私はマジョリティです。
社会的に多くの貧乏人がいて
少数の豊かなものが社会を牛耳っている
そういう意味で
マジョリティです
でも世の中の思想はその少数のものに支配されて
洗脳されている
洗脳なんかされるもんか!
と思っているけれどね
怪しいものだけれど
でも そういう風に考えるのは 世間ではマジョリティではないらしい
世間は不思議だものナア
石原辞任劇の報道 おかしくないか?
洗脳にかかっているんじゃないか?と思っちゃうが
石原都知事を出現させたのは都民だしナア
一つの家庭の中で
常識とされている色々な考え方は
多くの場合奇妙奇天烈
マイノリティだらけでしょうよ
幸せというものは似ているけれど
不幸せは千差万別
みたいに
子供というものは
どこかでうちの親の言うことが普通だと思っていたのに
世間に出でてみたら
かなりヘンなんだ
と
そういうショックを受けるものだよな
この家で
私もそういう 仰天するような自意識の転換を体験したんだった
と
思い出した
そういう幸せな子供時代とおさらばして
客観的に 相対的に物事が突然
ドアが開いて 見晴るかせちまった
というのは
美術教育で言う 9歳の壁に相当するな
と思ったけれど
そういう転換期の現れ方には
家族的な 遺伝的な要素もあるんではないか?
というのだ
そうかな?
わからん。
社会に出てみると
余に中にはかなり奇妙な人も多く
はた迷惑な人も多いことに触れると
子供は
自分の親もかなりヘン
仕事をしていたころは
そういうはた迷惑な どうしようもない働き手だったのではないか?
と思うものらしい
改めて問われると
本人に自覚が無いことが多い
そういうはた迷惑な人
私がそうだったら 自覚が無いんだから
解るわけがないよ
ふむ 迷惑かけているのかもナア
スミマセンねえ お友達!
ところで
昨夜はぐっすり眠れた
一昨夜はちょくちょく目覚めた
ここは幹線道路沿い高速もすぐそばを走っている
かなりうるさいが
それは大丈夫なのだ
ここで 寝てきたのだから
高速の音は往年とは違って地響きも凄いけど
それでこの築60年強の陋屋で
ここで平気で暮らせる子供も結構すごいが
友人の危惧(怖くないかお化けが出そう)にもかかわらず
非常に住み心地はいいのだそうだ
ここに来るまでの葛飾の家は線路沿いだったし
うるさいのは平気みたいだ
でも
ここでほっとするというのは
記憶というのが遺伝するか?
と一瞬思ってしまった
娘のほうは生まれて後半月ぐらいはここで暮らしたが
弟のほうは生まれた途端加羅具合が悪く後長く入院していたので
ここで私の産後の回復時を過ごすことはなかったし
母は 病気になって入院 じきに私たちの家で同居を始めたのだから
幼い記憶は無いのだ
さて
ちょっと用をたしに駅前まで出かけて
それから 帰ろう