2013. 2/15 1215
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その7
「僧都もさしのぞきて、『いかにぞ、何のしわざと、よく調じて問へ』とのたまへど、いと弱げに消えもていくやうなれば、『え生き侍らじ』『すずろなるけがらひに、籠りてわづらふべきこと』『さすがにいとやむごとなき人にこそ侍るめれ。死に果つとも、ただにやは棄てさせ給はむ。見苦しきわざかな』と言ひあへり」
――僧都もさし覗いて、「どうだ、何物のしわざか十分に物の怪を調伏して訊ねよ」とおっしゃいます。けれども弱々しく消え入ってしまいそうな様子に、阿闇梨や弟子たちは、「これではどても生きられまい」とか、「思いがけぬ穢れのために、ここに籠って難儀をするとはまあ」とか、「しかし、この人はたいへん身分の高い方でございましょう。たとえ亡くなってしまったとしても、このままいい加減に放ってお置きになるわけにもゆきますまい。どうも弱ったことになりました」と言い合っています――
「『あなかま。人に聞かすな。わづらはしきこともぞある』など口がためつつ、尼君は、親のわづらひ給ふよりも、この人を生け果てて見まほしう惜しみて、うちつけに添ひ居たり。知らぬ人なれど、みめのこよなうをかしげなれば、いたづらになさじ、と、見るかぎりあつかひ騒ぎけり」
――「静かにしなさい。決して人に言ってはなりません。厄介なことになりかねませんから」などと口止めをしながら、尼君は、親のご病気よりもこの人を何とか行き返らせたいものと、いとおしんで、ぴったり側についています。見も知らぬ人ではありますが、顔だちがあまりに美しいので、空しく死なせまいと、皆が皆、大騒ぎして介抱するのでした――
「さすがに時々目見あけなどしつつ、涙のつきせず流るるを、『あな心憂や。いみじく悲しと思ふ人のかはりに、仏の導き給へる、と思ひきこゆるを、かひなくなり給はば、なかなかなることをや思はむ。さるべき契りにてこそ、かく見たてまつるらめ。なほいささかもののたまへ』と言ひ続くれど、からうじて、『生き出でたりとも、あやしき不用の人なり。人に見せで、夜この河に落し入れ給ひてよ』と息の下に言ふ」
――そうしているうちに、その人は時々目を開いたりして、とめどもなく涙を流すのを、尼君は、「まあ、どうしたものでしょう。いまだに可愛いと思う亡き娘の代わりに仏様が授けて下さった方だとお思いしますのに、もし亡くなってしまわれたら、却って悲しい思いがしますものを。前世からの宿縁があったればこそ、こうしてお目にかかったのでしょう。せめて一言でもなにかおっしゃってください」と言いつづけますが、女はやっとのことで、「生き返ったとしましても、見ぐるしいばかりで、この世には無用の人間です。人には知らせず、夜、この川に投げ込んでくださいまし」と息も絶え絶えに言います――
「『まれまれ物のたまふをうれしと思ふに、あないみじや。いかなればかくはのたまふぞ。いかにして、さる所にはおはしつるぞ』と問へども、ものも言はずなりぬ。身にもし疵などやあらむ、とて見れど、ここはと見ゆるところなくうつくしければ、あさましく悲しく、まことに、人の心まどはさむとて出で来たる仮のものにや、と疑ふ」
――尼君が「やっとのことで物をおっしゃったのを、嬉しいと思いましたのに、どうしてそんな事をおっしゃるのですか。それにしても、なぜあのような所にいらしたのです」とお訊ねになりますが、もう何も言わなくなってしましました。身体に怪我でもありますまいかと調べてみますが、何も無く綺麗なので、不思議でもあり悲しくもあって、実際、人の心をたぶらかそうとして現れた魔性の者だろうか、と疑ってもみるのでした――
では2/17に。