永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1092)

2012年04月03日 | Weblog
2012. 4/3     1092

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(63)

「『その大和言葉だに、つきなくならひにければ、ましてこれは』といふ。いとかたはに心遅れたりとは見えず。ここに置きてえ思ふままにも来ざらむことをおぼすが、今より苦しきは、なのめにはおぼさぬなるべし」
――(浮舟は)「そうした和歌を詠むことさえ、不似合いに過ごしてまいりましたので、まして、琴など…」と申し上げます。この返事の仕方からは、そう見ぐるしく劣った性質とは見えない。浮舟をここ宇治に置いておいては、自由に訪ねる事もできないだろう、とお思いになり始めて、今からこう苦しい気持ちになるとは、やはり並大抵のご愛情ではないらしい――

 薫は琴を押しやって、

「『楚王の台の上の琴の声』と誦し給へるも、かの弓をのみ引くあたりにならひて、いとめでたく、思ふやうなり、と、侍従も聞き居たりけり。さるは扇の色も心おきつべき閨のいにしへをば知らねば、ひとへにめできこゆるぞ、おくれたるなめるかし。ことこそあれ、あやしくも言ひつるかな、とおぼす」
――「楚王(そおう)の台の上の琴の声」と口ずさみになりますのを、あの弓を引くのばかりが上手な東夷(あずまえびす)の間で暮らしていました侍従には、本当に素晴らしい申し分のない御方と思って聞いているのでした。実は、この詩は、漢の班女が帝の寵の衰えたことを歎いて、忘れられた閨の扇の色に譬えたものですが、侍従はその不吉と言えば言える故事も知りませんので、ただひたすらお誉め申すのは、まったく無教養なことですこと。(薫は心の中で)他に吟ずる詩もあろうに、われながら妙なことを言ったものだと、お思いになるのでした――

 尼君の方から果物を差し上げます。その側になにやら読みにくい字で、歌が書いてあります。

尼君の歌「やどり木は色かはりぬ秋なれどむかしおぼえて澄める月かな」
――あなたがかつて詠まれた宿木は、秋になって色が変わってしまいましたが、月は昔に似て澄んでいますことよ(大君と、浮舟と、住む人は変わりましたが、あなた(薫)は昔のまま、ここにおられますよ)――

 古めかしい歌ではありますが、薫は気恥かしくもあはれに眺められて、

薫の歌「里の名もむかしながらに見し人のおもがはりせるねやの月かげ」
――里の名も昔のまま宇治(憂し)ではあるが、かつての大君は、今は浮舟と姿を変えて、月影(自分)のさす閨にいることよ――

 殊更返歌というのではなくお詠みになりましたのを、侍従が弁の尼君にお取り次ぎましたとか。

◆「楚王(そおう)の台の上の琴の声」=和漢朗詠集のうた

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】終わり。次は「浮舟の巻」

4/4~4/10までお休み。では4/11に。