2013. 3/19 1229
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その21
「『心憂く、ものをのみ思し隔てたるなむいとつらき。今はなほ、さるべきなめり、と思しなして、はればれしくもてなし給へ。この五年六年、時の間も忘れず、恋しくかなしと思ひつる人の上も、かく見たてまつりてのちよりは、こよなく思ひ忘れにて侍る。思ひきこえ給ふべき人々世におはすとも、今は世に亡きものにこそ、やうやう思しなりぬらめ。よろづのこと、さしあたりたるやうには、えしもあらぬさざになむ』と言ふにつけても」
――(尼君が)「悲しいことは、あなたがなぜか私に隔てをおいていらっしゃることで、いっこうに打ち解けてくださらないことです。今はもうこうした運命だとお考えになって、もっと晴れやかにお暮らしなさいませ。亡き娘のことも、この五、六年というもの片時も忘れず、恋しく悲しいとばかり思って暮らしてきましたが、こうして貴女をお迎えしてからというもの、すっかり諦められるようになりました。あなたを心にかけておられる方が世にあおりとしても、今はもう亡くなられたものと、段々諦めてこられたでしょう。何ごともその当座の気持ちがそのままずっと続くものではありませんもの」と、説き聞かされるのでした――
「いとど涙ぐみて、『隔てきこゆる心も侍らねど、あやしくて生きかへりける程に、よろづのこと夢のやうにたどられて、あらぬ世に生まれたる人はかかる心地やすらむ、と覚え侍れば、今は、知るべき人世にあらむとも思ひ出でず、ひたみちにこそむつまじく思ひきこゆれ』とのたまふさまも、げになに心なくうつくしく、うち笑みてぞまもり居給へる」
――(すると浮舟は)「隔てを置く気はございませんが、不思議にも生き返った際に、すべてが夢のようにおぼろに霞んでしまって分からなくなりまして、知らぬ世界に生まれた人はこんな気持ちがするものかしらと思います。今では私を知っている筈の人が世にいようとも思い出されず、ひたすらあなたさまをお頼り申し上げております」とおっしゃいます。そのご様子がいかにも無心で愛らしいので、尼君はいとおしげに微笑んで浮舟を見つめていらっしゃいました――
「中将は山におはし着きて、僧都もめづらしがりて、世の中のものがたりし給ふ。その夜はとまりて、声尊き人々に経など読ませて、夜一夜あそび給ふ」
――中将は山の横川にお着きになりました。僧都も久しぶりになつかしく、しみじみと世の中の物語などなさいます。その夜はそこに泊まって、声のよい法師たちに経などを読ませて、夜一夜を音楽を奏でてお遊びになります――
「禅師の君、こまかなるものがたりなどするついでに、『小野に立ち寄りて、ものあはれにもありしかな。世を棄てたれど、なほさばかりの心ばせある人は、かたくこそ』などのたまふ、ついでに『風の吹きあげたりつる隙より、髪いと長くをかしげなる人こそ見えつれ。あらはなりとや思ひつらむ、立ちてあなたに入りつる、うしろでなべての人とは見えざりつ。さやうの所に、よき女は置きたるまじきものにこそあめれ。あけくれ見るものは法師なり。おのづから目なれて覚ゆらむ、不憫なることなりしか』とのたまふ」
――弟の禅師の君と四方山話をなさるついでに、中将は、「小野に立ち寄って、しんみりとしてしまったことだ。あの尼君は世を捨ててはいられるが、やはり、あれほど嗜みの深い人はめったにあるまい」などとおっしゃって、「風が御簾を吹きあげたその隙間から、髪のたいそう長く、いかにも美しげな人が見えた。外から見られるとおもったのか、立って奥の方へ入って行かれたが、後ろ姿がただの人とも見えなかった。あんな山里に美しい女を住まわせておくなは感心しない。朝夕に見るものといったら尼法師ばかりだからね。それを見馴れているうちに、自分も尼じみてしまうだろうに、気の毒なことだ」などとおっしゃる――
では3/21に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その21
「『心憂く、ものをのみ思し隔てたるなむいとつらき。今はなほ、さるべきなめり、と思しなして、はればれしくもてなし給へ。この五年六年、時の間も忘れず、恋しくかなしと思ひつる人の上も、かく見たてまつりてのちよりは、こよなく思ひ忘れにて侍る。思ひきこえ給ふべき人々世におはすとも、今は世に亡きものにこそ、やうやう思しなりぬらめ。よろづのこと、さしあたりたるやうには、えしもあらぬさざになむ』と言ふにつけても」
――(尼君が)「悲しいことは、あなたがなぜか私に隔てをおいていらっしゃることで、いっこうに打ち解けてくださらないことです。今はもうこうした運命だとお考えになって、もっと晴れやかにお暮らしなさいませ。亡き娘のことも、この五、六年というもの片時も忘れず、恋しく悲しいとばかり思って暮らしてきましたが、こうして貴女をお迎えしてからというもの、すっかり諦められるようになりました。あなたを心にかけておられる方が世にあおりとしても、今はもう亡くなられたものと、段々諦めてこられたでしょう。何ごともその当座の気持ちがそのままずっと続くものではありませんもの」と、説き聞かされるのでした――
「いとど涙ぐみて、『隔てきこゆる心も侍らねど、あやしくて生きかへりける程に、よろづのこと夢のやうにたどられて、あらぬ世に生まれたる人はかかる心地やすらむ、と覚え侍れば、今は、知るべき人世にあらむとも思ひ出でず、ひたみちにこそむつまじく思ひきこゆれ』とのたまふさまも、げになに心なくうつくしく、うち笑みてぞまもり居給へる」
――(すると浮舟は)「隔てを置く気はございませんが、不思議にも生き返った際に、すべてが夢のようにおぼろに霞んでしまって分からなくなりまして、知らぬ世界に生まれた人はこんな気持ちがするものかしらと思います。今では私を知っている筈の人が世にいようとも思い出されず、ひたすらあなたさまをお頼り申し上げております」とおっしゃいます。そのご様子がいかにも無心で愛らしいので、尼君はいとおしげに微笑んで浮舟を見つめていらっしゃいました――
「中将は山におはし着きて、僧都もめづらしがりて、世の中のものがたりし給ふ。その夜はとまりて、声尊き人々に経など読ませて、夜一夜あそび給ふ」
――中将は山の横川にお着きになりました。僧都も久しぶりになつかしく、しみじみと世の中の物語などなさいます。その夜はそこに泊まって、声のよい法師たちに経などを読ませて、夜一夜を音楽を奏でてお遊びになります――
「禅師の君、こまかなるものがたりなどするついでに、『小野に立ち寄りて、ものあはれにもありしかな。世を棄てたれど、なほさばかりの心ばせある人は、かたくこそ』などのたまふ、ついでに『風の吹きあげたりつる隙より、髪いと長くをかしげなる人こそ見えつれ。あらはなりとや思ひつらむ、立ちてあなたに入りつる、うしろでなべての人とは見えざりつ。さやうの所に、よき女は置きたるまじきものにこそあめれ。あけくれ見るものは法師なり。おのづから目なれて覚ゆらむ、不憫なることなりしか』とのたまふ」
――弟の禅師の君と四方山話をなさるついでに、中将は、「小野に立ち寄って、しんみりとしてしまったことだ。あの尼君は世を捨ててはいられるが、やはり、あれほど嗜みの深い人はめったにあるまい」などとおっしゃって、「風が御簾を吹きあげたその隙間から、髪のたいそう長く、いかにも美しげな人が見えた。外から見られるとおもったのか、立って奥の方へ入って行かれたが、後ろ姿がただの人とも見えなかった。あんな山里に美しい女を住まわせておくなは感心しない。朝夕に見るものといったら尼法師ばかりだからね。それを見馴れているうちに、自分も尼じみてしまうだろうに、気の毒なことだ」などとおっしゃる――
では3/21に。