2013. 2/11 1213
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その5
「『かくて置いたらば、死に果て侍りぬべし。垣の下にこそ出ださめ』といふ。『まことの人のかたちなり。その命絶えぬを見る見る、棄てむこといみじきことなり。池に泳ぐ魚、山に啼く鹿をだに、人にとらへられて死なむとするを見つつ、助けざらむは、いと悲しかるべし。人の命ひさしかるまじきものなれど、残りの命一二日をも惜しまずばあるべからず』」
――(僧が)「このまま放っておいたなら、本当に死んでしまうだろう。とにかく垣根のところまで連れてきなさい」といいます。僧都が、「本当に、これは人の姿をしている。まだ息があるのを見ながら、棄てておくとはけしからんことだ。池に泳ぐ魚や、山に鳴く鹿でも、人に捕えられて死のうとするのを見て助けずにいたならば、後あとまで悔いが残るだろう。人間の命はもともと短いが、寿命さえ残っているならば、一日二日といえども、大切にしなければならない」――
さらに、
「『鬼にも神にも領ぜられ、人に逐はれ、人にはかりごたれても、これ横ざまの死にをすべきものにこそはあめれ、仏の必ず救ひ給ふべき際なり。なほこころみにしばし、湯を飲ませなどして、助けこころみむ。つひに死なば、いふかぎりにあらず』とのたまひて、この大徳して抱き入れさせ給ふを、弟子ども、『たいだいしきわざかな。いたうわづらひ給ふ人の御あたりに、よからぬものをとり入れて、けがらひ必ず出で来なむとす』ともどくもあり」
――「鬼にでも神にでも奪い去られ、また人に追われたり、だまされたりしていずれ非業の死に追い込まれたものであろう。仏が必ずお救いになる類の人なのだ。ためしにしばらく薬湯を飲ませて助けてみよう。その結果死んでしまうのであれば致し方ない」とおっしゃって、この法師に抱かせて家の中に入れさせますのを、弟子の中には、「困った事をなさるなあ。ご病気の重い方のいらっしゃるお側に、得体の知れぬ者を連れ込んで、死の穢れが必ず生ずるだろうに」と、非難する者もいます――
「また、『ものの変化にもあれ、目に見す見す、生ける人を、かかる雨にうちうしなはせむは、いみじきことなれば』など、心々に言ふ。下衆などは、いと騒がしく、ものをうたて言ひなすものなれば、人騒がしからぬ隠れの方になむ臥せたりける」
――また、他の者は「たとえ何の変化(へんげ)にせよ、目の前で生きている人を、こんなひどい雨に打たれて死なせるのは、とんでもないことだから」などと口々に言っています。下々の者は物ごとを大袈裟に取り沙汰するものなので、僧都はこの女人を人目にたたぬ物陰に寝させておいたのでした――
◆たいだいしきわざ=怠い怠いし=軽率だ、あるまじきことだ。
◆もどく=批判し非難する。
では2/13に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その5
「『かくて置いたらば、死に果て侍りぬべし。垣の下にこそ出ださめ』といふ。『まことの人のかたちなり。その命絶えぬを見る見る、棄てむこといみじきことなり。池に泳ぐ魚、山に啼く鹿をだに、人にとらへられて死なむとするを見つつ、助けざらむは、いと悲しかるべし。人の命ひさしかるまじきものなれど、残りの命一二日をも惜しまずばあるべからず』」
――(僧が)「このまま放っておいたなら、本当に死んでしまうだろう。とにかく垣根のところまで連れてきなさい」といいます。僧都が、「本当に、これは人の姿をしている。まだ息があるのを見ながら、棄てておくとはけしからんことだ。池に泳ぐ魚や、山に鳴く鹿でも、人に捕えられて死のうとするのを見て助けずにいたならば、後あとまで悔いが残るだろう。人間の命はもともと短いが、寿命さえ残っているならば、一日二日といえども、大切にしなければならない」――
さらに、
「『鬼にも神にも領ぜられ、人に逐はれ、人にはかりごたれても、これ横ざまの死にをすべきものにこそはあめれ、仏の必ず救ひ給ふべき際なり。なほこころみにしばし、湯を飲ませなどして、助けこころみむ。つひに死なば、いふかぎりにあらず』とのたまひて、この大徳して抱き入れさせ給ふを、弟子ども、『たいだいしきわざかな。いたうわづらひ給ふ人の御あたりに、よからぬものをとり入れて、けがらひ必ず出で来なむとす』ともどくもあり」
――「鬼にでも神にでも奪い去られ、また人に追われたり、だまされたりしていずれ非業の死に追い込まれたものであろう。仏が必ずお救いになる類の人なのだ。ためしにしばらく薬湯を飲ませて助けてみよう。その結果死んでしまうのであれば致し方ない」とおっしゃって、この法師に抱かせて家の中に入れさせますのを、弟子の中には、「困った事をなさるなあ。ご病気の重い方のいらっしゃるお側に、得体の知れぬ者を連れ込んで、死の穢れが必ず生ずるだろうに」と、非難する者もいます――
「また、『ものの変化にもあれ、目に見す見す、生ける人を、かかる雨にうちうしなはせむは、いみじきことなれば』など、心々に言ふ。下衆などは、いと騒がしく、ものをうたて言ひなすものなれば、人騒がしからぬ隠れの方になむ臥せたりける」
――また、他の者は「たとえ何の変化(へんげ)にせよ、目の前で生きている人を、こんなひどい雨に打たれて死なせるのは、とんでもないことだから」などと口々に言っています。下々の者は物ごとを大袈裟に取り沙汰するものなので、僧都はこの女人を人目にたたぬ物陰に寝させておいたのでした――
◆たいだいしきわざ=怠い怠いし=軽率だ、あるまじきことだ。
◆もどく=批判し非難する。
では2/13に。