永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1232)

2013年03月25日 | Weblog
2013. 3/25    1232

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その24

「心地よげならぬ御願ひは、聞え交し給はむに、つきなからぬさまになむ見え侍れど、例の人にてはあらじ、と、いとうたたあるまで世をうらみ給ふめれば、残りすくなき齢の人だに、今はと背き侍る時は、いともの心細く覚え侍りしものを、世をこめたる盛りにては、つひにいかが、となむ見給へ侍る」と、親がりて言ふ」
――(尼君が)「沈みがちな人をお望みならば、お話相手としてはふさわしいかも知れませんが、普通の女の人のように縁づいたりはしまいと、かたくなまでに世を厭っていらっしゃるご様子なのです。人生に残り少ない私のような老人でさえ、いよいよ尼になろうとする時には、まことに心細い気がいたしましたものを、まだまだ行く末の長い御齢であってみれば、たとえ出家されたところで、そのまま通せるかどうかと心配しているのです」と親のような口ぶりで言うのでした――

「入りても、『なさけなし。なほいささかにても聞え給へ。かかる御住まひは、すずろなることも、あはれ知るこそ世の常のことなれ』など、こしらへても言えど、『人にもの聞ゆらむ方も知らず、何ごとも言ふかひなくのみこそ』といとつれなくて臥し給へり。客人は、『いづら、あなこころ憂。秋を契れるは、すかし給ふにこそありけれ』など、うらみつつ、『まつむしの声をたづねて来つれどもまたをぎはらの露にまどひぬ』」
――(尼君は浮舟の方へ行って)「それではあまりにも情け知らずというものですよ。ほんの少しでもお返事をなさいませ。このような心細いお暮らしでは、つまらないことでも、気を利かせて過ごすのが肝心なのです」などと、なだめすかすように言いますが、浮舟は、「人にものを申し上げる術も存じませんし、何ごとにつけても取り柄のない私ですもの」と、まったく素っ気なき様子で臥していらっしゃる。客人(まろうど)は、「さあ、どうでしたか。お返事の無いとは辛いことです。お約束のようなことをおっしゃったのは、さてはお騙しになったのですね」などと恨みながら、(歌)「尼君が待つと言われたのを頼みにして来ましたが、思う人のつれなさに、わたしはまた途方に暮れております」――

「『あないとほし。これをだに』など責むれば、さやうに世づいたらむこと言ひ出でむもいとこころ憂く、また言ひそめては、かやうの折々に責められむも、むつかしう覚ゆれば、いらへをだにし給はねば、あまりいふかひなく思ひあへり」
――(尼君が)「まあ、お気の毒な。このお返事だけはなさいませ」などと浮舟に催促しますが、そのような色めいた返事をするのも厭ですし、また一度でも返事をしたならば、今度はそのたびごとに責められるのも厄介な気がしますので、そのまま黙っていらっしゃる。中将も尼君も何とも言いようもないのでした――

◆いとうたたあるまで=いと・うたたあるまで=全く厭になるまで。
古今集「花と見て折らむとすれば女郎花うたたあるさまの名にこそありけれ」

では3/27に。