永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1178)

2012年11月13日 | Weblog
2012. 11/13    1178

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その18

「大夫も泣きて、『さらに、この御仲のこと、こまかに知りきこえさせ侍らず。ものの心も知り侍らずながら、たぐひなき御こころざしを見たてまつり侍りしかば、君たちをも、何かはいそぎてしも聞えうけたまはらむ、つひには仕うまつるべきあちりにこそ、と、思う給へしを、いふかひなく悲しき御ことの後は、わたくしの御こころざしも、なかなか深さまさりてなむ』と語らふ」
――時方も泣いて、「私はまったく匂宮と浮舟御二方の間のことは詳しく存じ上げておりません。人情のことも弁えぬ者ですが、宮の類のない御厚情を拝しましたので、あなた達に対しても、何の別に急いでお近づきになることもない、上京されれば結局お世話申すべき方々だと存じていました。このような申しようもない悲しいことが起こってからは、私個人の貴女への気持ちも却って深くなりまして」と話し込みます――

「『わざと御車など思しめぐらして、奉れ給へるを、むなあしくては、いといとほしうなむ。いま一所にても参り給へ』と言へば、侍従の君呼び出でて、『さば、参り給へ』と言へば、『まして何ごとをかは聞こえさせむ。さてもなほ、この御忌の程には、いかでか忌ませ給はぬか』と言へば」
――(時方が)「わざわざ匂宮からお迎えのお車など配備されてお寄こしくださいましたのに、それを無にしてはまことに申し訳ないことです。せめてもう一方でもお出でください」といいますので、右近が侍従を呼んで「では、あなたが参上なさってください」と言いますと、侍従は、「私などが、まして何事を申し上げられましょう。それにしましても、宮様はどうしてこの御忌中に、穢れをお忌にならないのでしょうか」と言いますが――

「『なやませ給ふ御ひびきに、さまざまの御つつしみども侍めれど、忌みあへさせ給ふまじき御けしきなむ。また、かく深き御契りにては、籠らせ給ひてもこそおはしまさめ。残りの日いくばくならず、なほ一所参り給へ』と責むれば、侍従ぞ、ありし御様もいとこひしう思ひきこゆるに、いかならむ世にかは見たてまつらむ、かかる折に、と思ひなして参りける」
――(時方が)「ご病気の騒ぎで、お祓いなど種々のお慎みはあるようですが、浮舟様のことだけは、とても慎みきれないご様子です。それに、こんな深いご関係では、ご自身でも忌にお籠りになりたいお気持でしょう。七七日の忌が明けるまで幾日もありませんし、やはりお一人は参上なさいませ」と責め立てますので、侍従は、あのとき拝した匂宮のお姿も大そう恋しく思い出されますにつけ、今後いつ自分は匂宮を拝せよう、せめてこんな折にこそ、と思い直して参上することにしました――

「黒き衣ども着て、引きつくろひたるかたちもいときよげなり。裳は、ただ今われより上なる人なきにうちたゆみて、色もかへざりければ、薄色なるを持たせて参る。おはせましかば、この道にぞ忍びて出で給はまし、人知れず心よせきこえしものを、など思ふにもあはれなり。道すがら泣く泣くなむ来ける」
――(侍従は浮舟の喪に服していて)黒い衣などを着て、身だしなみを整えている様子はたいそうすっきりとしています。裳は(浮舟亡き現在)もう目上の亡くなって着る事もないであろうと油断して、鈍色のを染めておかなかったので、薄紫色のを召使に持たせて参上します。浮舟がもし生きておられたなら、この街道をこっそりお出でになったでしょうに、自分は人知れずお二人にご同情申していたものを、などと思うのも悲しくて、道すがら泣く泣く京へ上って来ました――

では11/15に。