青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

潟の風 潮の香薫る 粟ヶ崎。

2022年07月18日 10時00分00秒 | 北陸鉄道

(いやはや何年ぶりだ@金沢駅)

富山駅前のパーキングにクルマを放り込み、あいの風とやま鉄道で一時間。倶利伽羅峠の古戦場を越えて、金沢駅にやって来ました。とりあえず金沢行った人が100人いたら200人はスマホに収める鼓門をパチリ。しっかし金沢とか訪れたのが何年振りだろうというくらいの久々だなあ。少なくとも北陸新幹線が開業してからは初めてになる。前回金沢来た際は、北陸ワイド周遊券+寝台特急北陸(大好きだったな「北陸」のBソロ)だったからねえ。金沢競馬に行くのに使ったんだけど、見に行ったのはサラブレッドチャレンジカップだったかMRO金賞だったか。「競馬カナザワ」とか買って、パドック裏のお寿司屋さんで寿司食うのがいいんだ。金沢競馬。やってっかな?って思って調べたら土曜は休催日だった。日曜ならやってたのに。

確か東口から金沢競馬行きのバスが出てたので、金沢に来る時は兼六園やら香林坊に背を向けて栄えていない東口ばっかし降りていた記憶がありますが、今回は兼六園口から地下街へ。実は、競馬の用事以外で金沢に来るのが初めてだったりする(笑)。やって来たのは北陸鉄道・浅野川線の北鉄金沢駅。結局兼六園とか香林坊とか近江町市場とか「金沢らしい」場所には行かない私。北鉄浅野川線は、北鉄金沢から河北潟沿いの町・内灘まで6.8kmに12駅。地元民からは「浅電」の名前で親しまれた郊外電車です。

北鉄金沢駅は地下ホームの1面2線。使われている電車は、元京王井の頭線の3000系こと北鉄8000系。京王重機整備によって改造の上納車されました。元々北陸鉄道って言うと、昭和の時代は旧型吊り掛け電車の宝庫で、オレンジとベージュに塗り分けた名鉄のお古とか自社発注の小型車が跋扈していた印象があるのですが、北鉄金沢駅地下化に伴って車両の難燃化を進めなくてはならず、そこでステンレス製の京王3000系を導入して旧型車を一掃したのだそうです。長野電鉄も、長野~善光寺下の地下化にの際に東急のアマガエルこと5000系を大量購入して相当数の旧型車を淘汰したんですが、経緯としては同じですね。

地方私鉄の譲渡車両って、だいたい京王系・東急系・西武系の3つに勢力図が分かれますよね。これにメトロ系が追随するような感じでしょうか。京王系のタネ車はほぼ本線の5000系と井の頭線の3000系ですが、3000系はここ北鉄の他にも上電・岳鉄・アルピコ(松電)・伊予鉄と5社に分かれて今でも活躍しています。昨秋、伊予鉄で5000系と3000系で京王三昧したのは記憶に新しいところ。ちなみに浅野川線に譲渡された3000系は1996年と導入が早かったせいで、型番の古い初期ロットの片扉車が残っているのが京王ファンには嬉しいのでは。この8801-8811編成、横浜の東急車輛で昭和37年に製造された還暦の車輛です。

地下駅の北鉄金沢を出ると、列車はすぐに地上へ出て、路線名の由来ともなった浅野川に沿って北へ走ります。沿線は金沢市北部の住宅地で、特段語る事もないとりとめもないような郊外の景色。七ツ屋・上諸江・磯部・割出・・・と1kmも行かないうちに次の駅が現れるという地元密着型の駅配置で、駅に着くたびに運転士氏によってバタバタと慌ただしく片扉が開け閉めされる。途中の三ツ屋で上下列車が交換。朝の下り電車なのでさしたる流動はないものの、上り電車にはそれなりの乗車客数が見受けられます。現在の運転間隔は日中30分ヘッド。20分ヘッドで毎時3本にしてくれたらもっとフリークエンシーが高まるかと思うのだが、コロナ禍の現在ではなかなか難しいか。

北鉄金沢から15分。終点の内灘の一つ前、粟ヶ崎と言う駅で電車を降ります。終点の一つ前は良駅の法則、というには無味乾燥な1面1線のホームですが、ここで浅野川線の電車を何本か撮影して行こうと思います。まあそれにしても湿度と夏の日射しで電車から一歩外に出るとゲンナリするような暑さだ。思わずホームの自動販売機でスポーツドリンクを購入してしまった。北陸の夏も暑いねえ。フェーン現象ってヤツか。

粟ヶ崎の駅の手前にかかる大野川放水路の鉄橋。浅電唯一と言ってもいい撮影ポイント。北鉄金沢から内灘まで、基本的には家並みが続いたゴチャゴチャした場所が多くて、この大野川の鉄橋くらいしか引きで列車の構図を作れるところがないんですよね。この川は日本海と河北潟を繋ぐ水路のようになっており、水面すれすれのガーターがいかにも海に近い内灘の街らしい。お隣富山だと、新湊の街角とかで感じる潮風混じりの街の香りがする。ここで川風に吹かれながらのんびりと折り返しの電車を待つ・・・予定だったのだが、思った以上に橋の幅員が狭く、橋の上に立ってるとクルマに轢かれそうになるのであった。

片扉の8800系が、粟ヶ崎の駅を出て大野川の鉄橋を渡って行く。
橋が脆いのか、軌道が弱いのか、制限20km/hくらいの非常にゆっくりとした速度なので、シャッターの早切りにはご注意。

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ペン持って アート気分で 北陸路。

2022年07月16日 17時00分00秒 | 北陸鉄道

(My New Gear・・・@OLYMPUS PEN E-P7)

思えば私のカメラ遍歴、古くはオヤジのお下がりの富士フイルムの「カルディアスーパー」から始まって、コンデジはこれも富士フィルムの「Finepix」シリーズから何台か渡り歩き、一眼レフデビューはNikonのエントリー機D50。そっからニコンの一眼レフの道をその時のお財布と相談しながらとっかえひっかえ進んで来ました。何年か前にAPS-Cからフルサイズに移行し、現行のフルサイズ2台体制で落ち着いていたんですけど、ここんとこになって妙に気になるのが「機材の重さ」。以前なら重たいフルサイズ2台とズームレンズ3~4本にヘタすりゃスリックのこれまた重い三脚や脚立まで担いで現場まで行ってたもんだけど、最近は何だか重いのと面倒くさいので、カメラ1台にお手軽ズームレンズくっつけて手持ちで・・・みたいなお気楽スタイルばかりなんですよね。機材の持ち運びもクルマならともかく、電車と徒歩での撮影行ならなおのこと。街歩きやお店の中だと大きなカメラにレンズ付けて振り回すのも憚られるシチュエーションってあるじゃないですか。何と言うかこう、「機材が【重い/大きい】ので撮影が【しにくい/面倒】」みたいな本末転倒な状況を改善したかったんすよね。という事で、今回のテーマは「機材の小型化」。フルサイズのサブ機1台を下取りに出して、小型のミラーレスカメラを導入してみました。オリンパスペンE-P7。オリンパスペンと言えば復活当初にCMに宮崎あおいをぶっ込んでカメラ女子の掘り起こしに成功したオシャレカメラ。これで今日から私も意識高い系カメラ女子(笑)。ちなみに、ミラーレスならNikonのZシリーズじゃねーのかよ!という声に関しては封殺します。予算の問題です(涙)。

そんな新しいカメラを引っ提げて、ちょっと遠出をして来ました。行ったのは・・・相変わらずの富山方面なのだけれど、まあ今回は新機の肩慣らし、という事で地鉄にこだわらず色々と。いつもなら地鉄の始発電車の時間に合わせて前日の夜に家を出て行くのだけど、奈川渡の道の駅で仮眠をし、少し遅めに朝4時の安房峠を抜けるとそこは飛騨路。いつもなら真っ暗闇のR471も、この時期の夜明けの早さもあって朝の空気を感じながらの快適なドライブ。急ぐ旅でもないなって感じになったので、思わず栃尾温泉の露天風呂で朝湯なんぞを楽しんでしまった。少し眠気の残る頭を、清澄な熱めの湯で覚ます朝。ぼーっとなんも考えない時間。一人。山の空気。せせらぎの音。ちょっと前の方が、こんな感じでのんびりと旅が出来ていたような気がする。最近は撮れ高を気にし過ぎかもしれないねえ・・・

今回は、いつものように富山で地鉄三昧・・・ではなく、少し足を伸ばして北陸鉄道にも行って来ました。福井と富山は行ってたんだけど、間の石川県は新規開拓になりますですね。北陸鉄道、かつては能美線・小松線・金名線・金石線・加南線・能登線などなど石川県内に隈なく路線網を持っていた北陸地方私鉄のマエストロ。現在は内灘への浅野川線と鶴来までの石川線の2路線のみ。どちらも金沢近郊の通勤路線であり、沿線風景は地鉄や福鉄に比べてちょっと魅力に欠けるかな・・・という思いもあって足が向かないでいた。まあ、でも行ったら行ったで何がしかが見つかるのが地方鉄道の良いところ。精一杯の魅力を味わうには少し駆け足だったかもだけど、ぼちぼちご紹介して参ります。ファーストカットは浅野川線の名物撮影地・河北潟に繋がる大野川の鉄橋を渡る8000系8900番台。鉄道ファンじゃなくとも、見れば分かるレベルでの元京王井の頭線であります。

オリンパスペンは「アートモード」ってのがあって、やたらとカメラ上のエフェクトの効いた絵が勝手に撮れてしまう。これは「ドラマティック」というモードで撮影しているのだけど、アートモード、使うのに人間の方が振り回されているうちはダメなんだろうな。エフェクトを先読みして使いこなさないと。

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灼熱に 川鵜項垂れ 古利根や。

2022年07月14日 23時00分00秒 | 東武鉄道

(古利根水郷を行く@東武野田線・春日部~藤の牛島間)

異常に梅雨明けが早く、とても暑い日が多かった6月の末。天気は良かったのだけど、流石は関東の内陸部、埼玉の猛暑は殺人的でありました。何を飲んでも喉が渇き、汗は止まらず、白い手ぬぐいをほっかむりにしながらジリジリとした日差しに焼かれるまま。これで待つのがブルトレとかSLならサマにもなるんだろうけど、8000系なのだから伊達や酔狂の類ではないのである。トロリと澱んだ夏の川面、大落古利根川の低い欄干と橋桁を鳴らしながらゆっくりと走って行く東武8000系。コロナ対策で所々窓が開いているけど、さすがにこの気温だと閉めてクーラー利かせた方が人間的なのでは・・・という気がしないでもない。ホラ、8000系なんて閉め切っててもボロだからどうせすきま風で換気(略

あまりの暑さに、カワウも思わずうなだれる大落古利根川。久し振りにニーニッパなんぞを装着して、夏の午後の埼玉の空気を圧縮してみた。あまりにも暑くなると、晴れていても地上の水蒸気が熱気でどんどんと上昇するから空が白くなって行ってしまうんよね。アタマっから氷入りの水バケツでもかぶりたくなるような、灼熱の東武野田線なのでありました。

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いつまでも あると思うな 8000系。

2022年07月10日 21時00分00秒 | 東武鉄道

(国境の大河を渉る@東武野田線・南桜井~川間間)

ある晴れた日曜に、ふと思い立って訪れたのが東武野田線。今まで野田線なんぞを撮影の対象に選んだ事はほぼなく、どこで撮ろうか逡巡したのでありますが、先日の南海本線じゃないが「迷ったら大きい鉄橋に行け」というセオリーにのっとって、春日部の先にある江戸川橋梁まで行って来ました。家を朝早く出て、現地到着までクルマで2時間以上、神奈川からだと予想以上に遠い野田線。大きな大きな関東平野のど真ん中、埼玉県と千葉県の間を滔々と流れる江戸川は、徳川幕府による利根川の東遷(銚子方面への流路変更)に伴い作られたもの。それまで利根川から色々な支流に分かれて東京湾に流れ込んでいた大小の河川を、千葉の関宿にて本川から分流する形に一本化したもので、広い意味では開削された人工河川という事が出来ます。既に改修から400年の歴史を経て築かれた広い氾濫原は、かつての坂東太郎の名残りを留めるには十分な川幅。単線ながら威風堂々としたトラスを、最新鋭の60000系が渡河して行く。

んで、何で野田線なの?って話なんですが、東武電車の永遠のスタンダード、8000系がかなり少なくなっているのではないか、というのが気になってましてね。公式から正式に「引退します」って言われてからじゃ遅いんで、この手のモノは早目の対応が一番。近くで東武8000系を捕まえるなら亀戸線?とかなんですけど、あそこだと2連になってまうんでチト寂しい。そうなると、やっぱ6連運用になる野田線に行くっきゃないかって事になるんですけど、炎天下の江戸川の土手で三脚出して列車を待っても、顔を出すのは60000系と10000系ばかり。頭をジリジリ焼かれながら待つ事小一時間、やっとこやって来た8000系を慎重に切り取りましたが、本当に数が少なくなった事を実感しましたね・・・

先日発表された東武鉄道の設備投資計画によれば、野田線は「コロナ後の新しい利用状況を踏まえ」て、現在の6連→5連に減車するのだそうで。そうなると、今の6両固定で使用している8000系から中間車を抜いて・・・みたいな面倒はかけず、8000系は順次淘汰した上で、60000系の6連から中抜きした中間車に先頭車両をくっつけて5連を作るほうに舵を切るのではないかと思われます。8000系についてはさすがに経年劣化もあるだろうから、館林から北のローカルに転用って話にもならないでしょう。トロリとした静かな川面に夏の青空が映る江戸川の岸辺。轟音と共に走って行く8000系。先代が纏ったセイジクリームが「昭和の東武色」なら、この新8000系が纏う白いボディにさわやかな二色のブルーのラインはさしずめ「平成の東武色」と言ったところか。

そうそう、私がこの現場に馳せ参ずる直前、東武野田線の野田市の駅に止まってた8000系車内で液体が撒かれたなんて騒ぎがありましてね。車内にいた女子高生が体調を崩して緊急搬送された・・・なんて聞いてすわテロか!と思ってしまったんですけど、よくよく後日情報を拾ってみると、洗車の際に発生した汚水(洗剤かなんか)が車体の隙間から染み込んで車内に漏れ出ただけ、という「それって8000系がボロイだけなんじゃねーの?」という悲しい事実を持ってファイナルアンサーとなってしまいましてね。これはひょっとして、いやひょっとしなくても「野田線の8000系の置き換え圧力」というのはさらに強まらざるを得ない、何ともトホホな何の事件性もない案件として決着してしまいました。いやもうね、こうなったらさっさと撮りに行ってみんな春日部の駅のホームで東武ラーメン食べようぜって気分にはなるわなあ・・・(笑)。

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小湊は やっぱキハ200じゃ ないっすか。

2022年07月07日 21時00分00秒 | 小湊鐡道

(いつもの川間、房国の青空。@上総川間)

言葉はいらぬ、川間の青空。
窓を開けて走る、サボ差しのツートンカラーの気動車よ。
この光景を、いつまでも。

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