青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

津軽平野四季千秋

2019年03月07日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(母なる山ヨ、お岩木山@新里~館田間)

夕方までに弘前駅前のレンタカー屋へクルマを返す約束になっていたんで、最初は早めにクルマ返して市内観光でもしようかなあなんて思ってたんですが、空がいい感じの色合いを帯びてきたのを見て思わず弘南線の館田へ。返却時間のギリギリまで津軽平野で遊んでみる事にします。白神山地に続く丘陵地の縁を走る大鰐線と比べて、津軽平野のど真ん中を走る弘南線からはお岩木山の存在感が実に大きく見えて、圧倒的な存在感。冬の夕映えの中、母なる山を横目に黒石行きの列車が下って行きます。


館田の交換を済ませた上り列車。こちらは十和田の山々をバックに、平川鉄橋の築堤を駆け上がって行きます。雪払いの終わった道を、足取りも軽やかに走って行く列車は平面顔の7152編成。平面顔でも、スポンサーのヘッドマークが付いてるから絵になりますな。雪が取れたので、スポンサードの会社名もバッチリです(笑)。

 

みるみる沈んでいく太陽に急かされながら、柏農高校前の駅へ移動してみる。駅に面した広大な田園地帯は、この時期一面の雪野原。何も遮るもののない津軽平野の夕暮れの美しさにしばらく静かに感動していたのだが、遠くから聞こえる賑やかな笑い声に乗って、部活帰りの高校生が駅にやって来た。今は仲間との話に夢中な彼ら、毎日のようにこの駅を使っている高校生にとって、目の前の光景はこの季節この時期のいつもの一コマに過ぎないんだろうな。でも、きっと大人になった時に、この光景が故郷の心象風景として思い出されるはずです。

 

太陽が山の端にかかる僅かに前。台車の銀輪を光らせて、いつものように列車は定刻でやって来ます。笑い声を車内に吸い込んだ列車がゆっくりとホームを離れて行くと、人の声とぬくもりが消えるだけで、グッと体感温度が下がったような気がします。三脚を畳みながら空を見やれば、いつしか白神山地の向こうに夕日が消えて、誰もいなくなったホームを残照と静寂が包み込んでいました。

津軽平野 - 吉幾三 千昌夫.mp4

津軽平野に 雪降る頃はヨ
親父(おどう)一人で 出稼ぎ支度
春にゃ必ず 親父(おどう)は帰る
土産いっぱい ぶら下げてヨ・・・
寂しくなるけど 逢いたや親父(おどう)

千昌夫(吉幾三)の名曲「津軽平野」。冬になると出稼ぎのために長い間家を離れる父親へ思いを馳せるこの歌は、津軽でももう少し北の方(津軽鉄道沿線)の風景を織り込んだ歌なのだが、現在でも出稼ぎに都会へ出て行く津軽の人々はどれくらいいるのだろうか。調べると、青森県からの出稼ぎ労働者は昭和49年に8万人とピークを迎えて以降は減少を続け、最近は2,500人程度だそうな。それでも、全国の出稼ぎ労働者1万人のうち、25%が青森県民なのだから、依然として「出稼ぎ」と言う文化は青森の冬の生活に根強く残っているんですね。


山の雪融け 花咲く頃はヨ
かあちゃんやけにヨ そわそわするね
いつもじょんがら 大きな声で
親父(おどう)歌って 汽車から降りる
お岩木山ヨ 見えたか親父(おどう)

「津軽平野」では、曲の最後に出稼ぎを終えて故郷に帰る父親を迎える津軽の風景が、実に瑞々しく描かれている。故郷へ帰る嬉しさか、人目もはばからず大きな声で歌いながら汽車を降りる父親の姿が何とも微笑ましいのだが、鉄道ファン的には乗ってきた汽車は何で、どこで降りたのだろうかなんていちいち考えてしまう。奥羽線回りで上野から走って来た急行「津軽」を降りた弘前の駅か、五能線で走っていたハチロク牽引のSL列車を降りた五所川原なのか、津軽鉄道のDL列車を降りた金木だったのか、はたまた弘前の駅から乗り継いだ弘南電車の駅だったのか…。


歌を聞きながらアタマの中で色々と情景を当てはめてはみるのだけど、それぞれの津軽の人に、それぞれの故郷の駅があり、物語は人それぞれ。変わらないのは望郷の想いと、車窓に映る「お岩木山」の姿だけだったのではないだろうか。夕暮れに染まる岩木山を見ながら、尾上高校前の駅を出て行く列車。故郷へ帰る出稼ぎ人たちを暖かく迎えてくれた母なる山は、今日も津軽平野を優しい眼差しで見守っていました。
コメント (2)
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