畑に咲く花

家庭菜園の野菜を残したら、
どんな花が咲くのやら、楽しみが増えそう

芋焼酎

2010年06月25日 | 出来事
 わが町の特産品を開発しようと、推奨品栽培プロジェクト会議が耕作ができなくなった畑にさつま芋【紅あずま】を植えて焼酎を作ろうと企画が立ち上がった。
 「生産者」「販売者」「消費者」の協力で植えられた5500本の苗が元気に育っている。秋には県外の酒造会社に持ち込まれ、一年後には飲めるようだ。

 便利な農器具が出来て、畝を高くしながらマルチをかけてしまう。
こうすると土の温度を上げてくれるので、寒さ対策にもなる。
 小さい穴を開けたところに苗を差し込向作業を下。

春節

2010年02月21日 | 出来事
 撮影会に横浜中華街の春節に伺う。
14日の春節から祭りが続き、大勢の観客で一日賑っていた。

★2010年春節★
横浜中華街春節
<中華街入口<龍の舞<赤獅子舞<白獅子舞<神戸の高校の獅子舞<大勢の観客>

<


 神戸からの友情出演あり、女子高校生の獅子舞や幼稚園児のパレードもあって
大いに楽しませてくれた。

2010年02月02日 | 出来事
 神奈川の平野部に雪が積もる。
一日の夜から雪となり、雪対策をしてないので(車も道路も)
有料道路が通行止めになる路線もでたようだ。


 朝にはやみ、道路の雪も凍らず、交通に影響はなさそうだ。
小学校に通う頃には、休校になるほど積ることもあった。

 ときどき屋根の雪が落ちてくる音がする。
家の周りも夕には溶けてしまうようだ。

紅白の万両

2010年01月01日 | 出来事
 
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        【マウスオン】で紅白の万両

 先生の畑の柿の木の下に生えてきた白の万両。
すでに争奪戦が始まっている。
 赤はどこにもあるが白は珍しい。自分の名前の札を立てておこうかと、
言いだす人もいる。

ハゼ

2009年12月11日 | 出来事
 誰かさんが見つけた小さな秋の歌にうたわれたハゼの木には魔物が住んでいる。
もっと赤く紅葉します。

 この木を切る下で作業していた人の首におが屑(くず)が入って大騒ぎになる。
みるみるあいだにカブレテきて入院するはめになってしまった。
 この木から落ちる雨水でもかぶれる人もいるらしい。

入院の記(5)無事退院

2009年09月07日 | 出来事
 
 8月10日主治医から驚きの言葉がある。
1/2で痛みが出ないし、早い人は1/2で退院しているので、考えてはどうかと。
再手術を覚悟して、身辺整理に外出を考えていた時なので、家に帰れる嬉しさと、
家で生活できるのかの不安が入り混じる心境だった。
 一時帰宅も取りやめ、21 日から2/3 荷重に進んだ。
両松葉杖から、右手だけになり、左手が自由に使えるようになる。
9月1日の退院がきまり、それまでに外の空気に慣れようと、
 許しは出ないが、やっと病院の建物から外に出て、散策路や道路を歩きだした。
桜の葉が出そろう時に入院したのが、もう落ち葉となる季節になってしまった。
 また外に出たでしょう、何かがあれば、私たちの首が飛んじゃうのだから、
と怒られながらも、こっちだって一般道路を歩ける準備で必死だった。



   蝉の声
     退院近し
       応援歌


入院の記(4)

2009年09月06日 | 出来事
 夏休みが始まる下旬の頃のころ。夕方整形外科部長が『どうですか』と各病室を回ってくる。。最初の予定では退院できる時期だったが、
いっこうに治る見込みもなく、不安がつのるばかりでしたので、今後の見通しを訪ねた。レントゲン写真を見ながら、新しい骨はできていない。しかし写真で写らなくと、出来てきている場合もあり、体重をかけて、刺激を与えれば、(痛いと感じる寸前まで松葉杖で歩くこと)
早く治ることもある。このことによって、骨が崩れたり、ネジが緩んだり、金具が折れたら、いずれ再手術をせねばならないので、諦めるしかないだろう。
 そんな会話をした。
 のちに主治医から、慎重に体重をかけたかったが、上司の部長から言われれば
従わなければならない。明日からでも体重を1/4,1/3,1/2と一週間づつ架けてゆこう。2/3は二週間後に様子をみてからに。
 病棟を歩く日々となり、一度だけ松葉杖がすべり、足に電流が背中には恐怖が走った。横浜、江ノ島、茅ヶ崎、厚木の花火大会を観ることが出来て、気分転換と来年は会場に行けることを念じていた。


     松葉杖 
      治して聞きに
           遠花火

  
 再手術になると、秋が終わり、冬になる頃だろう。
一度家に帰って、身辺整理をしておかねばならぬと、外出願いを出した。

入院の記(3)

2009年09月04日 | 出来事
6月中旬から精神的に一番辛い時期だった。
籠に閉じ込められた鳥のように、外に出ることが出来るのか不安がつのるばかり。
 レントゲン写真でみる骨の状態が2ヶ月経とうとするのに少しの改善もみれなかったからです。
手術をする前に説明があり。
 万が一のリスクとして
骨がつかなかったら、お尻の骨を取って移植手術を、、
チタン合金をいれるので、金属アネルギーがでたら再手術、
輸血した時には血液製剤による、C型肝炎、HIVの感染があるかもしれない。
 (幸いにも輸血はしなかった)
を承知しておいて欲しいと。(嫌だとは言えないでしょうね。)

 
 
 6月30日から左足を地面につけてもいいと許可がでるが。
順調なら4~5週間で歩けるようになるのに、7月下旬になってもよくならず、
再手術の不安が覆いかぶさる日々であった。 
 

入院の記(2)

2009年09月04日 | 出来事
 入院してすぐに手術と思っていたが、そのまま15日間ベットの上(昼間のトイレに行く以外)で、カーテンと壁に囲まれた部屋で過ごす。
 腫れがひどいので、まず冷やしてからということで遅れてしまった。
腫れていない人でも血糖値が高くて、薬、食事療法で下がるまで悪性の腫瘍を取らねばならぬ手術を半月以上も待たされてしまう人がいた。
 診断は左脛腓骨粉砕骨折、2~3月入院で、松葉で歩けるようになったら退院出来るだろう。手術後6週で少しづつ足に荷重をかけ4~5週で歩けるようになるだろう。だった。7月末には家に帰れると思っていた。

入院の記(1)

2009年09月02日 | 出来事
 1ヶ月、2ヶ月経っても家に帰れず、ブログの更新ができないのと、
畑に植えた夏野菜や、ジャガイモ、玉ねぎのことが心配でなりませんでした。
 新型インフルエンザで隔離されてしまったのか、
海外旅行に行ったには長すぎるし、家出をしてホームレスになってしまったのか、
悪いことをして拘留されているのか、と心配をかけてしまいました。

 5月3日富士山を見に行こうと、甲州街道を大月から、都留市から富士山を眺めながら山中湖に、帰り道に道志村(横浜市の水道の水源地の村で、横浜市との合併の話があったほど神奈川との縁が深いところです)を通って帰るつもりでした。
 午後3時ごろこの村の県道の側溝に落ちてしまい、
左足膝下の脛骨を複雑骨折してしまいました。
 救急車で自宅よりさらに遠い都留市の病院に運ばれ、
この骨折では回復まで数か月かかる。家族が通うには遠すぎるので、
近くの病院に行った方が好かろうと、タクシーで4時過ぎに出発した。
 今回の総選挙の争点の一つになった、高速道路を無料にすると言えば、
土日は1,000円にするという影響をもろに受けてしまいました。
談合坂サービスエリア付近から渋滞が始まり、時間は進んでも、車は進みません。途中のインターで降り(ETC車出口は渋滞で、現金払いはスイスイで時間短縮できても)甲州街道に入る信号まで5時間近くかかってしまいました。
 自宅近くの病院着いたのが10時過ぎ、4日午前零時過ぎ入院、四か月もかかるとは誰が予測したでしょうか?。

  

足元

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