ここに行くときカートを持って行ってはダメだわ
絶対に階段なんだもの
毎日新聞のビルがそういうつくり
そこをカートを持って上り下りしたので
すっかり手首を痛めちゃった
これを押して歩くと杖代わりにしていると思われて
気の毒な老人だと思われた
博物館で
リボンマークをつけられて
あら ごめんなさいこういうの持ち込んではいけなかったのですか?
ときいたら
いいえ 杖代わりになさるのはいいのですよ
って言われた
実は杖代わりにはならない
押して歩くと私の二の腕は耐え難い痛みになる
(足の筋肉と腕の筋肉襤褸なのだ
一時リウマチ性何とか筋痛症と言われた)
で引っ張って歩くと手首が痛くなる
厄介なこっちゃ
でもこれがあったので色々お買い物出来たのだけれど
さて
を見てきたのだ
これは
近代美術史の授業のような展覧会だった
私はこの手の授業を受けたことがなかったので
とても勉強になった
とりわけ50年代のもの
当時私は小学生から中学生だったので
当然そういう絵は知らなかった
後に知ったのもあったけれど
小学生から中学生にかけて世の中のことを知らなかったな
と
思い知った
池田龍雄 怒りの海 内灘シリーズ
海を帰せ というポスターもあったりして(それは粟津潔のだこの人は
知ってた) !?今に通じるな と思った
でも
内灘闘争というのをそもそも知らなかった
これは 中村宏の砂川5番
中村宏って 浜松出身 日大芸術学部の先生か!
知らなかった
砂川闘争は少し知っている この絵も知ってた
リアルタイムではなく少し後で 歴史として
(私が中学生のころに事件だ)
後にここのそばで働いたので ここがあの砂川かあと思ったりした程度
こういうの ルポルタージュ絵画というのだそうだ
こういうのとか プロレタリア美術とかって
何となく特殊であって マイナーな思想的なもので
こう
大々的に 一つのエポックとして扱われるのか?
とちょっとびっくりした
でも 写真や映像 出版物とくると
そうだな エポックメイキングな美術運動だったな
と思いいたった
この少し前のところでは
戦争のプロパガンダの絵もあって
シンガポールだのボルネオだの
父が行っていた戦地のことを描いた巨大な絵
軍部が描かせたんだろうが
絵描きは何を考えたかなあ
と思い
父から聞いた戦地での話を思い
絵はなかったけれど
オホーツクで戦死しちゃったほうの父も思いした
こう見ていくと
美術作品って歴史の証言者でもあるのだなと改めて感じた
これまで 近代以前は おおむね時の支配層の文化として
美術は推移してきて
支配層のありようを反映した美術だった
その当時の多くの人々
私が生きていたら属している階層の人間は
美術に反映するような文化の担い手ではなかったのだよな
とも思うけれど
この近代美術の流れを見ると
今を生きている自分が
美術作品と触れ合うということ
社会のいろいろなことと触れ合うこと
こういうことが 歴史的に変遷してきた
今という 時点にいるのだな
ということを
感じさせられた展覧会だった
よ