こ と の 端

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俗 物 根 性

2011-12-04 08:13:28 | Weblog
権威主義はスノビズムを涵養する

スノッブは価値基準というものを

己の裡にもたない

それ故

そう呼ばれる

判断は常に第三者の意見に基づく

それが権威であればあるほど

安心して

ただ盲従する


戦後の教育は権威主義によって

維持運営されてきた

批判を許さない全体主義的な風潮は

効率的な教育を施すには有効ではあったが

成長期の子供たちから

反抗する機会を取り上げるようになっていった

過度期には学生運動という反抗的な行動がみられたが

共産主義国家のソ連が消滅してしまったことにより

論理的根拠を失った者たちは

己を捨てて

順応する道を選ぶようになり

学校はブランド化することが容易になった


子供たちの健全な成長を促すには

反抗すべき時期に

それを実行させることが必要なのだ

行為者は結果から学ぶことができる

効率を重視して反抗機会を取り上げていた教育機関は

健全な成長を自らの手で阻害する原因になっていた


教育に効率を持ち込むと

教える側の成果だけを評価し

学習プロセスを却って蔑ろにするようになる


価値判断などというものは

権威になってからするものだ

という強い思い込みがこの国に蔓延している

権威的立場に至るまでの間

決して逆らってはならない

反逆は権威へと至る最も遠い道

効率から見ると

最悪の方法になっている

教育される側の者は

権威を決して批判してはならない

この条件を徹底的に刷り込まれて

子供たちは

予め方向づけられて成長する時代が

いまも続く

これが知育偏重の教育へとシフトさせたものの

正体


価値基準となるものを権威に依存するようになると

自らの価値判断を勝手に否定し

権威の判断だけを受け入るようになる

これは洗脳に等しい


スタンダードを持てなくなった者たちは

星の数でステータスや価値を判断したり

プランドの名前で満足したりするようになり

差別化するための条件を

好んで手に入れたがる行動をとる


批判精神のないところに

価値は宿らない

成立しない価値は幻想に過ぎない

実体のない価値をそのまま受け入れてきたのが

戦後教育の洗礼を受けて指導的立場にある者たち

政界 官界 財界 教育界などで

権威として自ら振る舞っている一群のこと

これら

権威を自認する全てのひとびとの姿に

俗物性が顕著に見られる

国民のための政治は

権威のための政治へと夙に変貌を遂げていた


健全な批判精神は

適切かつ果断な判断力を育む

批判を許さない権威主義者たちは

権威に従う者だけを組織のウチに集めたがる

温和で従順

好成績の学生だけをよりスグってきた企業ほど

活性を早く失い

衰退していく道を辿る傾向にある


健全な判断能力を失った指導者たちは

不適切な認識の虜となる

なすべき決断を先送りして

流されるがままの道を

好んで選ぶ

そして

国民は

苦しみに喘ぐことしかできなくなるのだ


実行力のない国会を

戴かざるを得なくなった国民は

佇立して耐えるのみ

国が大きく劣化してしまったのは

紛れもなく

教育が陥った泥沼の

その結末のひとつなのだ


権威が常に正しかったのであれば

原発は水素爆発など引き起しはしなかった

国の借金が千兆円の大台を超えることも

間違いなく なかった

止まらない円高と

止まらない温暖化には

それぞれ共通の理由がある


俗物だらけの社会は

責任を取らないで済む政治システムに安住し

ぬるま湯から抜け出せなくなっていく

民主主義は本来

優れた判断能力をもつ国民だけが

正しく運用することができるもの

権威に偏った教育は

常に判断を謝らせる

国の現状がそのなによりの証拠である


過去に夥しい数の判断を誤っておきながら

その責任を取った政治家はこれまで

ひとりとして存在しない

腐った民主主義は

結果として

アンチテーゼとしての独裁を選ばせる

ヒットラーはその最適な見本として歴史に残る


教育に健全性を取り戻す機会を与えれば

民主主義は蘇生する

批判を許容しない

権威主義で運営されている学校教育は

はけ口を求める子供たちが

ガス抜きを図るための

いじめの場になっていく

権威主義者というものは

一律に権威主義的に振る舞おうとする者共を

無条件で再生産するものなのだ


国会には

責任を一向に取ろうとしない

有害な政治家が多数繁茂し

夏草のように赤絨毯を覆い隠している


責任を引き受ける覚悟をもった

優れた指導者を国民が待ち望むようになったのは

権威主義的な愚劣な教育によって失った

前向きの批判精神と

高い判断能力とを

取り戻すためのプロセスが

必要な時代になったから

日本と世界を変えるきっかけとなる木の実のタネが

つい先日

大阪で双葉になった

育つ経過を観察すれば

趨勢の赴く先が見えてくるだろう


国民は一人ひとりの立場で

それぞれ独自の批判精神を以って

この変化が生む成り行きを見守っていかなければならない

これまでに刷り込まれてきた権威によるスノビズムと

この段階でしっかりと対峙する

ことが

日本による地球の再生を実行させるための最大の因子となる

価値は感性にのみ宿る

増長した教育は

やっとの思いで手に入れた民主主義を

かくも貶めるような

粗悪な経過を残すものとなった

その理由を再確認するときが

漸く

いま

地表へとやってきた
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