袋ラーメンの粉スープでワカメスープを作りました
「食べるラー油」 醤油 白胡麻 ワカメ 粉スープ1g お湯適宜
簡単だけど パン食に合います
かたく仕上がった食パンをピザ風にして…
やっと帰ってこれました…
テレビを見ていたら どこぞやのじーさまがこんな事を言ってました
「津軽の人は 我慢強いはんでな。」
なるほど。当たってるなぁと思いました
自分でもそうだと思うし そうでないと生きていけないかもしれない
今日もそんな寒い朝を迎えました…
3月にドカ雪です
地震のあった 3月11日の午後も雪が降っていました
暗くなる前に 懐中電灯 (ラジオ) ローソク (危ないので水)
りんご台風以来の長い停電でした…
これで3、4時間持ちました
暗いので目も疲れるし 匂いで若干 頭心地もよくない
ケータイは地震直後には メールと電話が一件ずつ
後は全く通じませんでした…
ラジオで 「ケータイでワンセグが見られます」
という放送を聞いて 慌てて見たのでした
この時 初めて津波を見ました…
二日間で 2時間が限度でした 余震も続き 不安感が募ります
息子は地震直後に仕事に出かけ 私とチビだけ
暗闇は…全然大丈夫です!
朝の室温は10度
3月12日になっても停電は復旧しません
半ば諦めていました
もちろん 冷凍庫 冷蔵庫は一度も扉を開けませんでした
驚いたことに アイスクリームはそのままの形を保ってました
白猫2匹 黒猫2匹
ポリバケツの後ろにも白い猫
地震は激しく大きく横揺れ…
カーテンが揺れていたので 息子が廊下を通った?
(いいえ そうではなかったのです…)
大きな揺れに気付いてチビがワンワンと吠えた!
散歩に出かけようと思って 玄関にいました
リードを付けて玄関口からすぐに外に出ました
そうしたらまだ揺れていて 外から見たらカーテンの揺れは更に大きく…
車に手をあてていたら 車もアンテナも揺れて 電線も揺れている
カメラの動画に、と思ったけれどそんな余裕はない
(不思議な事にカメラは首にぶら下がっていませんでした
単に忘れただけなのです…)
肝心の息子は部屋から出てはこなかったようだ
落下物は1個もありませんでした…(震度4位あったようだけど)
おさまってから散歩に出かけ 帰宅したら 停電…
真っ先に頭に浮かんだのは冷凍庫だった
でも ほとんど保存食のような物ばかり
停電が復旧したのは 午後の4時頃でした
ですが モデムの電源以外のランプは全て消灯
昨日になってやっとこれも復旧しました
息子と同様 テンション下がりっぱなしの日々
でもその間 いつもはやらない場所の片づけをしてました
買い物も自転車とか歩き。
備蓄品もいっぱいあったので 何も困る事はありません
慌てても何も解決はしないのです…
こじんまりと失敗続きのパンを作り続けてましたよ
我が家では断水もなかったし ガスも使えました
本当に 「電気ってありがたいな」 と思いました
ガソリンの給油に車がずーっと並んでいました
朝の6時前から いいえ2、3日前から続いています
早く解消されればいいなと願っていますが…
今日はなんだかホッとしたのもつかの間
いつもと同じように 朝風呂 買い物 洗濯 料理 散歩
これが 「生きている」 という証拠…
被災地から私のところまでは 車で約3時間
沿岸部までは もう少しかかるかもしれません
雪はこちらと違い あまり降らないようです
皆様からお見舞いのコメントを頂き 本当にありがとうございました
私も皆様と同じような想いです 言える言葉は 何もありません…
皆様のところはいかがだったでしょうか?
「津軽」のじょっぱり根性で 頑張るしかありません
でも、水道もガスも大丈夫で良かったね
それらが使えると使えないとで 心理的にずい分違うもの
避難所にはないものばかり
近かったら届けに行きたい思いでいっぱいになります
ぴょんさんの写真の正面に見える山 いいな~っていつも思います
特に下から二枚目のがすごいね
さ、これからまたたくさんのぐだめき読ませてね!!
今までも普通の日常生活がしあわせだな、という事は感じてました
でも今回のことでもっと充実した生活を向かえられることができると
……信じております
私も衣類とか届けたい気分に陥ります
下着を取り替えられないだろうと思うと…
早く届けてほしい。そう願うばかりです
きのうは、とても空気が澄んでて、岩木山がよく見えてました
うっすらとオレンジがかっていたような…
空気が澄んでると写真もはっきり写るようです
久しぶりに更新したら目が疲れちゃった(苦笑
おらほは停電もなんも無いんだども、おいは徹底節電協力だっ。
ゆぎだるまみたいに着膨れて、コタツに電気は入れねで湯たんぽさ入れて、灯りは机上用電気スタンド(27W)ただ一つ。トランジスタラジオ聴きながら質素な食事。パソコン入力作業も机の下で足ふみしながら血流良くして暖房無し!
どんだ参ったか!?
買い物出かけて見ればどこのお店も照明落として薄暗くして協力してる。でもぜんぜ~ん不自由ねぇど!
とっくの昔からこういうふうにするべきだったって、強く思ったね。
でも姐さんよぅ、全国民がどんなに復興の努力をしてもよぅ、原発が最悪の流れになったら何もかも終わりだはんで・・・青森も山梨も無えど。
この国は永久に人の住めない ただの危険な島 になっちまう。
おいは原発にはず~っと反対してきた。
人間にはコントロールしきれない物に火を入れちゃあ絶対駄目だって。
静岡の浜岡原発、県会議員が東海大地震にそなえてはやぐ止めろって言ったけど「止めない」って東電さん・・・
今の放水作業見て、これぞまさしく「焼け石に水」って気がする。
人間の愚かさにガックリきちゃった今日のjiji
様でした・・・
・・・へ・・ば・・・・な。
私とどっこいどっこいですね。
お店の商品も閉店間際の品揃いだったけど、見やすいし、買いやすい
私も薄暗くても全く不便は感じませんでした
あらゆる電気を消しても、ちゃんと日中の光で見えるものです
もう一つ言わせてもらえば…
停電になった時、ラジオでしか情報を得ることができませんでした
ケータイもパソコンも役には立ちません
これ以上、本音を書くとやばいからやめとくけど…
私らの書くブログの記事(震災)って、どこか薄ら寒い感じ。
心が寒気を感じるさま。
なんとなく寒いものを感じるさま。
「厭世的な風潮に―・いものを感じる」
現状に立ったならば、わたしらのいうことばは絶句に近いほどむなしいものである
んーーでっかいどーほっかいどーだすな
ほいか岩木山があない近くに見えるんですな
やっぱり小島一郎ですな
そういえば小島一郎が13日の日曜美術館で放送予定だったのになあ、もちろん変更でっせ
つらいわあ
今日の日記、味のある文章でとても結構でしたぞ
へば
13日は再放送のようでした
先週の6日の9時からの放送は用事があって見れませんでした
今度はいつかなぁ…
みんなして、「へば」って言うのね
※皆様へのご案内
「小島一郎」は、青森出身の写真家ですね(39歳の若さで亡くなったそうです)
小島一郎、おぢたまもおんなじ
6日、うっかり忘れ
13日、地震で変更
20日に期待してたら爺さん画家のやってた
電線やら建物やらで 山が窮屈そうに写ります
私はきのうの夜、NHKを見てましたが、別の方のが入ってました
困りましたね…ずっとNHKを見張ってるわけにもいかないし。
おぢたま NHKに交渉してちょんまげ。