永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1220)

2013年02月25日 | Weblog
2013. 2/25    1220

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その12

「月ごろいささかもあらはれざりつる物の怪、調ぜられて、『おのれは、ここまでまうで来て、かく調ぜられたてまつるべき身にもあらず。昔は行ひせし法師の、いささかなる世にうらみとどめて、漂ひありきし程に、よき女のあまた住み給ひし所に住み着きて、かたへはうしなひてしに、この人は、心と世をうらみ給ひて、われいかで死なむ、といふことを、夜昼のたまひしにたよりを得て、いと暗き夜、一人ものし給ひしを取りてしなり。されど、観音とざまかうざまにはぐぐみ給ひければ、この僧都に負けたてまつりぬ。今はまかりなむ』とののしる」
――この幾月もの間、少しも現れなかった物の怪が調ぜられて、(物の怪が)「自分は、こんなところまで来て、このように調伏させられなければならない身ではない。昔は修行一途に励む法師であったが、この世にちょっとした恨みを現世に残して成仏出来ず、ふらふらしているうちに、美しい女が大勢住んでいらっしゃる所に住みつくようになったのだ。一人は取り殺してしまったが、この人(浮舟)は自分からこの世をはかなんで、何とかして死にたいということを、夜昼おっしゃっていたので、それにつけこんで、真っ暗な真夜中に、たった一人でおいでの時に取り憑いたのだ。しかし初瀬の観音様があれやこれやとこの人をお守りになるので、とうとうこの僧都の法力にも負けてしまった。もう退散しよう」と大声でわめく――

「『かくいふは何ぞ』と問へば、憑きたる人、ものはかなきけにや、はかばかしうも言はず」
――(僧都が)「そう申すのは何者だ」と問うと、招人(よりまし)は気力が尽きたものであろうか、はきはきとも名も言わない――

「正身の心地はさわやかに、いささかもの覚えて見廻したれば、一人見し人の顔はなくて、皆老い法師ゆがみおとろへたる者どものみ多かれば、知らぬ国に来にける心地して、いと悲し。ありし世のこと思ひ出づれど、住みけむ所、誰と言ひし人とだに、たしかにはかばかしうも覚えず」
――正身(しょうじみ・本人すなわち浮舟)の気分はさっぱりして、少し正気づいてあたりを見廻しますと、一人として知っている顔はなく、みな老法師の腰の曲がった者ばかりが多く、まったく見知らぬ国にきたような心地がして、言いようもなく悲しい。以前の事を思い出そうとしますが、住んでいたところの名はもとより、そこに居た人の名さえも、定かには思い出すことができません――

「ただわれはかぎりとて身を投げし人ぞかし、いづくに来にたるにか、と、せめて思ひ出づれば、いといみじ、とものを思ひ歎きて、皆人の寝たりしに、妻戸を放ちて出でたりしに、風烈しう、川波も荒う聞えしを、一人ものおそろしかりしかば、来し方ゆく末も覚えで、簾子の端に足をさし下ろしながら、行くべき方も惑はれて、帰り入らむも中空にて、心強くこの世に亡せなむ、と思ひ立ちしを、をかがましうて人に見つけられむよりは、鬼も何も食ひて失ひてよ、と言ひつつ、つくづくと居たりしを…」
――(浮舟は心に思うことは)自分は、いよいよ最後だと思って身を投げた筈だった。それが一体どこに来たのかしら、と無理に思い出してみますと、あの時は大そう悲しいと思うことがあって女房達みなが寝静まったあと、妻戸を開けて外に出てみたら、風が烈しく吹き、川波の音も荒々しく聞こえてきて、一人ではもの恐ろしくて、前後の見境いもつかず、簾子の端に足をおろしたまま、どこへ行っていいのか分からず、そうかといって引き返す心にもならず、ふわふわとした気持ちでただぼんやりしていたのでした。折角固い決心でこの世から消え失せようと思いたったものを、見ぐるしく仕損じて、人に見つけられるよりは、鬼でも何でもよいから、食い殺してもらいと言いながら、つくづくと考え込んで居ましたところ…――

では2/27に。