2012. 11/21 1182
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その22
「『その御本意かなふべきさまに、承ることどもも侍りしに、かくてさぶらふ人どもも、うれしきことに思ひ給へいそぎ、かの筑波山も、からうじて心ゆきたるけしきにて、わたらせ給はむことをいとなみ思ひ給へしに、心得ぬ御消息侍りけるに、この宿直など仕うまつる者どもも、女房達らうがはしかなり、など、戒め仰せらるることなど申して、ものの心得ずあらあらしき田舎人どもの、あやしきさまにとりなしきこゆることども侍りしを…』」
――(右近はつづけて)「そのお望みが叶いそうに貴方様から承ることもございましたので、お仕えする私どもも、喜ばしいことに存じてご準備申し上げ、あの母君もようやく思いが通ったご様子で、京へお移りになるご用意を急いでいらしたのでございます。そのような折に、あの納得のいかない御文を殿から頂きました上に、ここの宿直を承っている者どもも、女房達がだらしがないそうだなどと、ご注意があったなどと申して、礼儀も心得ない荒々しい田舎者どもが、何か間違いでもあったかのように、妙なお取り扱いをすることがございました。…」――
「『その後久しう御消息なども侍らざりしに、《心憂き身なり、とのみ、いはけなかりし程より思ひ知るを、人数にいかで見なさむ、とよろづにあつかひ給ふ母君の、なかなかなることの、人わらはれになりはてば、いかに思ひ歎かれむ》など、おもむけてなむ、常に歎き給ひし。そのすじよりほかに、何ごとをか、と思ひ給へ寄るに、堪え侍らずなむ。鬼などの隠しきこゆとも、いささか残るところも侍るなるものを』とて、なくさまもいみじければ、いかなるかことにか、と、まぎれつる御心も失せて、せきあへ給はず」
――(右近は続けて)「その後、また長い間、殿の御文もございませんでしたので、姫君は、『自分は不運な身だと、ただもう幼い頃からよく知っているものの、何とかして一人前の仕合せをと世話をなさる母君に対して、なまじ薫の君に愛されたことが、結局物笑いの種になったなら、どんなにお嘆きになるかしら』と、そればかりお考えになって、始終歎いておいでになりました。その他には、何一つ思い当たることはございません。鬼などがお隠しするとしましても、何かしら跡を残して行くものでございましょうに」と言って、泣く様子もひどく悲しそうですので、薫の君は、どうしたことかと疑っておいでになった心も失せて、涙のとどめようもありません――
「『われは心に身をもまかせず、顕証なるさまにもてなされたるありさまなれば、おぼつかなしと思ふ折も、いま近くて、人の心おくまじく、目やすきさまにもてなして、行く末長くを、と、思ひのどめつつ過ぐしつるを、おろかに見なし給ひけむこそ、なかなかわくる方ありける、と覚ゆれ。今はかくだに言はじ、と思へど、また人の聞かばこそあらめ、宮の御ことよ、いつよりありそめけむ。さやうなるにつけてや、いとかたはに、人の心をまどはし給ふ宮なれば、常にあひ見たてまつらぬ歎きに、身をも失ひ給へる、となむ思ふ。なほ言へ。われには、さらに隠しそ』とのたまへば…」
――(薫が)「私は自分で自分の身が自由にならず、何ごとも世間に知られてしまう身分なので、浮舟が気懸りでならないときも、そのうち近くに引きとって、隔てなどないように、人目にも良い風に世話をして、将来長く暮らしたいものだと、心を落ち着けては過ごしてきたのに、浮舟の方が私をいい加減な心とお思いになったのは、それこそ水臭いお気持があったのではないか。今となってはもうこんなことは口にすまいと思うが、他の者が聞いていないから言おう。あの匂宮のことだよ。いったいいつから始まったのかね。何しろ驚くほど女の心を迷わせておしまいになる宮のことではあるし、あるいはそういうことから(浮舟が思うように匂宮にお目にかかれない歎き)身を亡きものにされたのではないかと思う。もっと詳しく言ってもらいたい。私には何事も隠すな」とおっしゃるので…――
◆(女房達)らうがはしかなり=らうがはし(乱がはし=混乱している、散らかっている)=女房達の風紀が乱れている
◆顕証(けそう)なるさま=はっきりしたこと。あらわなこと。
では11/23に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その22
「『その御本意かなふべきさまに、承ることどもも侍りしに、かくてさぶらふ人どもも、うれしきことに思ひ給へいそぎ、かの筑波山も、からうじて心ゆきたるけしきにて、わたらせ給はむことをいとなみ思ひ給へしに、心得ぬ御消息侍りけるに、この宿直など仕うまつる者どもも、女房達らうがはしかなり、など、戒め仰せらるることなど申して、ものの心得ずあらあらしき田舎人どもの、あやしきさまにとりなしきこゆることども侍りしを…』」
――(右近はつづけて)「そのお望みが叶いそうに貴方様から承ることもございましたので、お仕えする私どもも、喜ばしいことに存じてご準備申し上げ、あの母君もようやく思いが通ったご様子で、京へお移りになるご用意を急いでいらしたのでございます。そのような折に、あの納得のいかない御文を殿から頂きました上に、ここの宿直を承っている者どもも、女房達がだらしがないそうだなどと、ご注意があったなどと申して、礼儀も心得ない荒々しい田舎者どもが、何か間違いでもあったかのように、妙なお取り扱いをすることがございました。…」――
「『その後久しう御消息なども侍らざりしに、《心憂き身なり、とのみ、いはけなかりし程より思ひ知るを、人数にいかで見なさむ、とよろづにあつかひ給ふ母君の、なかなかなることの、人わらはれになりはてば、いかに思ひ歎かれむ》など、おもむけてなむ、常に歎き給ひし。そのすじよりほかに、何ごとをか、と思ひ給へ寄るに、堪え侍らずなむ。鬼などの隠しきこゆとも、いささか残るところも侍るなるものを』とて、なくさまもいみじければ、いかなるかことにか、と、まぎれつる御心も失せて、せきあへ給はず」
――(右近は続けて)「その後、また長い間、殿の御文もございませんでしたので、姫君は、『自分は不運な身だと、ただもう幼い頃からよく知っているものの、何とかして一人前の仕合せをと世話をなさる母君に対して、なまじ薫の君に愛されたことが、結局物笑いの種になったなら、どんなにお嘆きになるかしら』と、そればかりお考えになって、始終歎いておいでになりました。その他には、何一つ思い当たることはございません。鬼などがお隠しするとしましても、何かしら跡を残して行くものでございましょうに」と言って、泣く様子もひどく悲しそうですので、薫の君は、どうしたことかと疑っておいでになった心も失せて、涙のとどめようもありません――
「『われは心に身をもまかせず、顕証なるさまにもてなされたるありさまなれば、おぼつかなしと思ふ折も、いま近くて、人の心おくまじく、目やすきさまにもてなして、行く末長くを、と、思ひのどめつつ過ぐしつるを、おろかに見なし給ひけむこそ、なかなかわくる方ありける、と覚ゆれ。今はかくだに言はじ、と思へど、また人の聞かばこそあらめ、宮の御ことよ、いつよりありそめけむ。さやうなるにつけてや、いとかたはに、人の心をまどはし給ふ宮なれば、常にあひ見たてまつらぬ歎きに、身をも失ひ給へる、となむ思ふ。なほ言へ。われには、さらに隠しそ』とのたまへば…」
――(薫が)「私は自分で自分の身が自由にならず、何ごとも世間に知られてしまう身分なので、浮舟が気懸りでならないときも、そのうち近くに引きとって、隔てなどないように、人目にも良い風に世話をして、将来長く暮らしたいものだと、心を落ち着けては過ごしてきたのに、浮舟の方が私をいい加減な心とお思いになったのは、それこそ水臭いお気持があったのではないか。今となってはもうこんなことは口にすまいと思うが、他の者が聞いていないから言おう。あの匂宮のことだよ。いったいいつから始まったのかね。何しろ驚くほど女の心を迷わせておしまいになる宮のことではあるし、あるいはそういうことから(浮舟が思うように匂宮にお目にかかれない歎き)身を亡きものにされたのではないかと思う。もっと詳しく言ってもらいたい。私には何事も隠すな」とおっしゃるので…――
◆(女房達)らうがはしかなり=らうがはし(乱がはし=混乱している、散らかっている)=女房達の風紀が乱れている
◆顕証(けそう)なるさま=はっきりしたこと。あらわなこと。
では11/23に。