2013. 3/5 1222
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その14
「夢のやうなる人を見たてまつるかな、と、尼君はよろこびて、せめて起しすゑつつ、御髪手づから梳り給ふ。さばかりあさましう引き結ひて、うちやりたりつれど、いたうも乱れず、解き果てたれば、つやつやときよらなり」
――(尼君は)初瀬のお寺で見た夢さながらのお方にお遭いしたことだと喜んで、この方を、無理にも起して座らせたりして、お髪を手ずから梳いてさしあげます。病の間中、無造作に引き結んでそのままにしてありましたのに、ひどく乱れてもいず、梳き終えてみますと、艶々として清らかに美しい――
「一年たらぬつくも髪多かるところにて、目もあやに、いみじき天人の天降れるを見たらむやうに思ふも、あやふき心地すれど、『などかいと心憂く、かばかりいみじく思ひきこゆるに、御心を隔てては見え給ふ。いづくに誰と聞こえし人の、さる所にはいかでおはせしぞ』と、せめて問ふを」
――「百年(ももとせ)に一年(ひととせ)足らぬ九十九髪(つくもがみ)」のような老女ばかりいる此処では、浮舟の姿は眩いほどで、今にも天に飛び帰ってしまいそうに不安に思われもしますので、尼君が、「なぜあなたはそのように、これほど深くご案じ申しておりますのに、うち解けぬご様子なのでしょう。あなたはどこの何という方で、どうしてあのような所にいらしたのですか」と無理に聞きますのを――
「いとはづかし、と思ひて、『あやしかりし程に、みな忘れたるにやあらむ、ありけむさまなどもさらに覚え侍らず。ただほのかに思ひ出づることとては、ただいかに此の世にあらじ、と思ひつつ、夕ぐれごとに端近くてながめし程に、前近くおほきなる木のありし下より、人の出で来て、率て行く心地なむせし。それよりほかのことは、われながら、誰ともえ思ひ出でられ侍らず』と、いとらうたげに言ひなして、『世の中になほありけり、といかで人に知られじ。聞きつくる人もあらば、いといみじくこそ』とて泣い給ふ」
――(浮舟は)ひどく恥かしがって、「気を失っていました間に、何もかも皆忘れてしまったのでしょうか、昔どうだったのか、などということなども、全く思い出せません。ただぼんやりと思い出せることとしては、何とかして、この世から消えてしまいたいと思いつつ、夕ぐれになりますと、いつも端近くに出てぼんやりと考えこんでいたことです。そのようななある夕べ、軒先の大きな木の下から、人が出て来て、わたしを連れて行くような気がしました。それから先のことは、自分が誰なのかもいっこうに分かりません」と、まことに可愛らしく言いつくろって、「この世にまだ生きていたのだとは、どうしても人に知られたくないのです。聞きつける人でもありましたなら、まことに悲しいことです」言って泣くのでした――
「あまり問ふをば、苦しと思したれば、え問はず。かぐや姫を見つけたりけむ竹取りの翁よりも、めづらしき心地するに、いかなるもののひまに消え失せむとすらむ、と、しづ心なくぞ思しける」
――(尼君は)これ以上問い糺すのも、辛そうなご様子なので、それ以上は聞くこともできません。かぐや姫を見つけた翁よりもめずらしい気がしますが、どうかした隙にこの人が消え失せてしまわないかと、気が気ではないのでした――
◆一年たらぬつくも髪多かるところ=伊勢物語の「百とせに一とせ足らぬつくも髪我を恋ふらし面影に見ゆ」
では3/7に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その14
「夢のやうなる人を見たてまつるかな、と、尼君はよろこびて、せめて起しすゑつつ、御髪手づから梳り給ふ。さばかりあさましう引き結ひて、うちやりたりつれど、いたうも乱れず、解き果てたれば、つやつやときよらなり」
――(尼君は)初瀬のお寺で見た夢さながらのお方にお遭いしたことだと喜んで、この方を、無理にも起して座らせたりして、お髪を手ずから梳いてさしあげます。病の間中、無造作に引き結んでそのままにしてありましたのに、ひどく乱れてもいず、梳き終えてみますと、艶々として清らかに美しい――
「一年たらぬつくも髪多かるところにて、目もあやに、いみじき天人の天降れるを見たらむやうに思ふも、あやふき心地すれど、『などかいと心憂く、かばかりいみじく思ひきこゆるに、御心を隔てては見え給ふ。いづくに誰と聞こえし人の、さる所にはいかでおはせしぞ』と、せめて問ふを」
――「百年(ももとせ)に一年(ひととせ)足らぬ九十九髪(つくもがみ)」のような老女ばかりいる此処では、浮舟の姿は眩いほどで、今にも天に飛び帰ってしまいそうに不安に思われもしますので、尼君が、「なぜあなたはそのように、これほど深くご案じ申しておりますのに、うち解けぬご様子なのでしょう。あなたはどこの何という方で、どうしてあのような所にいらしたのですか」と無理に聞きますのを――
「いとはづかし、と思ひて、『あやしかりし程に、みな忘れたるにやあらむ、ありけむさまなどもさらに覚え侍らず。ただほのかに思ひ出づることとては、ただいかに此の世にあらじ、と思ひつつ、夕ぐれごとに端近くてながめし程に、前近くおほきなる木のありし下より、人の出で来て、率て行く心地なむせし。それよりほかのことは、われながら、誰ともえ思ひ出でられ侍らず』と、いとらうたげに言ひなして、『世の中になほありけり、といかで人に知られじ。聞きつくる人もあらば、いといみじくこそ』とて泣い給ふ」
――(浮舟は)ひどく恥かしがって、「気を失っていました間に、何もかも皆忘れてしまったのでしょうか、昔どうだったのか、などということなども、全く思い出せません。ただぼんやりと思い出せることとしては、何とかして、この世から消えてしまいたいと思いつつ、夕ぐれになりますと、いつも端近くに出てぼんやりと考えこんでいたことです。そのようななある夕べ、軒先の大きな木の下から、人が出て来て、わたしを連れて行くような気がしました。それから先のことは、自分が誰なのかもいっこうに分かりません」と、まことに可愛らしく言いつくろって、「この世にまだ生きていたのだとは、どうしても人に知られたくないのです。聞きつける人でもありましたなら、まことに悲しいことです」言って泣くのでした――
「あまり問ふをば、苦しと思したれば、え問はず。かぐや姫を見つけたりけむ竹取りの翁よりも、めづらしき心地するに、いかなるもののひまに消え失せむとすらむ、と、しづ心なくぞ思しける」
――(尼君は)これ以上問い糺すのも、辛そうなご様子なので、それ以上は聞くこともできません。かぐや姫を見つけた翁よりもめずらしい気がしますが、どうかした隙にこの人が消え失せてしまわないかと、気が気ではないのでした――
◆一年たらぬつくも髪多かるところ=伊勢物語の「百とせに一とせ足らぬつくも髪我を恋ふらし面影に見ゆ」
では3/7に。