永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1181)

2012年11月19日 | Weblog
2012. 11/19    1181

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その21

「尼君なども、けしきは見てければ、つひに聞き合せ給はむを、なかなか隠しても、こと違ひて聞えむに、そこなはれぬべし、あやしきことのすぢにこそ、そらごとも思ひめぐらしつつならひしか、かくまめやかなる御けしきにさし向ひきこえては、かねてと言はむかく言はむと設けし言葉も忘れ、わづらはしう覚えければ、ありしさまのことどもを聞えつ」
――(右近は心の中で)弁の尼君なども、きっと様子を見ていて、つまりは薫大将は結局真相をお聞き合わせになるであろう。なまじ自分達が隠しても、だれかが間違ったことをお聞かせ申したりすれば、却って事実も損なわれてしまうだろう。匂宮との秘密な関係についても嘘をついて庇って差し上げたりもしたが、こんな気真面目な薫の御態度を拝しては、前々からああ言おう、こう言おうと用意していた言葉も忘れ、困り切った末に、事実通りのことを申し上げました――

「あさましう、思しかけぬすぢなるに、ものもとばかりのたまはず。さらにあらじ、と覚ゆるかな、なべての人の思ひ言ふことをも、こよなく言ずくなに、おほどかなりし人は、いかでさるおどろおどろしきことは思ひ立つべきぞ、いかなるさまに、この人々、もてなして言ふにからむ、と、御心も乱れまさり給へど、宮も思し歎きたるけしきいとしるし、ここのありさまも、しかつれなしづくりたらむ、けはひはおのづから見えぬべきを、かくおはしましたるにつけても、悲しくいみじきことを、上下のつどひて泣き騒ぐを、と聞き給へば」
――呆れた思いもかけぬ出来ごとに、殿はしばらくはものもおっしゃらない。そんなことが一体本当にあるものだろうか。だれでもが普通に考えて口にするようなことでも、あの浮舟はめったに口にせず、おっとりしていたが、どうしてそんな恐ろしい事を思い立つ訳があろう。どんな風に右近たちが作り上げて言っているのかと、お心もいっそう乱れるのでしたが、あの匂宮が悲しみ歎いていらっしゃのも確かであれば、ここの人たちにしても空々しい作り事を言っているのであれば、自然にその様子が分かる筈である。こうして自分が来たのをみても、悲しくて仕方が無いと、上下(かみしも)の者が寄りあって泣き騒いでいるのも、嘘とはおもわれませんので――

「『御供に具して亡せたる人やある。なほありけむことをたしかに言へ。われをおろかなり、と思ひて、そむき給ふことは、よもあらじ、となむ思ふ。いかやうなる、たちまちに、言ひ知らぬことありてか、さるわざはし給はむ。われなむえ信ずまじき』とのたまへば」
――(薫が)「お供をして誰か居なくなった者はいなのか。もっとはっきりその場の様子を言ってもらいたい。私の態度がいい加減だと思って世を背からえることは、よもやあるまい、と思うのだ。いったいどんな突発的に、言うに言われぬことが起こったとて、そのような思い切ったことをなさったのか。私にはどうにも信じられない」とおっしゃるので――

「いといとほしく、さればよ、とわづらはしくて、『おのづから聞し召しけむ。もとより思すさまならで生ひ出で給へりし人の、世離れたる御住まひの後は、いつとなくものをのみ思すめりしかど、たまさかにもかく渡りおはしますを、待ちきこえさせ給ふに、もとよりの御身のなげきをさへなぐさめ給ひつつ、心のどかなるさまにて、時々も見たてまつらせ給ふべきやうに、いつしかとのみ、言に出でてはのたまはねど、思しわたるめりしを…』
――(右近は)ああ、やはりそのことへお気づきになられたと、いよいよ困って「自然、お耳に入っていることと存じますが、あの御方はもともと不本意なご境遇で成長なされた方ですが、人里離れた宇治のお住いにお過ごしになるようになりましてからは、いつということでもなく、物思いに沈んでいらっしゃいました。でもこうして時折り殿においでいただくのをお待ちもうされることで、もとからのお身の上の歎きまでも慰められておいでのご様子でしたが、この上は、ゆっくり落ち着いて、時折りにでもお逢い申されますようにと、お口にはお出しになりませんでしたが、お心深く思い続けておいでだったのでございましょう…――

では11/21に。