばれるようになった。 又、アーモンドが日本に渡来したのは、江戸時代に南蛮船でポルトガル人が持ち込んだのが最初と言われている。アーモンド粒の形状が偏平なことから和名を「扁桃(へんとう)」と呼び、咽頭部の両側にあるリンパ組織の形がこれに似ていることから「扁桃腺」の語源となったという。
このアーモンドの木は、バラ科さくら属で、その花は桜や桃に大変よく似た五弁の淡いビンク色の可愛いもので2~3月にかけて一斉開花する。
わが地元神戸市の東灘区深江浜町30番地に、アーモンドの菓子類を製造している東洋ナッツ食品㈱というところがある。この工場では、1986年以来、震災で3年間の中断はあったがその後も毎年、「アーモンドフェスティバル」を開催している。私も数年前に新聞に掲載されているのを見て知り、工場へ見物に出かけたが、なんでも、カリフォルニアの得意先からアーモンド苗木を譲り受け、その苗木を工場前庭に移植したものだそうだ。阪神の深江の駅から、工場までの道路際にも植えられており、桜より少し早い時期に花見が出来て、年々好評のようだ。会場内で販売のアーモンド食品は工場直売なので市価より安く買えアーモンドの好きな人はこれを買いたくて来る人もいるようである。京阪神の方は一度行かれて見るのも良い。
そういえば、「アーモンドフェスティバル」に行ったとき、アーモンドの種をお土産に貰ったが、なくしてしまったな~。
現在、食品としてのナッツ類は、栄養価の高い高カロリー食品であることはよく知られているが、最近の食品科学者の多くは、「ナッツは健康食」として推奨しているようだ。日本ナッツ協会HPに書かれていることによると、例えば、1995年アメリカ農務省によるフードガイドピラミッド(食物指針)の中では、「ナッツは、植物性食品であり、コレステロールがなく、身体によい良質な脂肪に富み、たんぱく質、ビタミン、ミネラル、食物繊維の重要な供給源であるため、ナッツの消費を推奨すべきである。」とし、ナッツを健康食品の一部として毎日適量の摂取を薦めている。また、アメリカのダイエット専門誌「Health」は「ナッツは健康ダイエットに不可欠な栄養素を多く含んでいる。率直にいって、みんなにナッツを食べるように薦めるべきだ。」と言っているそうだ。これを信用してダイエットしてみる・・・。(^0^)
(画像はアーモンドの花)
参考:
日本ナッツ協会
http://www.jna-nut.com/
ドングリ入門
http://moritetsu.net/donguri/donguri.html
ドングリ-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA
ドングリ図鑑
http://www.ecoweb-jp.org/J.acorns.html
縄文時代の加工食品炭化物
http://www.jomongaku.net/note/kakoshokuhin.html
東洋ナッツ食品 株式会社
http://www.toyonut.co.jp/index1.html