2013. 3/15 1227
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その19
「姫君は、われはわれ、と思ひ出づる方多くて、ながめ出だし給へるさま、いとうつくし。白き単衣のいとなさけなくあざやぎたるに、袴も檜皮色にならひたるにや、光も見えず黒きを着せたてまつりたれば、かかることどもも、見しには変りてあやしうもあるかな、と思ひつつ、こはごはしういららぎたるものども着給へるしも、いとをかしき姿なり」
――浮舟は、わたしはわたし、とわが身の昔を思い出すことが多く、物思いにふけっておいでになるご様子がまことに美しい。白い単衣の大そう無風流でごわごわしたものに、袴も黒ずんだ檜皮色をこの山里では着慣れているせいか、艶もないものをお着せしていますので、このような服装についても昔とは違って、妙な姿になったものと思いながらも、ごわごわとこわばった物などを召していられるのが、却ってまたこざっぱりとして見えます――
「御前なる人々、『故姫君のおはしまいたる心地のみし侍るに、中将殿をさへ見たてまつれば、いとあはれにこそ。おなじくは、昔のさまにておはしまさせばや。いとよきあはひならむかし』と言ひあへるを、あないみじや、世にありて、いかにもいかにも人に見えむこそ、それにつけてぞ昔のこと思ひ出でらるべき、さやうの筋は、思ひ絶えてわすれなむ、と思ふ」
――お側の人々が、「この方は、亡き姫君のお生まれ変りとばかり思っておりますので、中将さまに並べて拝しますと、ひとしおあわれも深う存じます。おなじことなら、昔のようにして中将様をお通わせしたいものです。ほんとうにお似合いのお二方のようですのに」などと言い合うのを、浮舟は、まあとんでもないこと、この世に生きていて、この先どんなことがあろうとも、人に縁ずくことだけはすまい、そんなことにでもなれば、辛かった昔のことも思い出されにちがいない、そうした結婚などということは、いっさいこの身から捨て去ってしまいたい、とおもうのでした――
「尼君入り給へる間に、客人、雨のけしきを見わづらひて、少将といひし人の声を聞き知りて、呼びよせ給へり。『昔見し人々は、皆ここにものせらるらむや、と思ひながらも、かう参り来ることも難くなりにたるを、心浅きにや、誰も誰も見なし給ふらむ』などのたまふ」
――尼君が奥に入られた間に、客人は雨の晴れ間を待ちあぐねて、以前少将の尼の声を覚えていられたので、その人をお呼び寄せになり、「昔仕えていた人々は、皆ここにいられるのかと思いながらも、公務が忙しくなってついついこうしてお訪ねすることも難しくなったことを、薄情のせいかとどなたもお思いでしょうね」とおっしゃいます――
「使うまつり馴れにし人にて、あはれなりし昔のことどもも思ひ出でたるついでに、『かの廊のつま入りつる程、風のかわがしかりつるまぎれに、簾の隙より、なべてのさまにはあるまじかりつる人の、うち垂れ髪の見えつるは、世を背き給へるあたりに、誰ぞとなむ見おどろかれつる』
とのたまふ」
――この少将の尼は、むかし、中将夫妻に親しく仕えた人なので、懐かしいその頃の事などを思い出して昔話をし、そのついでに、中将の君が「先ほど私があの廊をこちらに入って来た時に、風がひどく吹いて、簾の乱れたその隙間から、並々の美しさではなさそうだった方の、垂れ下げ髪が見えましたが、出家なさった方々の中に、一体どなたかと見て驚きました」とおっしゃる――
◆おはしまいたる=「おはしましたる」のイ音便。会話ではよく言う。
◆檜皮色(ひわだいろ)
1 染め色の名。黒みがかった蘇芳(すおう)色。
2 浅葱(あさぎ)または縹の縦糸と、赤または蘇芳の横糸とを用いた織り色。
では3/17に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その19
「姫君は、われはわれ、と思ひ出づる方多くて、ながめ出だし給へるさま、いとうつくし。白き単衣のいとなさけなくあざやぎたるに、袴も檜皮色にならひたるにや、光も見えず黒きを着せたてまつりたれば、かかることどもも、見しには変りてあやしうもあるかな、と思ひつつ、こはごはしういららぎたるものども着給へるしも、いとをかしき姿なり」
――浮舟は、わたしはわたし、とわが身の昔を思い出すことが多く、物思いにふけっておいでになるご様子がまことに美しい。白い単衣の大そう無風流でごわごわしたものに、袴も黒ずんだ檜皮色をこの山里では着慣れているせいか、艶もないものをお着せしていますので、このような服装についても昔とは違って、妙な姿になったものと思いながらも、ごわごわとこわばった物などを召していられるのが、却ってまたこざっぱりとして見えます――
「御前なる人々、『故姫君のおはしまいたる心地のみし侍るに、中将殿をさへ見たてまつれば、いとあはれにこそ。おなじくは、昔のさまにておはしまさせばや。いとよきあはひならむかし』と言ひあへるを、あないみじや、世にありて、いかにもいかにも人に見えむこそ、それにつけてぞ昔のこと思ひ出でらるべき、さやうの筋は、思ひ絶えてわすれなむ、と思ふ」
――お側の人々が、「この方は、亡き姫君のお生まれ変りとばかり思っておりますので、中将さまに並べて拝しますと、ひとしおあわれも深う存じます。おなじことなら、昔のようにして中将様をお通わせしたいものです。ほんとうにお似合いのお二方のようですのに」などと言い合うのを、浮舟は、まあとんでもないこと、この世に生きていて、この先どんなことがあろうとも、人に縁ずくことだけはすまい、そんなことにでもなれば、辛かった昔のことも思い出されにちがいない、そうした結婚などということは、いっさいこの身から捨て去ってしまいたい、とおもうのでした――
「尼君入り給へる間に、客人、雨のけしきを見わづらひて、少将といひし人の声を聞き知りて、呼びよせ給へり。『昔見し人々は、皆ここにものせらるらむや、と思ひながらも、かう参り来ることも難くなりにたるを、心浅きにや、誰も誰も見なし給ふらむ』などのたまふ」
――尼君が奥に入られた間に、客人は雨の晴れ間を待ちあぐねて、以前少将の尼の声を覚えていられたので、その人をお呼び寄せになり、「昔仕えていた人々は、皆ここにいられるのかと思いながらも、公務が忙しくなってついついこうしてお訪ねすることも難しくなったことを、薄情のせいかとどなたもお思いでしょうね」とおっしゃいます――
「使うまつり馴れにし人にて、あはれなりし昔のことどもも思ひ出でたるついでに、『かの廊のつま入りつる程、風のかわがしかりつるまぎれに、簾の隙より、なべてのさまにはあるまじかりつる人の、うち垂れ髪の見えつるは、世を背き給へるあたりに、誰ぞとなむ見おどろかれつる』
とのたまふ」
――この少将の尼は、むかし、中将夫妻に親しく仕えた人なので、懐かしいその頃の事などを思い出して昔話をし、そのついでに、中将の君が「先ほど私があの廊をこちらに入って来た時に、風がひどく吹いて、簾の乱れたその隙間から、並々の美しさではなさそうだった方の、垂れ下げ髪が見えましたが、出家なさった方々の中に、一体どなたかと見て驚きました」とおっしゃる――
◆おはしまいたる=「おはしましたる」のイ音便。会話ではよく言う。
◆檜皮色(ひわだいろ)
1 染め色の名。黒みがかった蘇芳(すおう)色。
2 浅葱(あさぎ)または縹の縦糸と、赤または蘇芳の横糸とを用いた織り色。
では3/17に。