権威主義はスノビズムを涵養する
スノッブは価値基準というものを
己の裡にもたない
それ故
そう呼ばれる
判断は常に第三者の意見に基づく
それが権威であればあるほど
安心して
ただ盲従する
戦後の教育は権威主義によって
維持運営されてきた
批判を許さない全体主義的な風潮は
効率的な教育を施すには有効ではあったが
成長期の子供たちから
反抗する機会を取り上げるようになっていった
過度期には学生運動という反抗的な行動がみられたが
共産主義国家のソ連が消滅してしまったことにより
論理的根拠を失った者たちは
己を捨てて
順応する道を選ぶようになり
学校はブランド化することが容易になった
子供たちの健全な成長を促すには
反抗すべき時期に
それを実行させることが必要なのだ
行為者は結果から学ぶことができる
効率を重視して反抗機会を取り上げていた教育機関は
健全な成長を自らの手で阻害する原因になっていた
教育に効率を持ち込むと
教える側の成果だけを評価し
学習プロセスを却って蔑ろにするようになる
価値判断などというものは
権威になってからするものだ
という強い思い込みがこの国に蔓延している
権威的立場に至るまでの間
決して逆らってはならない
反逆は権威へと至る最も遠い道
効率から見ると
最悪の方法になっている
教育される側の者は
権威を決して批判してはならない
この条件を徹底的に刷り込まれて
子供たちは
予め方向づけられて成長する時代が
いまも続く
これが知育偏重の教育へとシフトさせたものの
正体
価値基準となるものを権威に依存するようになると
自らの価値判断を勝手に否定し
権威の判断だけを受け入るようになる
これは洗脳に等しい
スタンダードを持てなくなった者たちは
星の数でステータスや価値を判断したり
プランドの名前で満足したりするようになり
差別化するための条件を
好んで手に入れたがる行動をとる
批判精神のないところに
価値は宿らない
成立しない価値は幻想に過ぎない
実体のない価値をそのまま受け入れてきたのが
戦後教育の洗礼を受けて指導的立場にある者たち
政界 官界 財界 教育界などで
権威として自ら振る舞っている一群のこと
これら
権威を自認する全てのひとびとの姿に
俗物性が顕著に見られる
国民のための政治は
権威のための政治へと夙に変貌を遂げていた
健全な批判精神は
適切かつ果断な判断力を育む
批判を許さない権威主義者たちは
権威に従う者だけを組織のウチに集めたがる
温和で従順
好成績の学生だけをよりスグってきた企業ほど
活性を早く失い
衰退していく道を辿る傾向にある
健全な判断能力を失った指導者たちは
不適切な認識の虜となる
なすべき決断を先送りして
流されるがままの道を
好んで選ぶ
そして
国民は
苦しみに喘ぐことしかできなくなるのだ
実行力のない国会を
戴かざるを得なくなった国民は
佇立して耐えるのみ
国が大きく劣化してしまったのは
紛れもなく
教育が陥った泥沼の
その結末のひとつなのだ
権威が常に正しかったのであれば
原発は水素爆発など引き起しはしなかった
国の借金が千兆円の大台を超えることも
間違いなく なかった
止まらない円高と
止まらない温暖化には
それぞれ共通の理由がある
俗物だらけの社会は
責任を取らないで済む政治システムに安住し
ぬるま湯から抜け出せなくなっていく
民主主義は本来
優れた判断能力をもつ国民だけが
正しく運用することができるもの
権威に偏った教育は
常に判断を謝らせる
国の現状がそのなによりの証拠である
過去に夥しい数の判断を誤っておきながら
その責任を取った政治家はこれまで
ひとりとして存在しない
腐った民主主義は
結果として
アンチテーゼとしての独裁を選ばせる
ヒットラーはその最適な見本として歴史に残る
教育に健全性を取り戻す機会を与えれば
民主主義は蘇生する
批判を許容しない
権威主義で運営されている学校教育は
はけ口を求める子供たちが
ガス抜きを図るための
いじめの場になっていく
権威主義者というものは
一律に権威主義的に振る舞おうとする者共を
無条件で再生産するものなのだ
国会には
責任を一向に取ろうとしない
有害な政治家が多数繁茂し
夏草のように赤絨毯を覆い隠している
責任を引き受ける覚悟をもった
優れた指導者を国民が待ち望むようになったのは
権威主義的な愚劣な教育によって失った
前向きの批判精神と
高い判断能力とを
取り戻すためのプロセスが
必要な時代になったから
日本と世界を変えるきっかけとなる木の実のタネが
つい先日
大阪で双葉になった
育つ経過を観察すれば
趨勢の赴く先が見えてくるだろう
国民は一人ひとりの立場で
それぞれ独自の批判精神を以って
この変化が生む成り行きを見守っていかなければならない
これまでに刷り込まれてきた権威によるスノビズムと
この段階でしっかりと対峙する
ことが
日本による地球の再生を実行させるための最大の因子となる
価値は感性にのみ宿る
増長した教育は
やっとの思いで手に入れた民主主義を
かくも貶めるような
粗悪な経過を残すものとなった
その理由を再確認するときが
漸く
いま
地表へとやってきた
スノッブは価値基準というものを
己の裡にもたない
それ故
そう呼ばれる
判断は常に第三者の意見に基づく
それが権威であればあるほど
安心して
ただ盲従する
戦後の教育は権威主義によって
維持運営されてきた
批判を許さない全体主義的な風潮は
効率的な教育を施すには有効ではあったが
成長期の子供たちから
反抗する機会を取り上げるようになっていった
過度期には学生運動という反抗的な行動がみられたが
共産主義国家のソ連が消滅してしまったことにより
論理的根拠を失った者たちは
己を捨てて
順応する道を選ぶようになり
学校はブランド化することが容易になった
子供たちの健全な成長を促すには
反抗すべき時期に
それを実行させることが必要なのだ
行為者は結果から学ぶことができる
効率を重視して反抗機会を取り上げていた教育機関は
健全な成長を自らの手で阻害する原因になっていた
教育に効率を持ち込むと
教える側の成果だけを評価し
学習プロセスを却って蔑ろにするようになる
価値判断などというものは
権威になってからするものだ
という強い思い込みがこの国に蔓延している
権威的立場に至るまでの間
決して逆らってはならない
反逆は権威へと至る最も遠い道
効率から見ると
最悪の方法になっている
教育される側の者は
権威を決して批判してはならない
この条件を徹底的に刷り込まれて
子供たちは
予め方向づけられて成長する時代が
いまも続く
これが知育偏重の教育へとシフトさせたものの
正体
価値基準となるものを権威に依存するようになると
自らの価値判断を勝手に否定し
権威の判断だけを受け入るようになる
これは洗脳に等しい
スタンダードを持てなくなった者たちは
星の数でステータスや価値を判断したり
プランドの名前で満足したりするようになり
差別化するための条件を
好んで手に入れたがる行動をとる
批判精神のないところに
価値は宿らない
成立しない価値は幻想に過ぎない
実体のない価値をそのまま受け入れてきたのが
戦後教育の洗礼を受けて指導的立場にある者たち
政界 官界 財界 教育界などで
権威として自ら振る舞っている一群のこと
これら
権威を自認する全てのひとびとの姿に
俗物性が顕著に見られる
国民のための政治は
権威のための政治へと夙に変貌を遂げていた
健全な批判精神は
適切かつ果断な判断力を育む
批判を許さない権威主義者たちは
権威に従う者だけを組織のウチに集めたがる
温和で従順
好成績の学生だけをよりスグってきた企業ほど
活性を早く失い
衰退していく道を辿る傾向にある
健全な判断能力を失った指導者たちは
不適切な認識の虜となる
なすべき決断を先送りして
流されるがままの道を
好んで選ぶ
そして
国民は
苦しみに喘ぐことしかできなくなるのだ
実行力のない国会を
戴かざるを得なくなった国民は
佇立して耐えるのみ
国が大きく劣化してしまったのは
紛れもなく
教育が陥った泥沼の
その結末のひとつなのだ
権威が常に正しかったのであれば
原発は水素爆発など引き起しはしなかった
国の借金が千兆円の大台を超えることも
間違いなく なかった
止まらない円高と
止まらない温暖化には
それぞれ共通の理由がある
俗物だらけの社会は
責任を取らないで済む政治システムに安住し
ぬるま湯から抜け出せなくなっていく
民主主義は本来
優れた判断能力をもつ国民だけが
正しく運用することができるもの
権威に偏った教育は
常に判断を謝らせる
国の現状がそのなによりの証拠である
過去に夥しい数の判断を誤っておきながら
その責任を取った政治家はこれまで
ひとりとして存在しない
腐った民主主義は
結果として
アンチテーゼとしての独裁を選ばせる
ヒットラーはその最適な見本として歴史に残る
教育に健全性を取り戻す機会を与えれば
民主主義は蘇生する
批判を許容しない
権威主義で運営されている学校教育は
はけ口を求める子供たちが
ガス抜きを図るための
いじめの場になっていく
権威主義者というものは
一律に権威主義的に振る舞おうとする者共を
無条件で再生産するものなのだ
国会には
責任を一向に取ろうとしない
有害な政治家が多数繁茂し
夏草のように赤絨毯を覆い隠している
責任を引き受ける覚悟をもった
優れた指導者を国民が待ち望むようになったのは
権威主義的な愚劣な教育によって失った
前向きの批判精神と
高い判断能力とを
取り戻すためのプロセスが
必要な時代になったから
日本と世界を変えるきっかけとなる木の実のタネが
つい先日
大阪で双葉になった
育つ経過を観察すれば
趨勢の赴く先が見えてくるだろう
国民は一人ひとりの立場で
それぞれ独自の批判精神を以って
この変化が生む成り行きを見守っていかなければならない
これまでに刷り込まれてきた権威によるスノビズムと
この段階でしっかりと対峙する
ことが
日本による地球の再生を実行させるための最大の因子となる
価値は感性にのみ宿る
増長した教育は
やっとの思いで手に入れた民主主義を
かくも貶めるような
粗悪な経過を残すものとなった
その理由を再確認するときが
漸く
いま
地表へとやってきた