2012. 11/11 1177
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その17
「いと夢のやうにのみ、なほいかで、いとにはかになりけることにかは、とのみ、いぶせければ、例の人々召して、右近を迎へにつかはす。母君も、さらにこの水の音けはひを聞くに、われも転び入りぬべく、悲しく心憂きことのどまるべくもあらねば、いとわびしうて、帰り給ひけり」
――(匂宮としては)ただもう夢のようで、それにしてもどうして急に死んでしまったのか、とのみ気懸りで、例の人々(大内記や時方など)をお召しになって、右近を事情を聞くべく使いを出します。浮舟の母は母で、宇治川の流れのすさまじさに、まるで自分も川に転び込みそうで恐ろしく、悲しく気が滅入っておさまりそうもありませんので、やりきれない思いで京へ帰りました――
「念仏の僧どもをたのもしき者にて、いとかすかなるに、入り来たれば、ことごとしく、にはかに立ちめぐりし宿直人どもも見とがめず。あやにくに、かぎりのたびしも、入れたてまつらずなりにしよ、と思ひ出づるも、いとほし」
――(宇治では)ただ念仏の僧たちを頼りにして、たいそうひっそりと暮らしているところへ、例のお使いが来ましたが、先日は厳重に警護に立ちまわっていた宿直人たちも、今日は咎めない。
あいにく最後のお別れとなったあの時に限って、お入れ申し上げることができなかったことよ、と、右近たちは思い出すにつけても、お愛おしい――
「さるまじきことを思ほしこがるること、と、見苦しく見たてまつれど、ここに来ては、おはしましし夜な夜なのありさま、抱かれたてまつり給ひて、舟に乗り給ひしけはひの、あてに美しかりしことなどを思ひ出づるに、心強き人なくあはれなり」
――宮が、ご無理な恋慕に胸を焦がしておいでになるのを、見苦しいことと、時方はお見上げしていたものの、ここに来てみますと、あのお通いになった夜々のご様子、匂宮に抱かれて舟に乗り移られた姫君のお姿の、上品で美しかったことなどが思い出されて、気強くとやかく言う人も無く、皆しみじみと悲しい――
「右近会いて、いみじう泣くもことわりなり。『かくのたまはせて、御使ひになむ参り来つる』と言へば、『今さらに、人もあやしと言ひ思はむもつつましく、参りても、はかばかしく聞し召しあきらむばかり、もの聞えさすべき心地もし侍らず。この御忌果てて、あからさまにものになむ、と、人に言ひなさむも、すこし似つかはしかりぬべき程になしてこそ、心より外の命侍らば、いささか思ひしづまらむ折になむ、仰せごとなくとも参りて、げにいと夢のやうなりしことどもも、語りきこえさせ侍らまほしき』と言ひて、今日は動くべくもあらず」
――右近が対面して、ただただ泣きじゃくるのも道理です。時方が「宮が、このように仰せられましたので、お使いに参りました」と言いますと、右近は「今更、ここの人たちに、変に思われたりしますのも、いかがかと存じますし、私が参上しましたところで、はっきりご納得なさるほど、しっかりとお話ができるとも思えません。この御忌中が済みまして、ちょっと他所へ出かけて来ます、と人に知らせてもおかしくない時分になりまして、もしも思いの外に生きておりますならば、気分も落ち着いた頃に、仰せがございませんでも、その頃に参上いたしまして、ほんとうに夢のようであった出来事なども、お話申し上とうございます」と言って、今日は動きそうもありません――
◆のどまる=静まる、落ち着く。
では11/13に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その17
「いと夢のやうにのみ、なほいかで、いとにはかになりけることにかは、とのみ、いぶせければ、例の人々召して、右近を迎へにつかはす。母君も、さらにこの水の音けはひを聞くに、われも転び入りぬべく、悲しく心憂きことのどまるべくもあらねば、いとわびしうて、帰り給ひけり」
――(匂宮としては)ただもう夢のようで、それにしてもどうして急に死んでしまったのか、とのみ気懸りで、例の人々(大内記や時方など)をお召しになって、右近を事情を聞くべく使いを出します。浮舟の母は母で、宇治川の流れのすさまじさに、まるで自分も川に転び込みそうで恐ろしく、悲しく気が滅入っておさまりそうもありませんので、やりきれない思いで京へ帰りました――
「念仏の僧どもをたのもしき者にて、いとかすかなるに、入り来たれば、ことごとしく、にはかに立ちめぐりし宿直人どもも見とがめず。あやにくに、かぎりのたびしも、入れたてまつらずなりにしよ、と思ひ出づるも、いとほし」
――(宇治では)ただ念仏の僧たちを頼りにして、たいそうひっそりと暮らしているところへ、例のお使いが来ましたが、先日は厳重に警護に立ちまわっていた宿直人たちも、今日は咎めない。
あいにく最後のお別れとなったあの時に限って、お入れ申し上げることができなかったことよ、と、右近たちは思い出すにつけても、お愛おしい――
「さるまじきことを思ほしこがるること、と、見苦しく見たてまつれど、ここに来ては、おはしましし夜な夜なのありさま、抱かれたてまつり給ひて、舟に乗り給ひしけはひの、あてに美しかりしことなどを思ひ出づるに、心強き人なくあはれなり」
――宮が、ご無理な恋慕に胸を焦がしておいでになるのを、見苦しいことと、時方はお見上げしていたものの、ここに来てみますと、あのお通いになった夜々のご様子、匂宮に抱かれて舟に乗り移られた姫君のお姿の、上品で美しかったことなどが思い出されて、気強くとやかく言う人も無く、皆しみじみと悲しい――
「右近会いて、いみじう泣くもことわりなり。『かくのたまはせて、御使ひになむ参り来つる』と言へば、『今さらに、人もあやしと言ひ思はむもつつましく、参りても、はかばかしく聞し召しあきらむばかり、もの聞えさすべき心地もし侍らず。この御忌果てて、あからさまにものになむ、と、人に言ひなさむも、すこし似つかはしかりぬべき程になしてこそ、心より外の命侍らば、いささか思ひしづまらむ折になむ、仰せごとなくとも参りて、げにいと夢のやうなりしことどもも、語りきこえさせ侍らまほしき』と言ひて、今日は動くべくもあらず」
――右近が対面して、ただただ泣きじゃくるのも道理です。時方が「宮が、このように仰せられましたので、お使いに参りました」と言いますと、右近は「今更、ここの人たちに、変に思われたりしますのも、いかがかと存じますし、私が参上しましたところで、はっきりご納得なさるほど、しっかりとお話ができるとも思えません。この御忌中が済みまして、ちょっと他所へ出かけて来ます、と人に知らせてもおかしくない時分になりまして、もしも思いの外に生きておりますならば、気分も落ち着いた頃に、仰せがございませんでも、その頃に参上いたしまして、ほんとうに夢のようであった出来事なども、お話申し上とうございます」と言って、今日は動きそうもありません――
◆のどまる=静まる、落ち着く。
では11/13に。