2017年1月2日(月)~3日(火)
『山野歩』
<大峰奥駈け>
[コースタイム]
◆1月2日
[吉野駅]8:05→8:43[金峯山寺]→9:50[水分神社]→10:24[金峯神社]10:50→11:22[青根ヶ峰]→12:28[心見茶屋跡]→13:48[四寸岩山]13:53→15:35[二蔵宿小屋]
◆1月3日
[二蔵宿小屋]3:35→5:42[大天井ヶ岳]→7:13[五番関]7:30→10:00[今宿跡]→11:51[洞辻茶屋]12:40→14:04[一本松茶屋]→[清浄大橋]→[毛又大橋]→(乗用車で送って戴く)→[下市口駅]
<懸命に攀じる>
今回の大峰山行は、雪との戦いではなく外反母趾から生じる痛みとの戦いと言っても過言ではなかった。昨年、山の店で雪山靴の外反母趾対応の補修を二度して戴いたが、再度お願いしなければならない。再補修することなく、この雪山靴を履いて山に行く勇気はない。
今回の山行で反省しなければならないのは「大丈夫だろう…」と安易に考えたことだ。それは[今宿跡]から暫くの処にあった鎖場を、アイゼンを履かずに登ったことにある。トラロープもあったゆえ、それらを使用して上れるのだろうと安易に考えたのが間違いであった。鎖は所々で凍りつき岩にくっ付いて滑ってしっかりと掴むことが出来なかったが、ロープを頼りに半ば凍っている雪を被った岩場を登る。ところが、9割方登った処でトラロープが無くなったのだ。ザックを降ろしてアイゼンとピッケルを出そうかと思案したが、ザックを降ろせる状況ではなかった。足下の雪を掃い凍っていないスタンスになりそうな岩を探すと、ささやかだが、小さな尖がりのある岩を見つけた。そっと左足先を乗せ、右手で千切れそうな細い草枝木を持ち僅かに立ち上がり、次に丸い岩を抑え気味して、それより1㍍余りを、至極微妙なバランスで登った。「落ちてはいけない」「二度目の事故はあってはならない」という思いで懸命に攀じった。
嬉しかったことが一つある。それは、洞川までの舗装道路を一時間ほど疲れ切ってトボトボと歩き、7割方歩いたころ、後方より車のクラクションが鳴り、「乗りませんか?」との声が掛かった。「洞川のバス停まで」ということで、乗せて戴いたのだが、結果的には下市口駅まで送ってもらうことになった。疲労困憊の態にあったゆえ、ほんとうにありがたかった。山上ヶ岳と稲村ヶ岳に登っての帰りだそうで、これから奥様の実家である平群まで帰るのだとおっしゃった京都にお住まいの若い男性は、幼い二人の子持ちであった。
[心見茶屋跡]で一泊目の幕営と計画していたが、15時半には[二蔵宿小屋]に到着する。もしかすれば小屋の扉が開いているかも知れないと期待したが、残念ながら、昨年、同宿した方の話の通り、小屋の扉や窓は板が張り付けられ完全に閉じられていた。仕方なく、小屋横に設置されている屋根がある休憩場に腰掛け夕飯を済ませ、板椅子にツエルトを拡げ、シュラフとシュラフカバーを放り込みもぐり込んだ。夜中の一時頃だったろうか、僕が寝る横を通り過ぎる人があったのには驚いた。
[大天井ヶ岳]頂にあった「Kobouの路」という道標に誘われて下り始めた道が、小南峠に至る道であることに気付き登り返す。また、[五番関]から「奥駈け」という道標に導かれて尾根を登るが、次第に踏み跡が無くなり道が判然としなくなる。二度引き返し、三度目の登り返しでテープを見つけ前進が可能となった。[金峯神社]を過ぎてから、[洞辻茶屋]の少し手前まで人に出合うことはなく、極めて細かい氷雪が吹き貫けるブナの大木が林立する処などでは、50歩歩みを進めるまでは足を止めないなんてことをして、疲れている我が脚腰を鼓舞し続けた。二泊三日の計画であったのだが、雪が少なく、思っていた時刻よりも早く[洞辻茶屋]に到着したので、その日の内に下山することにした。
『山野歩』
<大峰奥駈け>
[コースタイム]
◆1月2日
[吉野駅]8:05→8:43[金峯山寺]→9:50[水分神社]→10:24[金峯神社]10:50→11:22[青根ヶ峰]→12:28[心見茶屋跡]→13:48[四寸岩山]13:53→15:35[二蔵宿小屋]
◆1月3日
[二蔵宿小屋]3:35→5:42[大天井ヶ岳]→7:13[五番関]7:30→10:00[今宿跡]→11:51[洞辻茶屋]12:40→14:04[一本松茶屋]→[清浄大橋]→[毛又大橋]→(乗用車で送って戴く)→[下市口駅]
<懸命に攀じる>
今回の大峰山行は、雪との戦いではなく外反母趾から生じる痛みとの戦いと言っても過言ではなかった。昨年、山の店で雪山靴の外反母趾対応の補修を二度して戴いたが、再度お願いしなければならない。再補修することなく、この雪山靴を履いて山に行く勇気はない。
今回の山行で反省しなければならないのは「大丈夫だろう…」と安易に考えたことだ。それは[今宿跡]から暫くの処にあった鎖場を、アイゼンを履かずに登ったことにある。トラロープもあったゆえ、それらを使用して上れるのだろうと安易に考えたのが間違いであった。鎖は所々で凍りつき岩にくっ付いて滑ってしっかりと掴むことが出来なかったが、ロープを頼りに半ば凍っている雪を被った岩場を登る。ところが、9割方登った処でトラロープが無くなったのだ。ザックを降ろしてアイゼンとピッケルを出そうかと思案したが、ザックを降ろせる状況ではなかった。足下の雪を掃い凍っていないスタンスになりそうな岩を探すと、ささやかだが、小さな尖がりのある岩を見つけた。そっと左足先を乗せ、右手で千切れそうな細い草枝木を持ち僅かに立ち上がり、次に丸い岩を抑え気味して、それより1㍍余りを、至極微妙なバランスで登った。「落ちてはいけない」「二度目の事故はあってはならない」という思いで懸命に攀じった。
嬉しかったことが一つある。それは、洞川までの舗装道路を一時間ほど疲れ切ってトボトボと歩き、7割方歩いたころ、後方より車のクラクションが鳴り、「乗りませんか?」との声が掛かった。「洞川のバス停まで」ということで、乗せて戴いたのだが、結果的には下市口駅まで送ってもらうことになった。疲労困憊の態にあったゆえ、ほんとうにありがたかった。山上ヶ岳と稲村ヶ岳に登っての帰りだそうで、これから奥様の実家である平群まで帰るのだとおっしゃった京都にお住まいの若い男性は、幼い二人の子持ちであった。
[心見茶屋跡]で一泊目の幕営と計画していたが、15時半には[二蔵宿小屋]に到着する。もしかすれば小屋の扉が開いているかも知れないと期待したが、残念ながら、昨年、同宿した方の話の通り、小屋の扉や窓は板が張り付けられ完全に閉じられていた。仕方なく、小屋横に設置されている屋根がある休憩場に腰掛け夕飯を済ませ、板椅子にツエルトを拡げ、シュラフとシュラフカバーを放り込みもぐり込んだ。夜中の一時頃だったろうか、僕が寝る横を通り過ぎる人があったのには驚いた。
[大天井ヶ岳]頂にあった「Kobouの路」という道標に誘われて下り始めた道が、小南峠に至る道であることに気付き登り返す。また、[五番関]から「奥駈け」という道標に導かれて尾根を登るが、次第に踏み跡が無くなり道が判然としなくなる。二度引き返し、三度目の登り返しでテープを見つけ前進が可能となった。[金峯神社]を過ぎてから、[洞辻茶屋]の少し手前まで人に出合うことはなく、極めて細かい氷雪が吹き貫けるブナの大木が林立する処などでは、50歩歩みを進めるまでは足を止めないなんてことをして、疲れている我が脚腰を鼓舞し続けた。二泊三日の計画であったのだが、雪が少なく、思っていた時刻よりも早く[洞辻茶屋]に到着したので、その日の内に下山することにした。