永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1211)

2013年02月07日 | Weblog
2013. 2/7    1211

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その3

「『めづらしきことにも侍るかな。僧都の御坊に御覧ぜさせたてまつらばや』と言へば、げにあやしきことなり、とて、一人はまうでて、かかることなむ、と申す。『狐の人に変化するとは昔より聞けど、まだ見ぬものなり』とて、わざと下りておはす」
――(一人の僧が)「奇妙なことでございますな。師の御坊に御覧になっていただこう」と、言いますと、不思議な事があるものだと、もう一人が僧都のところへ参って、こうこうの事でございます、と申し上げます。僧都は「狐が人に化けるとは昔から聞いているが、まだ見たことがない」と言って、わざわざその場に下りて来られました――

「このわたり給はむとすることによりて、下衆ども、皆はかばかしきは、御厨子所など、あるべかしきことどもを、かかるわたりにはいそぐものなりければ、居しづまりなどしたるに、ただ四五人してここなるものを見るに、かはることもなし。あやしうて、時の移るまで見る」
――(尼君たちが)後から此処にやってこられますので、召使の中でも気の利いた者はみな、勝手元などの是非しなければならない事にかかりきっていて、こちらはひっそりとしてしています。
僧都はのこっている四、五人を連れて、その怪しい物を見に来られましたが、いっこうに動く気配もありません。何とも不思議なので、時のたつまで見守っていました――

「とく夜も明けはてなむ、人か何ぞと見あらはさむ、と、心にさるべき真言を読み、印をつくりてこころみるに、しるくや思ふらむ、『これは人なり。さらに非常のけしからぬものにあらず。寄りて問へ。亡くなりたる人にはあらぬにこそあめれ。もし死にたりける人を棄てたりけるが、よみがへりたるか』と言ふ」
――(僧都は)早く夜が明ければよい、人か何者か、見破ってやろう、と心の内で、こういう場合に誦すべき真言の呪文を唱えながら、印を結んで試して御覧になり、しかと正体がつかめたのであろうか、「これは確かに人間だ。決して怪しげな魔性の物ではない。近寄って訊ねてみよ。死んだ人ではないようだ。ひょっとすると、棄てられた死人が生き返ったのかもしれない」といいます――

「『何のさる人をか、いの院のうちに棄て侍らむ。たとひまことに人なりとも、狐木霊やうのものの、あざむきて取りもて来たらむにこそ侍らめ。いとふびんにも侍りけるかな。けがらひあるべき所にこそ侍るめれ』と言ひて、ありつる宿守の男を呼ぶ」
――「どうしてまあ、死人などをこの院の内に棄てましょうか。たとえ本当の人間にしても、狐か木霊のようなものが、騙してさらって来たに決まっていますよ。まったく困ったことですな。ご病人をお連れ申すところにこんな穢れがあるというのは」と、弟子たちが言って、先ほどの留守の老人を呼びにやります――

◆時の移るまで=ある時刻(丑・寅などの)から次の時刻に移るまでの意。1~2時間くらいか。

では2/9に。