2013. 2/23 1219
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その11
「『さらに聞ゆることもなし。何か、初瀬の観音の賜へる人なり』とのたまへば、『何か、それ縁に従ひてこそ導き給ふらめ、種なきことはいかでか』などのたまひあやしがりて、修法はじめたり」
――(尼君は)「一向に噂もありません。なんのこれは初瀬の観音様がお授けくださった方です」といいますと、僧都は「いや何、仏は御縁があればこそお授けになったのでしょう。そういう縁がなくて、どうしてこんなことがありましょうか」おっしゃり、不思議にお思いになりながら、修法を始められます――
「朝廷の召しにだに従はず、深く籠りたる山を出で給ひて、すずろかにかかる人のためになむ行ひ騒ぎ給ふ、と、ものの聞こえあらむ、いと聞きにくかるべし、と思し、弟子どもも言ひて、人に聞かせじ、と隠す」
――僧都は、朝廷のお召しさえもお辞りして、深く籠っておられましたのに、その山を下りて、こういう得体の知れない女のために加持をなさると評判でも立っては、たいそう聞き苦しいことであろうと(尼君は)お思いになり、また弟子たちもそう言いますので、この御祈祷の件は、人にも知らせないようにひたすら隠しているのでした――
「『いであなかま、大徳たち。われ無慚の法師にて、忌むことの中に、破る戒は多からめど、女の筋につけて、まだ謗りとらず、あやまつことなし。齢六十にあまりて、今更に人のもどき負はむは、さるべきにこそあらめ』とのたまへば、『よからぬ人の、ものをびんなく言ひなし侍る時には、仏法の瑕となり侍ることなり』と、こころよからず思ひて言ふ」
――(僧都が)「いや、そなたたちはとやかく言うな。自分は不徳の法師で、慎むべき戒律の中でも破った戒は多くあろうが、女色のことについては、まだ非難されたことがないし、間違いを犯したこともない。齢(よわい)六十を越えて今更人の非難を受けるとしたら、それも前世の約束で仕方が無いことだ」とおっしゃると、弟子たちは、「つまらぬ者どもが変な具合に噂などいたしましては、仏法の恥にもなりかねません」と、困った事と思って言います――
「『この修法の程にしるし見えずば』といみじきことどもを誓ひ給ひて、夜一夜加持し給へる、あかつきに人にかり移して、何やうのものの、かく人をまどはしたるぞ、と、ありさまばかり言はせまほしうて、弟子の阿闇梨、とりどりに加持し給ふ」
――(僧都は)「この修法の間に効験が現れなかったなら、わが命を滅し給へ」との非常な決意を誓われて、一晩中御祈祷をなさいましたが、その明け方に、ようやく物の怪が招人(よりまし)に乗り移ったのでした。いったいどんな変化(へんげ)が、こうしてこの人をたぶらかしたのかと、その事情だけでも招人(よりまし)の口から言わせたくて、弟子の阿闇梨と共に、あれこれ手を尽して加持なさるのでした――
◆われ無慚(むざん)の法師=自分は不徳の法師で。「無慚(むざん)」は破戒無慚(むざん)で、
僧が戒を破りながら恥としないの意。ここは卑下のことば。
◆謗(そし)りとらず=とやかく言われたことがない。
◆この修法の程にしるし見えずば=下に、「わが命を滅し給へ」が続く。
では2/25に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その11
「『さらに聞ゆることもなし。何か、初瀬の観音の賜へる人なり』とのたまへば、『何か、それ縁に従ひてこそ導き給ふらめ、種なきことはいかでか』などのたまひあやしがりて、修法はじめたり」
――(尼君は)「一向に噂もありません。なんのこれは初瀬の観音様がお授けくださった方です」といいますと、僧都は「いや何、仏は御縁があればこそお授けになったのでしょう。そういう縁がなくて、どうしてこんなことがありましょうか」おっしゃり、不思議にお思いになりながら、修法を始められます――
「朝廷の召しにだに従はず、深く籠りたる山を出で給ひて、すずろかにかかる人のためになむ行ひ騒ぎ給ふ、と、ものの聞こえあらむ、いと聞きにくかるべし、と思し、弟子どもも言ひて、人に聞かせじ、と隠す」
――僧都は、朝廷のお召しさえもお辞りして、深く籠っておられましたのに、その山を下りて、こういう得体の知れない女のために加持をなさると評判でも立っては、たいそう聞き苦しいことであろうと(尼君は)お思いになり、また弟子たちもそう言いますので、この御祈祷の件は、人にも知らせないようにひたすら隠しているのでした――
「『いであなかま、大徳たち。われ無慚の法師にて、忌むことの中に、破る戒は多からめど、女の筋につけて、まだ謗りとらず、あやまつことなし。齢六十にあまりて、今更に人のもどき負はむは、さるべきにこそあらめ』とのたまへば、『よからぬ人の、ものをびんなく言ひなし侍る時には、仏法の瑕となり侍ることなり』と、こころよからず思ひて言ふ」
――(僧都が)「いや、そなたたちはとやかく言うな。自分は不徳の法師で、慎むべき戒律の中でも破った戒は多くあろうが、女色のことについては、まだ非難されたことがないし、間違いを犯したこともない。齢(よわい)六十を越えて今更人の非難を受けるとしたら、それも前世の約束で仕方が無いことだ」とおっしゃると、弟子たちは、「つまらぬ者どもが変な具合に噂などいたしましては、仏法の恥にもなりかねません」と、困った事と思って言います――
「『この修法の程にしるし見えずば』といみじきことどもを誓ひ給ひて、夜一夜加持し給へる、あかつきに人にかり移して、何やうのものの、かく人をまどはしたるぞ、と、ありさまばかり言はせまほしうて、弟子の阿闇梨、とりどりに加持し給ふ」
――(僧都は)「この修法の間に効験が現れなかったなら、わが命を滅し給へ」との非常な決意を誓われて、一晩中御祈祷をなさいましたが、その明け方に、ようやく物の怪が招人(よりまし)に乗り移ったのでした。いったいどんな変化(へんげ)が、こうしてこの人をたぶらかしたのかと、その事情だけでも招人(よりまし)の口から言わせたくて、弟子の阿闇梨と共に、あれこれ手を尽して加持なさるのでした――
◆われ無慚(むざん)の法師=自分は不徳の法師で。「無慚(むざん)」は破戒無慚(むざん)で、
僧が戒を破りながら恥としないの意。ここは卑下のことば。
◆謗(そし)りとらず=とやかく言われたことがない。
◆この修法の程にしるし見えずば=下に、「わが命を滅し給へ」が続く。
では2/25に。