畑に咲く花

家庭菜園の野菜を残したら、
どんな花が咲くのやら、楽しみが増えそう

関東北部へ

2016年10月31日 | 鬼瓦
 瓦探しの大先輩がいます。
メールで2~3度やりとりしただけですが、栃木県足利市の鑁阿(ばんな)寺に一見に値する瓦があると教わりました。



 休日お出かけパスを買っての旅です。
どこの駅から乗るか悩みました。
私鉄に乗って新宿に行くつもりでしたが、乗った急行が途中までしか行きません。この私鉄が最近JRと東京都内までの所要時間で競っているのか、主要駅にしか止まらない快速急行を増やし、急行は減らしているのです。
 小さな駅は不便が多くて、もう乗ってあげないと途中でJRに乗り換えました。その駅から横浜駅方面に向かい、東海道線に乗り換えました。
 東海道線と東北線が結ばれ、乗り変え無しで栃木県まで行かれました。

 

 鑁阿寺の本堂は国宝で、載っている鬼も2段重ねです。せっかく栃木県まで来たので群馬県、茨城県もと考えたら意外と近いではありませんか。自転車でも関東5県を1日でゆうに回れそうな距離にあります。



 朝6時30分家を出て、夜7過ぎ帰ってきました。


 




 

千葉県まで

2016年09月25日 | 鬼瓦
 やっと晴れました。
晴れたら県外に出かけようと思っていたことがかないました。
目的地は千葉県です。

 混雑する東京都心を抜けるのが嫌で電車です。
私鉄と東京営団地下鉄の1日フリー切符1180円で営団地下鉄は乗り降り自由、出発地まで帰ってこれます。



 地下鉄なのに地上を走ってます。
千葉県内はすべて地上、都内も荒川、旧江戸川あたりは地上です。
東京湾に近くて、トンネルを掘るよりも橋をかけたほうが安く上がるし、
この近くで地震が起きたらを考えると安全にもいいのでしょう。

 市川市、浦安市、東京北区、文京区で乗り降り、もうこの辺で歩き疲れたので止めようかと思いました。
 東京大学工学部の東側にある寺で、僕の家の家紋と同じ家紋が本堂の天辺にありました。住職さんに伺ったら家康の頃からの家臣である人(同じ名字)と縁があるので使っているそうです。

 本瓦は重くて地震で落ちてしまったと、関東大地震と聞いたら、5年前の福島大地震ですって。浦安市は津波と液状化の被害がありました。
そのため軽い瓦に変えて本瓦は境内に飾ってありました。



 裏紋の瓦もありました。親戚で造園業して家がありました。
法被に似ていたような気もします。
真似をしたと言う話も聞きましたし、家康、岡崎とは全然関係ありませんので、ただ名字が同じだけの話です。

 最後に千代田区で降りて、6回地下鉄に乗ってしまいました。

熱海市まで

2016年07月13日 | 鬼瓦
 夏休みに入ると東伊豆の海に行く人で道が混みます。
小田原市街を抜けると海岸に沿って片道一車線の国道と、ところどころに有料道路があるだけで、湯河原まで抜け道がありません。

混む前に湯河原町に出かけました。
渋滞もなく海を見ながら気分爽快です。

 静岡県との県境が川で、
平らな土地と斜面に住宅やお寺、温泉宿も建ってます。

この地区は熱海駅よりも湯河原駅が近く生活圏だったので、昔神奈川県に編入したいと思う人がいたそうです。
湯河原温泉郷、熱海市の温泉宿も入ってます。

 

 静岡県最初に廻ったお寺にで見つけました。次の所にも続けてです。
平均して10ヵ所で1ヵ所くらいしかないので幸運でした。




 ソテツの蕾を見つけました。


 

2016年04月09日 | 鬼瓦
 最初は川崎に行ったのですが思ったのが撮れず、
多摩川を渡って東京まで行ってしまいました。
いい天気になると言っていたのに晴れず、青空になりませんでした。



 ネットで調べたら、塀の右側に大きな枝垂れ桜があると知り寄ったのですが、散り始めていて遅かったです。




 帰り道です。
家まで15㌔くらいの所、
この道は年に20回も。
10年くらい前までは

 A地点で近道
(新興住宅地の開発で道が出来る)
と思い赤い方向に曲がった
ところが
どこをどう走ったのか
B地点に戻ってしまったのです
また同じ道を帰って来たが、
どこで左側に入ってしまったのか
見当がつきません。

まだ明るい午後3時のこと
狐に騙されることはないのに、
Googleの地図で調べても
どこをどう走ったのか?です




八福神

2016年02月17日 | 鬼瓦
 畑くらぶのみなさんと隣街の八福神巡りに
ここ七福神に達磨大師が加わっています。
全部がお寺といいうのも珍しいかもしれません。
江戸時代の小さな村の中にあるので12キロで歩けてしまいます。
 


 2月になってもスタンプを用意、巡る人が少ないので待たないで押せます。
10名のうち1人が途中で帰りましたが、9人が歩いて完走しました。

 1人の人にご利益があったそうです。
帰りの商店街で買い物したら千円のクーポン券が当たったと。


 僕にもありました。探し物が見つかったのです。
お寺の近くの民家で


 母屋、門、塀の端にもあります。



灯台もと暗し

2015年12月06日 | 鬼瓦
 歩いて数分、もとは自治会の同じ班のお家です。
特定郵便局の局長さんのお宅で、現在は空き家になってます。
老人福祉施設が出来るという噂もありますが、
植木職人さんが入って木を剪定して見通しがよくなりました。



 先月は鬼探しに京都まで行ってしまいました。
大江鬼伝説で有名な大江町です。駅前に鬼瓦公園があってたくさんあると知り、京都駅から天の橋立に乗りました。
 電車には多くの乗客がいましたがここで降りたの我等だけでした。
屋根付きの回廊には表情の違う72個も載っているそうです。



 遠くまで行かなくとも、隣近所にも鬼がいる話でした。



 一番上の写真の門に載っている鬼です。
毎日のように前を通っているのに気がつきませんでした。
 
 

瓦全

2015年09月13日 | 鬼瓦
 鬼が怒ってます。
そして僕も戦争法案が決まる前に書いておきたかったです。



 なぜか、玉砕瓦全と言う言葉があります。

《値うちのない瓦のように完全な形で残る、または大したこともせずに生き長らえること》よりも
《立派な男子は潔く死ぬべきであり、値うちのある玉のように砕けたほうがよい》と瓦をとても軽蔑しているからです。瓦を撮り続けている僕には耐え難かったのです。

 馬だって無事名馬、優秀よりも長く走っていればこそ名馬と言われます。
若くして死に追いやられてなんで玉でしょう。玉だって砕ければ廃棄物になってしまうのに。

 これからも戦死を玉砕という美しそうな言葉でもちあげらることがないよう撮り続けます。

【付記】

第二次世界大戦で日本軍が全滅した時に初めて使われたそうです。
1943年(昭和18年)5月29日、アッツ島の日本軍守備隊が全滅した際、大本営発表として初めて「玉砕」の表現を使用した。これは「全滅」という言葉が国民に与える動揺を少しでも軽くして「玉の如くに清く砕け散った」と印象付けようと意図したものであった。また補給路を絶たれて守備隊への効果的な援軍や補給ができないまま、結果的に「見殺し」にしてしまった軍上層部への責任論を回避させるものであった。【ウィキペディア】より転載

岡崎

2015年08月15日 | 鬼瓦
 岡崎にお見舞いに行ってきました。
グループホームに入所している連れ合いの姉の所に、

 小説の主人公にもなるくらい?の物事の変化がかなり激しい人生を送っています。小学生の頃母を亡くし、父は再婚。
女学校時代の時には学徒動員で、豊川海軍工廠で働き1945年8月7日の空襲で一緒に働いていた友達を失いました。敗戦8日前の事です。

 結婚して名古屋市南区に住んでいた時、1959年9月26日に潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心に大きな災害をもたらした伊勢湾台風の時、家は浸水、一月も水が引かない地域もあったそうです。小学生の子供は父親の田舎に疎開して学校を転校するほどでした。

 その後娘が産まれて、娘が卒業して東京に就職すると、心配で夫婦で名古屋から引っ越し(定年の時期だった)てきました。
 10数年して故郷の岡崎に戻ってきました。夫を亡くして1人住まいしている時ベットから落ちて骨折、入院してから認知症が表れホームに入所しました。

 お父さんが夢にちっとも現れないの。向うでいい人がいるのかしらだって。
きっとくよくよしないで楽しく過ごしているから心配していないのでしょうね。思ったよりしっかりしていて、数日前のことも憶えています;

 



 岡崎まで来たので鬼瓦を
お城では見つかりませんでしたが、近くの八丁味噌を作る工場で遇えました。工場案内されて、資料館のてっぺんと入口近くに昔の道具と一緒に置かれてました。

京土産

2015年07月17日 | 鬼瓦


 京都のお寺の鬼瓦です。
中学生の孫が祇園祭り見物がメインの修学旅行に京都と奈良へ行くというので写真を頼みました。年代を感じる古い瓦でいつかは行かねばと。
清水寺に行く道筋の写真もありました。



 雨も降らず夜の見物もできたそうです。
小説・祇園祭 (西口克己作)を読んだことがあります。
応仁の乱で京都の町は焼土と化し、商人、町民が幕府の弾圧を乗り越えて、
平和の象徴・祇園祭を再興する話にエネルギーを頂だいた事を思い出しました。



 八ッ橋といえば【ニッキ】味でした。フルーツ味もあるんですね

 


3月3日

2015年03月04日 | 鬼瓦
 3月も3日になってしまいました。
1週間に2日は雨が降るので忙しい訳ではないのですが更新出来ないでいます。鬼探しも順調に進んでます。新しく作った本堂の屋根に12個載っているのですが、全部表情が違うそうです。まだ足場が組んでいるため一回り出来なく正面と道路側の半分して写せませんでした。奈良の瓦屋さんで国宝に指定されたお寺やお城の屋根葺きに行ったと聞きました。鬼門の方角には恐い鬼を漬ける等いろいろ教わりました。



2~3百年後には文化財になることを願っての建築なので江戸時代以前の鬼を参考にして、創ったそうです。

 畑仕事もこれから忙しくなりそうです。
夏野菜の種を蒔きました。



 温度を25℃くらいに保てれば簡単なのですが。
夜中の数度くらいと日が射した日中の温度が余りにも違うのが泣き所です。




足元

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