怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「武運長久」の日の丸

2019-12-25 07:51:45 | Weblog
12月24日の中日新聞に沖縄で戦死した方の「武運長久」の日の丸がアメリカから遺族の人に返されたという記事が載っていました。
実は我が家にも「武運長久」の日の丸があります。
しかも先日実家の整理をしていて見つけたばかりです。
実家を建て直す時にかなりのものを捨てたのですが、しぶとく残っていました。
棚を整理している時に、何やら菊の紋章の文箱が出てきたのです。

安っぽい箱だったのですが、何が入っているやら見当つかない。
金目のものはないはずなのですが、古いお札とかコインでも出てくるかも。
開けると古いボロボロの「奉公袋」が。

何が入っているかと思ったら、なんと「武運長久」の日の丸が。

父は召集されて陸軍に入隊し、益子近くの航空基地に配属され、通信兵として百式偵察機に搭乗しています。偵察飛行にも何回か出撃しているのですが、一度も敵と遭遇することなく帰ってきたとか。機体の整備不良で伊勢湾に不時着したこともあったとか。
その面では武運の「武」は全くなかったのですが、90歳の天寿を全うしたので運はよかったみたいです。偵察飛行では敵と遭遇すれば、偵察任務は全うするのですが、ほぼ撃墜されるので生還は絶望的だったみたいで、上官からお前は運がいいとほめられた?とか。
ところで父が徴用されたのはもはや敗色濃厚で、生きて帰ることはないと思われていたのですが、日章旗に名前を連ねているのは親戚とか町内の人ばかりで女性の名前はありません。女が名前を書いたりすると戦場に向かう兵士が女々しい気持ちになるからご法度だったんでしょうか。祖父は小さく名前が書いてありますが、長男を送り出す祖母の気持ちは如何ばかりだったのかと思います。名前を書くことさえ許されない中で何を祈っていたのか。
もう少し早く見つけていれば父の七周忌の法事の時にみんなに見せられたのですが、惜しいことをしました。

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