2022年12月11日(日)
『山の会』
<明智越>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、聖子さん、東さん、ゆうさん
[コースタイム]
[阪急・嵐山駅] 9:00頃 → [渡月橋] → [大河内山荘] → [常寂光寺] → [小倉山二尊院] → [落合] → [トロッコ保津峡駅] → [JR保津峡駅] → (明智越) → [サンガスタジアムby KYOCERA] → [亀岡駅]
<嵐山駅~保津峡駅~亀岡駅>
山の会例会では、タイムを記すのを忘れるし、地図を殆ど見ないのが常だ。
山中の道に入ると、前を行くリーダーの梅安さん、そして東さんや聖子さんの姿を見失わないようにと、
三人の後ろ姿を確認しながら追いかけ懸命に歩くだけだ。
それゆえ、山日記を記するときに難儀することが多い。
何処を歩いたのか分からないし、タイムも分からない。頼りは、デジタルカメラに残っているタイムとその映像だけだ。
中でも今日はその最たるものであったように思う。
“阪急・嵐山駅”9時集合でやって来た。
駅の改札口を撮影した時刻が8時41分、次に、“渡月橋”をカメラに収めたのが9時06分。
“渡月橋”を渡り“大河内山荘庭園”の案内板と“竹林の小径”を撮影したのが9時27分、
“常寂光寺”を撮影したのが9時34分、“小倉山二尊院”をカメラに収めたのは9時39分であった。
そして次に撮影したのが、“落合・現在地”と書かれている地図板で10時35分、此処で橋を渡ったように思う。
一艘のゴムボートが下るのを見たのは、此処だったのではないだろうか。
次にカメラに収めたのは、“トロッコ保津峡駅”で10時49分、
トイレがあるものと思い、対岸の駅まで橋を渡るが、残念ながらトイレは無かった。
次にやって来た“JR保津峡駅”、11時が廻った頃だと思うのだが、切がよいということで、
トイレもあるし、ちょっと早い時刻ではあったが、リーダーの梅安さんの判断で、
改札口前の咲く花は無いが、荷物を置くのに丁度よい花壇があり、
此処で立った儘、お湯を沸かし、温かい珈琲を頂戴しお昼にする。
次に撮影したのは、お昼を済ませ、駅前を離れ、ちょっと歩き始めた時で、振り返って撮影したのだが、その時刻は11時57分であった。
この後が分からない、
明智光秀が山岳の武将らしく、山を越えて愛宕に参拝したという“明智越”というルートに入ったのだが、何処を如何歩いたのかが分からない。
先行く3人の姿を、僕と安部ちゃんは懸命に追い掛けた。
次にカメラに収めたには“←明智越え”という道標で、その時刻は13時25分であった。
“明智越”の道に入ってからは、人に出会ったという記憶はない。
次にカメラに収めたのは、“土用の霊泉”という案内板で13時39分、
その次は“山坊の甚五郎住処跡”と“簾戸口”という案内板で14時42分であった。
それよりだいぶん歩き、漸く民家が立ち並ぶ所へと出て来た。
それより2度ほど地元の方に、亀岡駅への道を尋ね、立派な車道に沿って歩くと、前方に大きなスタジアムが現れた。
その巨大な建物は、“サンガスタジアムby KYOCERA”という競技場であった。
その競技場を右手へと回り込むと亀岡駅到着。16時半頃であったように思うのだが、時刻をメモしていない。
『山の会』
<明智越>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、聖子さん、東さん、ゆうさん
[コースタイム]
[阪急・嵐山駅] 9:00頃 → [渡月橋] → [大河内山荘] → [常寂光寺] → [小倉山二尊院] → [落合] → [トロッコ保津峡駅] → [JR保津峡駅] → (明智越) → [サンガスタジアムby KYOCERA] → [亀岡駅]
<嵐山駅~保津峡駅~亀岡駅>
山の会例会では、タイムを記すのを忘れるし、地図を殆ど見ないのが常だ。
山中の道に入ると、前を行くリーダーの梅安さん、そして東さんや聖子さんの姿を見失わないようにと、
三人の後ろ姿を確認しながら追いかけ懸命に歩くだけだ。
それゆえ、山日記を記するときに難儀することが多い。
何処を歩いたのか分からないし、タイムも分からない。頼りは、デジタルカメラに残っているタイムとその映像だけだ。
中でも今日はその最たるものであったように思う。
“阪急・嵐山駅”9時集合でやって来た。
駅の改札口を撮影した時刻が8時41分、次に、“渡月橋”をカメラに収めたのが9時06分。
“渡月橋”を渡り“大河内山荘庭園”の案内板と“竹林の小径”を撮影したのが9時27分、
“常寂光寺”を撮影したのが9時34分、“小倉山二尊院”をカメラに収めたのは9時39分であった。
そして次に撮影したのが、“落合・現在地”と書かれている地図板で10時35分、此処で橋を渡ったように思う。
一艘のゴムボートが下るのを見たのは、此処だったのではないだろうか。
次にカメラに収めたのは、“トロッコ保津峡駅”で10時49分、
トイレがあるものと思い、対岸の駅まで橋を渡るが、残念ながらトイレは無かった。
次にやって来た“JR保津峡駅”、11時が廻った頃だと思うのだが、切がよいということで、
トイレもあるし、ちょっと早い時刻ではあったが、リーダーの梅安さんの判断で、
改札口前の咲く花は無いが、荷物を置くのに丁度よい花壇があり、
此処で立った儘、お湯を沸かし、温かい珈琲を頂戴しお昼にする。
次に撮影したのは、お昼を済ませ、駅前を離れ、ちょっと歩き始めた時で、振り返って撮影したのだが、その時刻は11時57分であった。
この後が分からない、
明智光秀が山岳の武将らしく、山を越えて愛宕に参拝したという“明智越”というルートに入ったのだが、何処を如何歩いたのかが分からない。
先行く3人の姿を、僕と安部ちゃんは懸命に追い掛けた。
次にカメラに収めたには“←明智越え”という道標で、その時刻は13時25分であった。
“明智越”の道に入ってからは、人に出会ったという記憶はない。
次にカメラに収めたのは、“土用の霊泉”という案内板で13時39分、
その次は“山坊の甚五郎住処跡”と“簾戸口”という案内板で14時42分であった。
それよりだいぶん歩き、漸く民家が立ち並ぶ所へと出て来た。
それより2度ほど地元の方に、亀岡駅への道を尋ね、立派な車道に沿って歩くと、前方に大きなスタジアムが現れた。
その巨大な建物は、“サンガスタジアムby KYOCERA”という競技場であった。
その競技場を右手へと回り込むと亀岡駅到着。16時半頃であったように思うのだが、時刻をメモしていない。