遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

歌うと腹筋が動く

2012-10-30 21:11:30 | ただの記事

車 CDが聞ける

(前のは壊れてた)

で 武蔵が入れたようで

唱歌みたいなのが入っていて

皆知っている曲じゃないか

(私カラオケがだめなんだ

知らない歌ばかり

文部省唱歌とか うたごえの歌とかみたいのでないと歌えない)

で 車の中一人だし

歌った

     

Car

加齢声で 声が届かないけれど

かまこっちゃない

小さい秋  小さい秋見つけた

 

雪の降る町を~~~ダダだん  

これは 腹筋にいいい

(?発声法に問題アリかな?)

しかし 見る影もない じゃない 聴く影もない 元ソプラノ

全然声が出ない

今度

男性歌手が唱歌を歌ってるのをかけよう

佐藤光政さんとか あったかなあ?

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アカデミー・フランセーズ

2012-10-30 04:40:51 | 絵画

フランス語には厳しいルールがあるという話を聞いて

日本語はかなり 訳わからない現代語がどんどん普通になってしまう言語だ

(私もかなりいかがわしい若者語に頭のなかは支配されている)

ということを思った。

それで

そういえば子供のころ(たぶん中学か高校で)

フランス人は自国の言葉を大事にする国民で

美しいフランス語を保つために

コメディー・フランセーズを作った

と習った気がしたけれど

調べたら 私の記憶違いだったかな?

アカデミーフランセーズだったかな?

それでね

アカデミーフランセーズの歴代会員の名前を見たら

ユゴーがはいっている

フフ ユゴーって 私のイメージでは上昇欲求と名誉欲の強い人のように思ってるので

(間違っているかもしれない)

ここに名前を見て にんまりした

そしてもっと後ろに ロティがいる!

ほら!お菊さんのロティ!

この写真 ふんぞり返っているねえ

そこで 印象派が出てきた当時

アカデミーのお偉いさんから

印象派なんかクソ味噌だったということを思い出し

いろいろわかってきた感じがする

 

松岡美術館で

古い美術品を見て

ずっと 文明というのは 支配層によって生み出されたものだったのだなあ

と思い

そういう昔に私が生きていれば

例えばよ 平安時代だって 私は文明とは縁もなく

竪穴式住居で暮らして居た

日々飢えるか飢えないか これが最大関心事の人生だったろうなあ

と思ったわけだ

 

19世紀 印象派が出てきたころ

そういう時代の少し前にバルバラが生きていて

ミュルジュールの「ラ・ボエーム」の世界が

たまたまプッチーニの歌劇になったので

世に知られたけれど

ラ・ボエームの芸術家たちって

アカデミーのようなところからは

どうあしらわれるものだったか

そういう風に考えたことがなかった

ピカソにしろモジリアニにしろ

エコール・ド・パリの画家たちも

今では歴史的な位置づけというのがもう皆の頭の中にはあるけれど

そりゃあ

アカデミーから見られる視線というのを考えると

そういう

古くてお偉い 頭の固そうな そういう権威って

いつの時代でもあるし

当代の新進気鋭の芸術家はたくさんたくさん

つぶされてきたことだろう

今だってそうだ

それが 何もすべて おかしいというわけでもないし

と考えながら 今の現代の表現について

分かりもしないのに あれこれ考えて

寝そびれた ばっかじゃなかろか

 

話は飛ぶけれど

てっきりフランス人は分かっていたって絶対英語でしゃべらない

と思い込んでいたけれど

全然嘘だったね

中学生みたいな子供は嬉しそうに外国人と英語でしゃべりたがったし

英語は通じた(とはいえ 私ろくに英語しゃべれないけれど)

まして 日本語勉強中という若者は

日本語で話す!とがんばってたし。

ま 言葉なんて 結構勢いで通じるものだし

奥の手には絵で会話という手もある

お上品な正当な言葉でないと

顰蹙

というのも 侮ってはいけないという気もするけれど

言葉って 豊かにしていこう 育んでいこうというのは大事なことだよな

国語の先生は頑張っていることだろう

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