畑に咲く花

家庭菜園の野菜を残したら、
どんな花が咲くのやら、楽しみが増えそう

レモンの花

2019年05月15日 | 日記
 10数年前有名な種屋さんから買ったレモンの苗木が何年たっても花芽がつきませんでした。
そこで新芽を挿し木してみたところ運よく一本だけ育ちました。

 親木は相変わらず、10年たっても年に5~6個しか花が咲きませんでした。
思い切って剪定をしてしまったら枯れてしまいました。剪定するよりも根を切ったほうが好いと言われましたが音の祭りです。

 運良く育った苗木、根が伸びないよう植木鉢に植えて置きました。





 今年初めて二つ花が咲きそうです。
二つでは実は期待できないでしょうが、育てた甲斐がありました。

2019年5月1日

2019年05月01日 | 日記
 太陽が西から上がることもなく、太陽の輝きも普段とは変わらず何の変化もない。
なのにばか騒ぎ輩が多いのに驚くばかりだ。
日本国憲法には
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 どうもこの国の上層部は、主権が国民にあることが嫌いで、国民は政府のなすことに従順であればいいと何かにつけて思っているようだ。
御目出度いから今日は休日にしてやるから有難く思えという風潮の中困っている人も多い。
働く人の4割が非正規と言われている今、休んでも給料が支払われる人がどのくらいいるだろうか。
定期的に行院に通院している人、10日間の休みの影響で定期的な治療が受けられない人がいるとも聞く。

5月1日と言えばメーデー。
東京のど真ん中普段は歩けない車道の広い道路(代々木公園から原宿駅)を大きな声を張り上げて
(アメリカのベトナム侵略当時は戦争反対、春の賃上げ交渉がまだ決着していない組合もあり、大幅な賃上げをと)
デモ行進したのが懐かしい青春から中年でした。

 1941年12月8日日本海軍がアメリカ合衆国ハワイ州のアメリカ海軍の軍港を奇襲攻撃によってアメリカとの戦争が始まる。
当時の日本の最高権力者は昭和天皇でありました。
 
 敗戦になった45年8月、我が家は祖母と父、母、12歳の長男と2歳の弟の9人家族でした。
父には8月に再度の召集令状が届き、出兵の準備をしていたそうです。
出兵が早まっていたら、戦争が終わらなかったら、父はどうなっていたかわからない事でした。

 1994年以降東京は106回の空襲を空襲を受け、3月10日の東京大空襲だけで10万人以上が亡くなり、100万人以上が罹災を受けた。
首都東京でこれだけの被害を受けたのに、敗戦を決められなかった、天皇、および政府、軍部の責任は大きかったと思います。
そうすれば原爆を落とされずに済んだのは明らかだったのでは。

 子であった前天皇、孫の新天皇には戦争責任はないでしょう。
なのに慰霊慰問に行かせたり、災害の時には慰問に行かせることは無いと思います。

 慰問の言葉よりも、災害を受けた人たちに一刻も早く復旧できる国の援助、それが出来る国の行政府の長、総理大臣を含む大臣たちが、
2018年西日本大水害の時
7月5日夜に東京・赤坂の議員宿舎で行われた自民党議員の宴会「赤坂自民亭」である。自民党議員が仲むつまじく杯を上げているのだ。
この時は既に西日本で豪雨災害の危険が高まって、(11日午後3時半現在で死者188人、心配停止2人、行方不明38人官邸の発表の数字)
いるときに酒を飲んで意気投合していながら、自分たちの責任を取らないで、天皇を水害の慰問に生かせるとは。

 異常な改元のばか騒ぎ、陰に隠されているものがあるのでしょう。




足元

<script type="text/Javascript" src="http://ashia.to/client/js.php?id=117002"></script>