永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1101)

2012年04月28日 | Weblog
2012. 4/27    1101

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その9

「御心のうちには、いかにして、この人を、見し人かとも見さだめむ、かの君の、さばかりにてすゑたるは、なべてのよろしき人にはあらじ、このわたりには、いかでうとからぬにかはあらむ、心をかはして隠し給へりけるも、いとねたう覚ゆ。ただそのことを、この頃は思ししみたり」
――(匂宮は)御心のなかで、どうかしてその女君を、先頃見たあのひとかどうか確かめたい、薫がそれほどまでして隠し囲っているからには、並みの美人ではあるまい。こちらの中の君と親しくしているのは、どのような縁故があるのか。薫と中の君が心を合わせて隠しておられるのもひどく妬ましく思われるのでした。匂宮はただそのことばかりを、この頃思い詰めていらっしゃる――

「賭弓、内宴など過ぐして、心のどかなるに、司召など言ひて、人の心つくすめる方は、何とも思さねば、宇治へしのびておはしまさむことをのみ思しめぐらす」
――賭弓、内宴の行事が終わり、心のどかな折である匂宮には、司召などといって人々が躍起になっていることなどには関わりのないご身分であってみれば、ただただ宇治に忍んでお出かけになる事ばかりを思案しておいでになるのでした――

「この内記は、望むことありて、夜昼、いかで御心に入らむ、と思ふころ、例よりはなつかしう召し使ひて、『いと難きことなりとも、わが言はむことはたばかりてむや』などのたまふ。かしこまりてさぶらふ」
――この内記は、官位の昇進を望んでいて、夜といい昼といい、何とか匂宮のお気に入ろうと思っていた時分に、匂宮がいつもより身近に呼び寄せられて、『どんな難しいことでも、私の言うことを、うまく取り計らってくれるか』とおおせになります。内記は謹んで承るのでした――

「『いとびんなきことなれど、かの宇治に住むらむ人は、はやうほのかに見し人の、行くへも知らずなりにしが、大将にたづね取られにける、と聞きあはすることこそあれ。たしかには知るべきやうもなきを、ただものよりのぞきなどして、それかあらぬかと見さだめむ、となむ思ふ。いささか人に知らるまじき構へは、いかがすべき』とのたまへば」
――(匂宮は)「実ははなはだ具合の悪い話なのだが、あの宇治に住んでいる女君は、昔、わたしがちょっと逢ったことのある女らしい。行方不明になって、それが大将に尋ね取られたのだったと、今度聞いて思い合わせた次題なのだ。はっきりとは確かめようがないのだが、ほんのちょっとでも、人には知られず、その女かどうかを見極めたいと思うのだが、どんな工面をしたらよいだろうか」とおっしゃられるのでした――

「あなわづらはし、と思へど、『おはしまさむことは、いと荒き山越えになむ侍れど、ことに程遠くはさぶらはずなむ。夕つかた出でさせおはしまして、亥子の時にはおはしまし着きなむ。さてあかつきにこそは帰らせ給はめ。人の知り侍らむことは、ただ御供にさぶらひ侍らむこそは。それも、深き心はいかでか知り侍らむ』と申す」
――(大内記は)心の中で厄介なことになったとは思うものの、「宇治においでになりますことは、まことに道の悪い山越えをなさらねばなりませんが、格別に遠いというほどでもございません。夕方お発ちになりますと亥子(いね=十時から十二時)の刻にはお着きになりましょう。そして明け方にはお帰りになれましょう。人に知れるということでは、お供の者ばかりでございましょうし、それも深い事情などどうして分かりましょう」と申し上げます――

◆賭弓(のりゆみ)=正月十八日、帝が弓場殿(ゆばどの)にお出ましになり、近衛兵衛の舎人らの競射を御覧になる行事。

◆内宴(ないえん)=正月二十一日の頃、仁寿殿でおこなわれる内々の節会。

◆司召(つかさめし)=平安中期以降、京官、外官の諸官を任命すること。またその儀式自体である宮中の年中行事を指し、任官した者を列記した帳簿そのものを指す(除書ともいう)。「除」は前官を除いて新官を任ずる意味で、「目」は目録に記すことを意味する。普通は秋の除目を言うが、ここでは総称として用いた。

では4/29に。