2012. 11/23 1183
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その23
「たしかにこそは聞き給ひてけれ、と、いといとほしくて、『いと心憂きこと聞し召しけるにこそは侍るなれ。右近もさぶらはぬ折は侍らぬものを』とながめやすらひて、『おのづから聞し召しけむ。この宮の上の御方に、忍びてわたらせ給へりしを、あさましく思ひかけぬ程に、入りおはしましたりしかど、いみじきことを、聞こえさせ侍りて、出でさせ給ひにき。それにおぢ給ひて、かのあやしく侍りしところにはわたらせ給へりしなり…』」
――(右近は心の中で)薫大将はあの秘密をすっかり聞いておいでなのだ、と大そうお気の毒で、「自然にお耳にも入りましたことと存じます。あの宮の上(中の君)の御許に、お忍びで身を寄せていらっしゃいました頃、呆れましたことに、思いもかけぬ時に宮が入って来られましたが、その折は手厳しく申し上げて、お出になって頂きました。それで姫君(浮舟)も怖がっておしまいになり、ご承知の見ぐるしい家にお移りになったのです…」――
「『そののち、音にも聞こえじ、と思してやみにしを、いかでか聞かせ給ひけむ、ただこの二月ばかりより、おとづれきこえさせ給ひし。御文はいとたびたび侍めりしかど、御覧じ入るることも侍らざりき。いとかたじけなく、なかなかうたてあるやうになどぞ、右近など聞えさせしかば、一たび二たびや聞えさせ給ひけむ。それよりほかのことは見給へず』と聞えさす」
――(右近は続けて)「その後、風の便りにも宮のお耳には入れまいとしていらっしゃいましたのを、どうしてお聞き出されたものか、ついこの二月ごろからご消息があるようになりました。御文が度々ございましたが、姫君は御覧になることもございませんでした。それでは宮様には畏れ多いことで、かえって失礼になりましょう、と私(右近)が申し上げましたので、一度や二度はお返事なさったこともございましたでしょう。その他のことは存じません」と申し上げます――
「かうぞ言はむかし、しひて問はむもいとほしくて、つくづくとうちながめつつ、宮をめづらしくあはれと思ひきこえても、わが方をさすがにおろかには思はざりける程に、いとあきらむるところなく、はかなげなりし心にて、この水の近きをたよりにて、かく思ひ寄るなりけむかし、わがここにさし放ち据ゑざらましかば、いみじく憂き世に経とも、いかでか、必ず深き谷をももとめ出でまし、と、いみじう憂き水の契りかな、と、この川のうとましう思さるることいと深し」
――右近としては、こう言うに決まっているし、それを無理に問い詰めるのも気の毒で、薫は一人つくづくと思いにふけっておられます。浮舟が匂宮を好ましく慕わしいとお思い申しながら、さすがに私の方を疎かには考えられなかったので、どう判断してよいか分からなくなって、あの弱々しい心から、丁度この水のほとりに住んでいたのを幸いに、身を投げようと思いついたのであろう。自分がここに置き捨てておかなかったならば、どんなに辛い暮らしであっても、まさか深い谷などには飛び入ったりしなかったであろうに、と思えば、よくよく水に悪い縁があるのだなあ、と、この川をたまらなく疎ましくお思いになります――
「年ごろあはれと思ひそめたりし方にて、荒き山路を行きかへりしも、今はまた心憂くて、この里の名をだにえ聞くまじき心地し給ふ」
――この年月、恋しいと思いつづけたのに惹かれて、荒く険しい山路を行き来したものの、今は改めてたまらなく思われて、宇治というこの里の名を聞くさえ、「世を憂し」と堪え難くお思いになるのでした――
「宮の上ののたまひはじめし、人形とつけそめたりしさへゆゆしう、ただわがあやまちに失ひつる人なり、と、思ひもて行くには、母のなほ軽びたる程にて、のちの後見もいとあやしく、ことそぎてしなしたるなめり、と、心ゆかず思ひつるを、くはしう聞き給ふになむ、いかに思ふらむ、さばかりの人の子にては、いとめでたかりし人を、忍びたることは必ずしもえ知らで、わがゆかりにいかなることのありけるならむ、とぞ思ふらむかし、など、よろづにいとほしく思す」
――宮の上(中の君)が、最初に大君の人形(ひとがた)とつけて紹介されたことさえ不吉な気がして(祓いの人形は水に流す)、ただ薫自身の過失から死なせたのだと考えて行くにつれて、浮舟の母が、やはり軽い身分から、死後の供養もごく粗末にしたのではないかと思っていたが、詳しい事情を聞いてみると、母はどんな気持ちだったろう。あの位の身分の者の子としては、たいそう優れた人であったのに、匂宮との秘密は知らずに、自分との関係で何かが起こったのであろうかと思っているかも知れない、などといろいろと不憫にお思いになります――
では11/25に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その23
「たしかにこそは聞き給ひてけれ、と、いといとほしくて、『いと心憂きこと聞し召しけるにこそは侍るなれ。右近もさぶらはぬ折は侍らぬものを』とながめやすらひて、『おのづから聞し召しけむ。この宮の上の御方に、忍びてわたらせ給へりしを、あさましく思ひかけぬ程に、入りおはしましたりしかど、いみじきことを、聞こえさせ侍りて、出でさせ給ひにき。それにおぢ給ひて、かのあやしく侍りしところにはわたらせ給へりしなり…』」
――(右近は心の中で)薫大将はあの秘密をすっかり聞いておいでなのだ、と大そうお気の毒で、「自然にお耳にも入りましたことと存じます。あの宮の上(中の君)の御許に、お忍びで身を寄せていらっしゃいました頃、呆れましたことに、思いもかけぬ時に宮が入って来られましたが、その折は手厳しく申し上げて、お出になって頂きました。それで姫君(浮舟)も怖がっておしまいになり、ご承知の見ぐるしい家にお移りになったのです…」――
「『そののち、音にも聞こえじ、と思してやみにしを、いかでか聞かせ給ひけむ、ただこの二月ばかりより、おとづれきこえさせ給ひし。御文はいとたびたび侍めりしかど、御覧じ入るることも侍らざりき。いとかたじけなく、なかなかうたてあるやうになどぞ、右近など聞えさせしかば、一たび二たびや聞えさせ給ひけむ。それよりほかのことは見給へず』と聞えさす」
――(右近は続けて)「その後、風の便りにも宮のお耳には入れまいとしていらっしゃいましたのを、どうしてお聞き出されたものか、ついこの二月ごろからご消息があるようになりました。御文が度々ございましたが、姫君は御覧になることもございませんでした。それでは宮様には畏れ多いことで、かえって失礼になりましょう、と私(右近)が申し上げましたので、一度や二度はお返事なさったこともございましたでしょう。その他のことは存じません」と申し上げます――
「かうぞ言はむかし、しひて問はむもいとほしくて、つくづくとうちながめつつ、宮をめづらしくあはれと思ひきこえても、わが方をさすがにおろかには思はざりける程に、いとあきらむるところなく、はかなげなりし心にて、この水の近きをたよりにて、かく思ひ寄るなりけむかし、わがここにさし放ち据ゑざらましかば、いみじく憂き世に経とも、いかでか、必ず深き谷をももとめ出でまし、と、いみじう憂き水の契りかな、と、この川のうとましう思さるることいと深し」
――右近としては、こう言うに決まっているし、それを無理に問い詰めるのも気の毒で、薫は一人つくづくと思いにふけっておられます。浮舟が匂宮を好ましく慕わしいとお思い申しながら、さすがに私の方を疎かには考えられなかったので、どう判断してよいか分からなくなって、あの弱々しい心から、丁度この水のほとりに住んでいたのを幸いに、身を投げようと思いついたのであろう。自分がここに置き捨てておかなかったならば、どんなに辛い暮らしであっても、まさか深い谷などには飛び入ったりしなかったであろうに、と思えば、よくよく水に悪い縁があるのだなあ、と、この川をたまらなく疎ましくお思いになります――
「年ごろあはれと思ひそめたりし方にて、荒き山路を行きかへりしも、今はまた心憂くて、この里の名をだにえ聞くまじき心地し給ふ」
――この年月、恋しいと思いつづけたのに惹かれて、荒く険しい山路を行き来したものの、今は改めてたまらなく思われて、宇治というこの里の名を聞くさえ、「世を憂し」と堪え難くお思いになるのでした――
「宮の上ののたまひはじめし、人形とつけそめたりしさへゆゆしう、ただわがあやまちに失ひつる人なり、と、思ひもて行くには、母のなほ軽びたる程にて、のちの後見もいとあやしく、ことそぎてしなしたるなめり、と、心ゆかず思ひつるを、くはしう聞き給ふになむ、いかに思ふらむ、さばかりの人の子にては、いとめでたかりし人を、忍びたることは必ずしもえ知らで、わがゆかりにいかなることのありけるならむ、とぞ思ふらむかし、など、よろづにいとほしく思す」
――宮の上(中の君)が、最初に大君の人形(ひとがた)とつけて紹介されたことさえ不吉な気がして(祓いの人形は水に流す)、ただ薫自身の過失から死なせたのだと考えて行くにつれて、浮舟の母が、やはり軽い身分から、死後の供養もごく粗末にしたのではないかと思っていたが、詳しい事情を聞いてみると、母はどんな気持ちだったろう。あの位の身分の者の子としては、たいそう優れた人であったのに、匂宮との秘密は知らずに、自分との関係で何かが起こったのであろうかと思っているかも知れない、などといろいろと不憫にお思いになります――
では11/25に。