青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

77年ぶりのお帰りなさい

2020年09月28日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(北へ行くもの、行かぬもの@市内線・富山駅前電停)

トラムが接近するたび、ラバーズコンチェルトのメロディが流れる富山駅前の電停。ここからは、新しく地鉄の路線として仲間入りした旧富山ライトレール・富山港線部分(富山~岩瀬浜間)に乗車をしてみることに。市内交通の南北統一事業は、JR富山駅の高架化と市内線~ライトレールの富山駅電停統合により今年の三月に完了しましたが、相互乗り入れは新型の低床型車両に限られており、旧型のデ7000は今まで通り地鉄市内線を担当。北へ行くもの、行かぬものが、富山駅前で並びます。

富山駅前から走り出した電車は、しばらく新設された併用軌道を走ります。富山湾に面した北前船の寄港地であった岩瀬浜に、富山市街から鉄道が建設されたのが1924年のこと。富岩(ふがん)鉄道と名付けられたこの鉄道会社ですが、1941年に富山電気鉄道に吸収合併し解散。富山電気鉄道は1943年の正月に富山地方鉄道となりましたが、折しも日中戦争の戦線が拡大する中で大陸向けの日本海側の港湾の重要度が増したことから、元富岩鉄道の区間は軍需路線として1943年の6月に国有化されます。

以降戦後は国鉄富山港線として営業を続けていたものの、利用状況は芳しいとは言えず・・・そんな中、市内交通の再整備を目的としたLRT事業化に伴い、富山港線はJR西日本の手を離れ、2006年に富山ライトレールに移管されることになります。全ホームの低床化、新型車両の導入、大幅な増便の実施など大規模な政策転換が実施され、利用客数は大きく好転。そして2020年3月、富山駅の南北立体交差事業の完成に伴い、ライトレールと地鉄市内線がドッキング。富山ライトレールは運営の一元化のため事業を地鉄に引き渡し解散したため、なんと1943年以来77年ぶりに、富山~岩瀬浜間のレールは富山地鉄の手へ戻る事になりました。奥田中学校前からはかつての富山港線の軌道に戻り、そこそこの速度でスピードを上げて行きます。

富山港線時代は、日中は毎時1本程度の運行。なおかつ、車両の経費節減のために一部列車をキハ120の単行気動車化するなど、末期は貧すれば鈍すると言うような状態でした。LRTは小型車体の2両編成ですので、収容人員はそう大きくはないですけど、運行が15分毎と言う圧倒的なフリークエンシーによって利便性は劇的に改善されていますよね。元々終点まで住宅地を走る路線で、潜在的な需要があったからこそのLRT化だったんでしょうが、右肩上がりの利用客数にその政策転換は大成功という事になります。祝日の朝と言うことで、部活に出掛ける学生が多かったかな。

富山駅前から25分、そのまま岩瀬浜まで乗り通しても良かったんですけど、ちょっと寄ってみたい駅があったので東岩瀬で下車してみます。だいぶ海が近いようで、ほのかに潮の香りがするようなしないような。LRT化した後の富山港線の駅は、棒線駅でも岩瀬浜方面と富山駅方面で乗り場が分かれていて、単線のホームに千鳥式にホームが配置されているのが特徴。誤乗防止のためなんでしょうが、ワンマン運転なんでいちいち運転士がホームの乗客に「乗るか乗らないか」を確認するのも大変でしょうしね。私だけを降ろして去って行ったCENTRAM。なんかよく見るとキバ付きの鬼のお面のようで、ちょっとイカついのね・・・

コメント
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