2020年08月10日(月)
『寝屋川公園』
<打上川を溯る>
5時40分のスタートと遅めであった。いつもの道を行く。
前回同様、三井が丘より交差点を真っすぐに進み、
クリーンセンター横を通って寝屋川公園へやって来たのは、我が家を出て約50分後であった。
公園に設置されている地図を見て、今日は打上川を溯って見ようと左岸の道を歩き始める。
10分足らずでJR学研都市線の下を潜り、少し進むと川が二つに別れている。
右手の流れの方が水量が多いように思われたので、先ずはそちらへと進むと直ぐに車道(府道?)に飛び出した。
車道を跨ぎホンの僅か進むと、前方には田圃が拡がり畔道しかない様子、
仕方なくもう一方の川を辿ってみると、車道を跨いだところに水門らしき小さな設備があり、
やはり流れが些少となり、川らしき様子がない。
丁度其処におられた、農作業に従事しておられた男性に
「打上川はどちらの川なんですかね?」と訊ねてみたのだが、残念ながら判然としなかった。
東方を指差し「高野街道というのがあって…」と仰るその方の説明から、
古道があるように思えたので、仕事道を進むと地蔵様が鎮座していた。
その横を更に東方へと進む道がある様子であったが、
いつしか現れた水路の流れに沿って南へと進むと、細い車道に出たところで流れが消えてしまったのだ。
そのときには既に7時が廻っていたので、今朝はこれまでにして、
いつの日にか時間に余裕があるときに、さっきの地蔵様横の道を東方へと進んでみたいなと思いつつ、寝屋川公園へと引き返す。
寝屋川公園に入ったところにあった“うちあげかみのはし”という小橋を渡り右岸に移ると、初めて見る二つの植物が出現した。
一つは“白花の百日紅”だ。今まで、百日紅の花は紅紫色のみだと思っていた僕は、
「さてこの樹木は?」と思い、帰宅して図鑑を見ると「…紅紫色または白色の花を次々に開く」と書かれていた。
もう一つは“フイリアオキ”だ。この樹木には名札が設置されてあり、
其処には「斑入青木」「葉に斑が入る」「花色は紫褐色、緑」「常緑」「花 春」「果実 秋」
「江戸末期に作出、伝統園芸植物、斑の形や色に変化、縁起木」と記されていたが、我が所有の図鑑にはこの木本の記載はなかった。
『寝屋川公園』
<打上川を溯る>
5時40分のスタートと遅めであった。いつもの道を行く。
前回同様、三井が丘より交差点を真っすぐに進み、
クリーンセンター横を通って寝屋川公園へやって来たのは、我が家を出て約50分後であった。
公園に設置されている地図を見て、今日は打上川を溯って見ようと左岸の道を歩き始める。
10分足らずでJR学研都市線の下を潜り、少し進むと川が二つに別れている。
右手の流れの方が水量が多いように思われたので、先ずはそちらへと進むと直ぐに車道(府道?)に飛び出した。
車道を跨ぎホンの僅か進むと、前方には田圃が拡がり畔道しかない様子、
仕方なくもう一方の川を辿ってみると、車道を跨いだところに水門らしき小さな設備があり、
やはり流れが些少となり、川らしき様子がない。
丁度其処におられた、農作業に従事しておられた男性に
「打上川はどちらの川なんですかね?」と訊ねてみたのだが、残念ながら判然としなかった。
東方を指差し「高野街道というのがあって…」と仰るその方の説明から、
古道があるように思えたので、仕事道を進むと地蔵様が鎮座していた。
その横を更に東方へと進む道がある様子であったが、
いつしか現れた水路の流れに沿って南へと進むと、細い車道に出たところで流れが消えてしまったのだ。
そのときには既に7時が廻っていたので、今朝はこれまでにして、
いつの日にか時間に余裕があるときに、さっきの地蔵様横の道を東方へと進んでみたいなと思いつつ、寝屋川公園へと引き返す。
寝屋川公園に入ったところにあった“うちあげかみのはし”という小橋を渡り右岸に移ると、初めて見る二つの植物が出現した。
一つは“白花の百日紅”だ。今まで、百日紅の花は紅紫色のみだと思っていた僕は、
「さてこの樹木は?」と思い、帰宅して図鑑を見ると「…紅紫色または白色の花を次々に開く」と書かれていた。
もう一つは“フイリアオキ”だ。この樹木には名札が設置されてあり、
其処には「斑入青木」「葉に斑が入る」「花色は紫褐色、緑」「常緑」「花 春」「果実 秋」
「江戸末期に作出、伝統園芸植物、斑の形や色に変化、縁起木」と記されていたが、我が所有の図鑑にはこの木本の記載はなかった。