家のほうはいらっしゃらなかったけれど
やはり山の向こうを通って
放射能雲が行ったのだなあと思う
笠間も結構高いな
土浦もなあ
家のほうはいらっしゃらなかったけれど
やはり山の向こうを通って
放射能雲が行ったのだなあと思う
笠間も結構高いな
土浦もなあ
これは前漢のもの
まるっこいポコポコした模様は鎚鍱(ついちょう この字が出なくて苦労した)
という技法で作られているそうだ
本体は銀 このポコポコ模様は杏仁形の模様というのだ
でも こういう技法 意匠は もともと中国にはなくて
パルチアのものだというのだわ
パルチアから来たものに青銅で牛型の紐と土台をつけたのではないかという
鎚鍱って 型に当てて金属を鎚で叩いて模様を押し出す技法のことだそうだ
調べると
法隆寺の押し出し仏
(これ東博にある)
これ 鎚鍱仏ともいうのだ(知らなかった)
中国から伝わった技法だと思っていたが
ルーツはパルチアかあ
って
パルチアって 安息国とか そんな程度しか知らない
この間 広開土王はパルチア人ではないかという話もあったが
パルチアって どんな国だったのだろう?
ここら辺 紀元前3世紀から紀元3世紀くらいまで続いた国みたいだ
こうなってくると シルクロード
日本まで伝わって
とイメージしちゃうんだけれど
ええ!!シルクロード というのももうそうかもしれないのか!
知らなかった
パルチアって 大元は スキタイにつながっていくみたいだ
古代の東西の交流は
ラクダに揺られて よりも
疾風怒濤のように駆け巡る騎馬民族をイメージすることにしようかなあ