2012. 4/23 1099
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その7
侍女の少将は、
「『見給へしかば、いかでかは参らせまし。すべてこの子は、心地なうさし過ぐして侍り。生先見えて、人はおほどかなるこそをかしけれ』など憎めば、『あなかま。をさなき人な腹立てそ』とのたまふ」
――「もし気づいていましたら、どうして御前になど差し出しましょう。全くこの子は考えのない出過ぎた子だこと。人は将来頼もしい風におっとりとしているのが良いのに」などとぶつぶついいますのを、中の君は「まあまあ、そんなこと。幼い者に腹を立てるものではありません」とおっしゃいます――
この子は、去年の冬、ある人がこちらへ差し出した童ですが、顔立ちがたいそう美しいので、匂宮もとりわけ可愛がっておいでなのでした。
「わが御方におはしまして、あやしうもあるかな、宇治に大将の通ひ給ふことは、年ごろ絶えずと聞くなかにも、しのびて夜とまり給ふ時もあり、と人の言ひしを、いとあまりなる人の形見とて、さるまじきところに、旅寝し給ふらむこと、と思ひつるは、かやうの人隠し置き給へるなるべし、と、思し得ることもありて、御書のことにつけて、使ひ給ふ大内記なる人の、かの殿にしたしきたよりあるを思し出でて、御前に召す」
――(匂宮は)ご自分のお部屋にもどられて、なんとも妙なことがあるものだな。宇治に薫がお通いになるのは、随分久しくなるというが、この頃では忍んで泊まられるとか、だれかが言っていたが、いくら亡き人(大君)の形見だからといって、あのような山里に旅寝されようとは、いかにも府に落ちないと思っていたが、さてはこのような女を隠して置かれたのかと、合点されることがありまして、学問上のことにかこつけて、出入りさせておいでになる大内記で、薫のお邸に縁故のある者を思い出されますと、お呼び出しになります――
「参れり。韻塞ぎすべきに、集ども選り出でて、こなたなる厨子に積むべき事などのたまはせて、『右大将の宇治へいますること、なほ絶え果てずや。寺をこそ、いとかしこくつくりたなれ。いかでか見るべき』とのたまへば」
――やがて大内記が参上しますと、韻塞ぎ(いんふたぎ)をしたいのだが、漢詩の集を選び出して、こちらの厨子に積むように、などとお命じになって、『右大将(薫)が宇治に行かれるのは今でも続いているのかね。寺を大そう立派に建てたそうだが、是非何とかしてみられないものか』とおおせられますと――
「いといかめしくつくられて、不断の三昧堂など、いと尊く掟てられたり、となむ聞き給ふる。通ひ給ふことは、去年の秋ごろよりは、ありしよりもしばしばものし給ふなり。下の人々の、しのびて申ししは、」
――寺は大そうご立派に厳めしくお造りになって、不断の三昧堂なども、まことに尊く作るように指図されたと聞いております。大将殿は去年の秋ごろから、前よりも足しげくお通いのご様子です。下人などがこっそりと申しますには…――
と申し上げ、さらに続けて…
◆大内記(だいないき)=中務省に属し、詔勅を草し位記を記す官
◆不断の三昧堂(ふだんのざんまいどう)=常住不断に念仏を唱えて勤行に専念するための堂
では4/25に。
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その7
侍女の少将は、
「『見給へしかば、いかでかは参らせまし。すべてこの子は、心地なうさし過ぐして侍り。生先見えて、人はおほどかなるこそをかしけれ』など憎めば、『あなかま。をさなき人な腹立てそ』とのたまふ」
――「もし気づいていましたら、どうして御前になど差し出しましょう。全くこの子は考えのない出過ぎた子だこと。人は将来頼もしい風におっとりとしているのが良いのに」などとぶつぶついいますのを、中の君は「まあまあ、そんなこと。幼い者に腹を立てるものではありません」とおっしゃいます――
この子は、去年の冬、ある人がこちらへ差し出した童ですが、顔立ちがたいそう美しいので、匂宮もとりわけ可愛がっておいでなのでした。
「わが御方におはしまして、あやしうもあるかな、宇治に大将の通ひ給ふことは、年ごろ絶えずと聞くなかにも、しのびて夜とまり給ふ時もあり、と人の言ひしを、いとあまりなる人の形見とて、さるまじきところに、旅寝し給ふらむこと、と思ひつるは、かやうの人隠し置き給へるなるべし、と、思し得ることもありて、御書のことにつけて、使ひ給ふ大内記なる人の、かの殿にしたしきたよりあるを思し出でて、御前に召す」
――(匂宮は)ご自分のお部屋にもどられて、なんとも妙なことがあるものだな。宇治に薫がお通いになるのは、随分久しくなるというが、この頃では忍んで泊まられるとか、だれかが言っていたが、いくら亡き人(大君)の形見だからといって、あのような山里に旅寝されようとは、いかにも府に落ちないと思っていたが、さてはこのような女を隠して置かれたのかと、合点されることがありまして、学問上のことにかこつけて、出入りさせておいでになる大内記で、薫のお邸に縁故のある者を思い出されますと、お呼び出しになります――
「参れり。韻塞ぎすべきに、集ども選り出でて、こなたなる厨子に積むべき事などのたまはせて、『右大将の宇治へいますること、なほ絶え果てずや。寺をこそ、いとかしこくつくりたなれ。いかでか見るべき』とのたまへば」
――やがて大内記が参上しますと、韻塞ぎ(いんふたぎ)をしたいのだが、漢詩の集を選び出して、こちらの厨子に積むように、などとお命じになって、『右大将(薫)が宇治に行かれるのは今でも続いているのかね。寺を大そう立派に建てたそうだが、是非何とかしてみられないものか』とおおせられますと――
「いといかめしくつくられて、不断の三昧堂など、いと尊く掟てられたり、となむ聞き給ふる。通ひ給ふことは、去年の秋ごろよりは、ありしよりもしばしばものし給ふなり。下の人々の、しのびて申ししは、」
――寺は大そうご立派に厳めしくお造りになって、不断の三昧堂なども、まことに尊く作るように指図されたと聞いております。大将殿は去年の秋ごろから、前よりも足しげくお通いのご様子です。下人などがこっそりと申しますには…――
と申し上げ、さらに続けて…
◆大内記(だいないき)=中務省に属し、詔勅を草し位記を記す官
◆不断の三昧堂(ふだんのざんまいどう)=常住不断に念仏を唱えて勤行に専念するための堂
では4/25に。