遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

体も頭も疲れてふらふら

2012-10-27 15:22:24 | ただの記事

腕と手首 脚(腿と足首)が痛くて

ふらふら

頭も疲れているの

なぜかというと

伝説の名作という数独が

解けなくってさ

三日もかかったのよ!

全く おそまつな頭だぜい

早い人は3分もありゃ解くのだろうにさ

昨日の帰り秋葉原でお茶飲んで一休みした時に

やっと解けたのだ

そう聞くとやりたいでしょう

でも

私程度の脳みその人は要注意

時間の無駄よ

S6

ところで 明日のスケッチ旅行

天気悪そうだし

地震は多いし

行きたくないなあ

浮世の義理で行くしかないなあ

今日はもう有感地震日本全体では10回だよ

おばさんのご機嫌も心配だし

(武蔵もいないのだ)

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銀河がぶつかる!

2012-10-27 08:57:10 | ただの記事

男鹿人さんのところで銀河がぶつかるという

話を見て

NASAのサイトへ飛んでみて

動画を見て

http://www.nasa.gov/mission_pages/hubble/science/milky-way-collide.html

頭の中に 鳴り響いてしまった

銀の翼を ひからせて 秋の夜空を 駆けて行く天馬
雲の峰 つきぬけて 真北に向かう
ごらん 駿馬の駆けて行く 白銀の道を
風さえのけぞる 鎮まりかえる
銀の翼を ひからせて 秋の夜空を 駆けて行く天馬

地の声をたずさえて 天の声をたずねに
アンドロメダを 西南に スワンの星座を東南の
はるか彼方を あとにして
銀のたてがみ ひからせて 秋の夜空を駆けて行く天馬

  ミイラになって40億年眠って

目覚めたら

わお!

窓の外にアンドロメダを間近に見るのか

37.5億年か?

もうどうでもいい位 アバウトな未来

地球も揺れ

大地震も大津波も

あって当然なんだなあ

儚い私の命 あと10年もないものなあ多分

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この頃地震が多い

2012-10-27 05:16:03 | 地震

ほら右下

お月様が満月近づいた  ら

地震が増えてきた

さっきは広島も揺れたんだな

なんかいやだ

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近代美術館

2012-10-27 05:07:02 | 展覧会情報

ここに行くときカートを持って行ってはダメだわ

絶対に階段なんだもの

毎日新聞のビルがそういうつくり

そこをカートを持って上り下りしたので

すっかり手首を痛めちゃった

これを押して歩くと杖代わりにしていると思われて

気の毒な老人だと思われた

Itojimuki_5100

博物館で

リボンマークをつけられて

あら ごめんなさいこういうの持ち込んではいけなかったのですか?

ときいたら

いいえ 杖代わりになさるのはいいのですよ

って言われた

実は杖代わりにはならない

押して歩くと私の二の腕は耐え難い痛みになる

(足の筋肉と腕の筋肉襤褸なのだ

一時リウマチ性何とか筋痛症と言われた)

で引っ張って歩くと手首が痛くなる

厄介なこっちゃ

でもこれがあったので色々お買い物出来たのだけれど

さて

Buru

を見てきたのだ

これは

近代美術史の授業のような展覧会だった

私はこの手の授業を受けたことがなかったので

とても勉強になった

とりわけ50年代のもの

当時私は小学生から中学生だったので

当然そういう絵は知らなかった

後に知ったのもあったけれど

小学生から中学生にかけて世の中のことを知らなかったな

思い知った

Img100

池田龍雄 怒りの海 内灘シリーズ

海を帰せ というポスターもあったりして(それは粟津潔のだこの人は

知ってた) !?今に通じるな と思った

でも

内灘闘争というのをそもそも知らなかった

Img_1485966_60967843_5_2
これは 中村宏の砂川5番

中村宏って 浜松出身 日大芸術学部の先生か!

知らなかった

砂川闘争は少し知っている この絵も知ってた

リアルタイムではなく少し後で 歴史として

(私が中学生のころに事件だ)

後にここのそばで働いたので ここがあの砂川かあと思ったりした程度

 

こういうの ルポルタージュ絵画というのだそうだ


こういうのとか プロレタリア美術とかって

何となく特殊であって マイナーな思想的なもので

こう

大々的に 一つのエポックとして扱われるのか?

とちょっとびっくりした

でも 写真や映像 出版物とくると

そうだな エポックメイキングな美術運動だったな

と思いいたった

 

この少し前のところでは

戦争のプロパガンダの絵もあって

シンガポールだのボルネオだの

父が行っていた戦地のことを描いた巨大な絵

軍部が描かせたんだろうが

絵描きは何を考えたかなあ

と思い

父から聞いた戦地での話を思い

絵はなかったけれど

オホーツクで戦死しちゃったほうの父も思いした

こう見ていくと

美術作品って歴史の証言者でもあるのだなと改めて感じた

 

これまで 近代以前は おおむね時の支配層の文化として

美術は推移してきて

支配層のありようを反映した美術だった

その当時の多くの人々

私が生きていたら属している階層の人間は

美術に反映するような文化の担い手ではなかったのだよな

とも思うけれど

 

この近代美術の流れを見ると

今を生きている自分が

美術作品と触れ合うということ

社会のいろいろなことと触れ合うこと

こういうことが 歴史的に変遷してきた

今という 時点にいるのだな

ということを

感じさせられた展覧会だった

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