永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(法華経と観音信仰)

2013年02月18日 | Weblog

◆法華経と観音信仰

天台宗の根本経典である法華経は、当時の貴族に最も信じられ、持経は法華経であることが多かった。
法華経は女人の成仏の可能性をも説いている経典であるために、特に女性の信仰を得ていた。
衆生済度のための観世音菩薩は、三毒(貪欲、瞋恚(しんに=怒る)、愚痴)七難(火難、水難、風難、杖難、鬼難、枷鎖難、怨賊難)をのがれ、二求両願(男女子を産む願い)を満足さす。三十三身に化現して、衆生を救う。仏菩薩のうちでもっとも優しいと感じられた観音である。

「源氏物語」では、清水観音、石山観音、初瀬(長谷)観音が描かれ、特に大和の初瀬寺は霊験あらたかとの評判が高く、王朝の貴族階級に人気があり、貴族の女性たちは、ほとんどが皆一度は初瀬に参った。(源氏物語手鏡より)

源氏物語を読んできて(1216)

2013年02月18日 | Weblog
2013. 2/17    1216

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その8

「二日ばかり籠り居て、二人の人を祈り加持する声絶えず、あやしきことを思ひ騒ぐ。そのわたりの下衆などの、僧都に仕まつりける、かくておはしますなりとて、とぶらひ出で来るも、ものがたりなどして言ふを聞けば、『故八の宮の御女、右大将の通ひ給ひし、殊になやみ給ふこともなくて、にはかにかくれ給へりとて騒ぎ侍る。その御葬送の雑事ども仕うまつり侍るとて、昨日はえ参り侍らざりし』といふ」
――二日ばかり籠っておりましたが、母尼とその女(実は浮舟)のために加持祈祷する声が絶え間なく聞こえますので、院内の人々は、その女の怪しいことなどを囁きあっています。近くに住む下々で、かつてこの僧都にお仕えしていた者が、こちらに逗留していらっしゃることを聞きつけてご挨拶に来ましたが、その者の問わず語りを聞いていますと、「亡き八の宮の御娘で、右大将(薫)の通っていらっしゃった方が、これというご病気でもないのに、俄かにお亡くなりになったとのことで、たいそうなお取り込みでした。昨日はその御葬送の雑用などお勤め申しまして、お伺いも出来ませんでした」と言います――

「さやうの人の魂を、鬼のとりもて来るにや、と思ふにも、かつ見る見る、あるものとも覚えず、あやふくおそろし、と思す。『昨夜見やられし火は、しかことごとしきけしきも見えざりしを』と言ふ。『ことさらことそぎて、いかめしうも侍らざりし』と言ふ。けがらひたる人とて、立ちながら追ひ返しつ」
――それでは、あの女は、そうした人の魂を鬼が持ち運んで来たのだろうかと思いますと、僧都は目の前のこうした実際の姿を見ながらも、まことに生きた者とも思えず、消えて無くなりはしないかと不安で恐ろしく思うのでした。(女房達が)「昨夜こちらから見えました火は、御葬送のように仰々しくもありませんでしたが」と言いますと、その男は、「わざわざ質素になさいまして、そう立派なお葬式でもありませんでした」と言います。このけ下人どもは、死の穢れに触れた人だというので、内にも入れず立ち話で追い帰したのでした――

「『大将殿は、宮の御女もち給へりしは、亡せ給ひて年ごろになりぬるものを、誰を言ふにかあらむ。姫宮を置きたてまつり給ひて、世に異心おはせじ』など言ふ」
――(人々は)「大将殿(薫)は、八の宮の姫君(大君)にお通いになっておられたのは、もう大分前のことで、その方が亡くなられてから数年たつものを、いったい誰のことを言うのでしょう。正妻の女二の宮をさし置いて、まさか他に好きな女人にお通いになることはありますまいに」などと言います――

「尼君よろしくなり給ひぬ。方もあきぬれば、かくうたてある所に久しうおはせむもびんなし、とて帰る。『この人は、なほいと弱げなり。道の程もいかがものし給はむ。いと心苦しきこと』と言ひあへり。車二つして、老人乗り給へるには、仕うまつる尼二人、次のにはこの人を臥せて、かたはらにいま一人乗り添ひて、道すがら行きもやらず、車とめて湯まゐりなどし給ふ」
――母尼は大分快方に向かわれました。塞がっていた方角も空きましたので、このような不気味な所に長逗留するのも良くない、というので帰り支度をします。人々が、「この女人はまだたいそう弱っておいでになります。道中もいかがでしょう。痛々しいことです」と言い合っています。車を二輌用意して、母尼が乗られる方にはお仕えしている尼が二人、次の車には、この女人を寝かせて妹尼君の外にもう一人の女房が付き添い、道中もゆっくりと時折りは車を止めて、薬湯などを飲ませなどなさいます――

では2/19に。