「衣食住足りて礼節を知る。」という言葉がありますが、
それはそうと思います。経済的に困窮しているとき、人として礼儀正しく振る舞おうとしても、生きるのが精一杯ですから、自己中心的となり、そこまでの余裕がないと思います。だからこの言葉はよく理解できます。
しかし、実は経済的にはそれほど困窮していなくても、自己中心的な発想で「自分ほど苦労している大変な人はいない。」と思っていたり、自己憐憫的な発想で「自分ほど不遇で可哀想な人はいない。」と思ってる人がいます。そういう人は他の人のことを考える余裕がまったくないので礼節どころではありません。
だから、現代では「衣食住心足りて礼節を知る。」と言い換えたら良いと思います。
「心だけが貧困な人」は衣食住は足りているので外見からはわかりません。しかし、「心の貧困」は必ずその人の発言や行動のはしはしに出てきます。
だから、社会的地位があり、身なりが立派で裕福そうであっても礼節を知らない人は何らかの「心の貧困」を自覚なく抱えているのかもしれません。そういう人を「人間力が乏しいから礼儀知らずな行動や恥知らずな行動をとるのだ。」と理解したこともありましたが、実は深い「心の貧困」状態だったのかもしれません。
経済的な貧困は生活保護制度をはじめとした外的な援助があり、それなりに効果がありますが、「心の貧困」や「心の闇」はどうでしょうか?他人から直接的に援助を受けるものではありませんので、結局のところ自分自身で立ち向かい、何とかしなくてはいけません。
元気・勇気・やる気(courage)は誰からも貰えないし、お金で買うこともできません。自分自身の心が創り出すものです。心の貧困を裕福にするのも同じでまずは自覚し、自助努力です。