2012. 11/7 1175
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その15
「いみじくも思したりつるかな、いとはかなかりけれど、さすがに高き人の宿世なりけり、当時の帝后の、さばかりかしづきたてまつり給ふ皇子、顔容貌よりはじめて、ただ今の世にはたぐひおはせざめり、見給ふ人とても、なのめならず、さまざまにつけてかぎりなき人をおきて、これに御心をつくし、世の人立ち騒ぎて、修法、読経、祭り、祓と、道々に騒ぐは、この人を思すゆかりの、御心地のあやまりにこそはありけれ…」
――(薫は)よくもまあ、匂宮は浮舟にそれほど執心されたことよ。まことにあの女の一生は儚く終わったが、さすがにすぐれた運勢の人であった。この宮は、帝や中宮があれほど大切にしておいでの親王であり、御容貌からして、今の世に類いないお方でいらっしゃる。宮が愛される夫人方にしても、並々ならず、それぞれにつけてこの上ない人々を差し置いて、浮舟に愛の限りを尽くされ、世間の人々が大騒ぎして、修法よ、読経よ、祭り、祓えと、それぞれの道の者が忙しくつとめるのは、この浮舟を恋慕する故の御不例であったのだ…――
このように薫は胸のうちに思いつづけられて、さらに
「われも、かばかりの身にて、時の帝の御女をもちたてまつりながら、この人のらうたく覚ゆる方はおとりやはしつる、まして今は、と覚ゆるには、心をのどめむ方なくもあるかな、さるは、をこなり、かからじ、と思ひ忍ぶれど、さまざまに思ひ乱れて、『人木石にあらざればみな情けあり』と、うち誦じて臥し給へり」
――自分もこれ程の身分で、当代の帝の姫宮を賜っているけれども、この浮舟を愛しいと思う心が宮に劣っていようか。まして今は亡き人だと思うにつけては、心を鎮めようもない。だがしかしこれは未練がましい、もう歎くまいと堪えてみますが、千々にお心が乱れて、「人、木石にあらざれば、皆、情(なさけ)あり」と白氏文集の句を口ずさみながら、臥せっておいでになります――
「のちのしたためなども、いとはかなくしてけるを、宮にもいかが聞き給ふらむ、と、いとほしくあへなく、母のなほなほしくて、兄弟あるは、など、さやうの人は言ふことあなるを思ひて、ことそぐなりけむかし、など、心づきなく思す」
――死後の葬送のことも、至極簡単に済ませてしまったことも、匂宮の御方(中の君)はどうお聞きになったであろうと、愛おしくも、あっけなくもお思いになりますが、浮舟の母が低い身分の人なので、その程度の人々は、後に残された兄弟のある者はすべて簡単に、などと言うそうなので、それで粗略にしたのかなどと考えては、気分をお悪くなさっています――
「おぼつかなさもかぎりなきを、ありけむさまもみづから聞かまほし、と思せど、長ごもりし給はむもびんなし、往きと往きて立ちたへらむも心苦し、など、思しわづらふ」
――宇治の様子も腑に落ちないことが多く、浮舟の臨終の模様も、人伝てでなく直に聞きたいとお思いになりますが、忌の終わるまで長逗留することも所詮具合悪く、といって、往くには往ってもすぐ帰ってくるのも辛いし、などと思案に暮れるのでした――
では11/9に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その15
「いみじくも思したりつるかな、いとはかなかりけれど、さすがに高き人の宿世なりけり、当時の帝后の、さばかりかしづきたてまつり給ふ皇子、顔容貌よりはじめて、ただ今の世にはたぐひおはせざめり、見給ふ人とても、なのめならず、さまざまにつけてかぎりなき人をおきて、これに御心をつくし、世の人立ち騒ぎて、修法、読経、祭り、祓と、道々に騒ぐは、この人を思すゆかりの、御心地のあやまりにこそはありけれ…」
――(薫は)よくもまあ、匂宮は浮舟にそれほど執心されたことよ。まことにあの女の一生は儚く終わったが、さすがにすぐれた運勢の人であった。この宮は、帝や中宮があれほど大切にしておいでの親王であり、御容貌からして、今の世に類いないお方でいらっしゃる。宮が愛される夫人方にしても、並々ならず、それぞれにつけてこの上ない人々を差し置いて、浮舟に愛の限りを尽くされ、世間の人々が大騒ぎして、修法よ、読経よ、祭り、祓えと、それぞれの道の者が忙しくつとめるのは、この浮舟を恋慕する故の御不例であったのだ…――
このように薫は胸のうちに思いつづけられて、さらに
「われも、かばかりの身にて、時の帝の御女をもちたてまつりながら、この人のらうたく覚ゆる方はおとりやはしつる、まして今は、と覚ゆるには、心をのどめむ方なくもあるかな、さるは、をこなり、かからじ、と思ひ忍ぶれど、さまざまに思ひ乱れて、『人木石にあらざればみな情けあり』と、うち誦じて臥し給へり」
――自分もこれ程の身分で、当代の帝の姫宮を賜っているけれども、この浮舟を愛しいと思う心が宮に劣っていようか。まして今は亡き人だと思うにつけては、心を鎮めようもない。だがしかしこれは未練がましい、もう歎くまいと堪えてみますが、千々にお心が乱れて、「人、木石にあらざれば、皆、情(なさけ)あり」と白氏文集の句を口ずさみながら、臥せっておいでになります――
「のちのしたためなども、いとはかなくしてけるを、宮にもいかが聞き給ふらむ、と、いとほしくあへなく、母のなほなほしくて、兄弟あるは、など、さやうの人は言ふことあなるを思ひて、ことそぐなりけむかし、など、心づきなく思す」
――死後の葬送のことも、至極簡単に済ませてしまったことも、匂宮の御方(中の君)はどうお聞きになったであろうと、愛おしくも、あっけなくもお思いになりますが、浮舟の母が低い身分の人なので、その程度の人々は、後に残された兄弟のある者はすべて簡単に、などと言うそうなので、それで粗略にしたのかなどと考えては、気分をお悪くなさっています――
「おぼつかなさもかぎりなきを、ありけむさまもみづから聞かまほし、と思せど、長ごもりし給はむもびんなし、往きと往きて立ちたへらむも心苦し、など、思しわづらふ」
――宇治の様子も腑に落ちないことが多く、浮舟の臨終の模様も、人伝てでなく直に聞きたいとお思いになりますが、忌の終わるまで長逗留することも所詮具合悪く、といって、往くには往ってもすぐ帰ってくるのも辛いし、などと思案に暮れるのでした――
では11/9に。