2013. 2/9 1212
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その4
「山彦の答ふるも、いとおそろし。あやしのさまに、額おしあげて出で来たり。『ここには、若き女などや住み給ふ。かかることなむある』とて見すれば、『狐の仕うまつるなり。この木のもとになむ、時々あやしきわざし侍る。一昨年の秋も、ここに侍る人の子の、二つばかりになりにしを、とりて、参うで来たりしかども、見おどろかず侍りき』『さてその児は死にやしにし』と言へば」
――木魂(こだま)が返ってくるのも恐ろしげです。宿守はぶざまな格好で烏帽子を阿弥陀に被って、まかり出て来ました。「ここには若い女の方が住んでおられるのか。こうこうしたことがあったのだが…」と言って、この有様を見せますと、「これは狐の仕業です。この木の元で時折り怪しいことをいたします。一昨年の秋も、この近くに住んでいる人の子で、二つばかりになるのをさらって来たことがありましたが、よくあることなので、別に驚きもしませんでした」と言うので、「それで、その子は死んでしまったのか」と問うと――
「『生きて侍り。狐は、さこそは人はおびやかせど、ことにもあらぬ奴』といふさま、いと馴れたり。かの夜深きまゐりものの所に、心を寄せたるなるべし」
――(宿守は)「生きていますとも。狐はそうやって人を脅しますが、なあに、大したことは出来ない奴です」と物馴れた様子で答えます。この夜更けに客人たちに差し上げる食物(あがりもの)を支度するのに気を取られているようです――
「『さらば、さやうのもののしたるわざか。なほよく見よ』とて、このものおぢせぬ法師を寄せたれば、『鬼か神か狐か木霊か。かばかりの天の下の験者のおはしますには、え隠れたてまつらじ。名のり給へ、名のり給へ』と衣をとりて引けば、顔を引き入れていよいよ泣く」
――(僧都が)「それでは、そういう類のものの仕業かどうか、なおよく見極めよ」と言って、あの物怖じせぬ法師を側に行かせると、その法師が、「鬼か、神か、狐か、木霊か。この僧都ほどの天下一の験者がおいでになっては、とても正体はお隠しできまいぞ。さあ、名乗り申せ、名乗り申せ」と上衣をつかんでひっぱりますと、顔を隠していよいよ泣きます――
「『いで、あなさがなの木霊の鬼や。まさに隠れなむや』と言ひつつ、顔を見むとするに、昔ありけむ目も鼻もなかりける女鬼にやあらむ、と、むくつけきを、たのもしういかきさまを人に見せむ、と思ひて、衣をひきぬがせむとすれば、うつぶして声たつばかり泣く」
――(その法師が)「さても、性の悪い木霊の魔者め。何として隠れられようぞ」と言いながら、顔を覗こうとしますが、もしや昔いたとかいう、目も鼻もない比叡山の文殊楼の変化(へんげ)ではあるまいかと気味わるくもあります。しかし、頼もしく剛気の風を人に見せようと思って、上衣を強引に引きよせると、いっそううつ伏して、声をたてて泣きます――
「『何にまれ、かくあやしきこと、なべて世にあらじ』とて、見果てむ、と思ふに、雨いたく降りぬべし」
――「何者にせよ、こんな不思議なことは、この世にある筈がない」と言って、僧は正体を見届けたいと思っていると、雨がひどく降って来そうな空の様子です――
◆あなさがなの木霊の鬼や=比叡山の文殊楼に目の無い鬼が住んでいたという説話が、「朱の盤」
という絵物語に見える
◆たのもしういかきさまを人に見せむ=頼もしく、剛気な風を人に見せようと
では2/11に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その4
「山彦の答ふるも、いとおそろし。あやしのさまに、額おしあげて出で来たり。『ここには、若き女などや住み給ふ。かかることなむある』とて見すれば、『狐の仕うまつるなり。この木のもとになむ、時々あやしきわざし侍る。一昨年の秋も、ここに侍る人の子の、二つばかりになりにしを、とりて、参うで来たりしかども、見おどろかず侍りき』『さてその児は死にやしにし』と言へば」
――木魂(こだま)が返ってくるのも恐ろしげです。宿守はぶざまな格好で烏帽子を阿弥陀に被って、まかり出て来ました。「ここには若い女の方が住んでおられるのか。こうこうしたことがあったのだが…」と言って、この有様を見せますと、「これは狐の仕業です。この木の元で時折り怪しいことをいたします。一昨年の秋も、この近くに住んでいる人の子で、二つばかりになるのをさらって来たことがありましたが、よくあることなので、別に驚きもしませんでした」と言うので、「それで、その子は死んでしまったのか」と問うと――
「『生きて侍り。狐は、さこそは人はおびやかせど、ことにもあらぬ奴』といふさま、いと馴れたり。かの夜深きまゐりものの所に、心を寄せたるなるべし」
――(宿守は)「生きていますとも。狐はそうやって人を脅しますが、なあに、大したことは出来ない奴です」と物馴れた様子で答えます。この夜更けに客人たちに差し上げる食物(あがりもの)を支度するのに気を取られているようです――
「『さらば、さやうのもののしたるわざか。なほよく見よ』とて、このものおぢせぬ法師を寄せたれば、『鬼か神か狐か木霊か。かばかりの天の下の験者のおはしますには、え隠れたてまつらじ。名のり給へ、名のり給へ』と衣をとりて引けば、顔を引き入れていよいよ泣く」
――(僧都が)「それでは、そういう類のものの仕業かどうか、なおよく見極めよ」と言って、あの物怖じせぬ法師を側に行かせると、その法師が、「鬼か、神か、狐か、木霊か。この僧都ほどの天下一の験者がおいでになっては、とても正体はお隠しできまいぞ。さあ、名乗り申せ、名乗り申せ」と上衣をつかんでひっぱりますと、顔を隠していよいよ泣きます――
「『いで、あなさがなの木霊の鬼や。まさに隠れなむや』と言ひつつ、顔を見むとするに、昔ありけむ目も鼻もなかりける女鬼にやあらむ、と、むくつけきを、たのもしういかきさまを人に見せむ、と思ひて、衣をひきぬがせむとすれば、うつぶして声たつばかり泣く」
――(その法師が)「さても、性の悪い木霊の魔者め。何として隠れられようぞ」と言いながら、顔を覗こうとしますが、もしや昔いたとかいう、目も鼻もない比叡山の文殊楼の変化(へんげ)ではあるまいかと気味わるくもあります。しかし、頼もしく剛気の風を人に見せようと思って、上衣を強引に引きよせると、いっそううつ伏して、声をたてて泣きます――
「『何にまれ、かくあやしきこと、なべて世にあらじ』とて、見果てむ、と思ふに、雨いたく降りぬべし」
――「何者にせよ、こんな不思議なことは、この世にある筈がない」と言って、僧は正体を見届けたいと思っていると、雨がひどく降って来そうな空の様子です――
◆あなさがなの木霊の鬼や=比叡山の文殊楼に目の無い鬼が住んでいたという説話が、「朱の盤」
という絵物語に見える
◆たのもしういかきさまを人に見せむ=頼もしく、剛気な風を人に見せようと
では2/11に。