2013. 4/5 1238
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その30
「心ごはきさまには言ひもなさで、『心地のいとあしうのみ侍れば、さやうならむ道の程にもいかが、などつつましうなむ』とのたまふ。もの怖じはさしも給ふべき人ぞかし、と思ひて、しひても誘はず」
――(浮舟は)頑なな風には言わないで「気分が悪くてなりませんので、そのような遠出も憚られまして」とおっしゃいます。確かに宇治で正気を失っていた時の事を思えば、物の怪に怯えていらっしゃるのであろうと、尼君はむりにはお誘いになりません――
「『はかなくてよにふる川の憂き瀬にはたづねもゆかじふたもとの杉』と手習ひにまじりたるを、尼君見つけて、『二本は、またもあひきこえむ、と思ひ給ふ人あるべし』とたはぶれ言を言ひ当てるに、胸つぶれて、おもて赤め給へるも、いと愛敬づきうつくしげなり」
――(浮舟が歌を)「心細い有様で過ごしている私の身では、とても初瀬の二本杉(ふたもとすぎ)を尋ねてゆく心地にもなりません」と、手習いの反古の中に混じっていましたのを尼君が見つけて、「二本とあるからには、またお逢いしたいと思う方がおられるのでしょう」と、さりげなく冗談を言いますのに、浮舟はそれが半ば当たっていますので、どきりとして顔を赤らめていらっしゃるのも、まことに愛敬があって美しい――
「『ふる川の杉のもとだち知らねども過ぎにし人によそへてぞ見る』ことなることなきいらへを口とく言ふ。忍びて、と言へど、皆人慕ひつつ、ここには人ずくなにておはせむを、心苦しがりて、心ばせある少将の尼、左衛門とてあるおとなしき人、童ばかりぞとどめたりける」
――(尼君の歌)「貴女がどなたか知りませんが、私は亡くなった娘の代わりと思っております」と、特に優れたともいえぬ歌を即座に言います。尼君は少人数のつもりで詣でようとしましたが、皆が付いて行きたがり、ここに残る浮舟側が人手不足になりますのを気の毒に思って、気の利いた少将の尼と左衛門という呼び名の年輩の女房、そして女の童だけはこの庵室に残しておかれました――
「皆出で立ちぬるをながめ出でて、あさましきことを思ひながらも、今はいかがはせむ、と、たのもし人に思ふ人一人ものし給はぬは、心細くもあるかな、と、いとつれづれなるに、中将の御文あり。『御覧ぜよ』と言へど、聴きも入れ給はず。いとど人も見えず、つれづれと来し方行く先を思ひ屈し給ふ」
――一行が出立するのを浮舟は見送って、情けないわが身の上を嘆きながら、今は致し方が無いとは思いますものの、頼みに思う唯一の尼君が不在では、なんとまあ心細いことよ、と所在なくしております折に、中将からお文がきました。少将の尼が、「御覧になりますよう」とおすすめしても、浮舟はいっさい聴き入れません。普段よりいっそう人も少なく、心細そうに来し方行く末のことなどを案じていらっしゃる――
◆ふたもとの杉=古今集・旋頭歌「初瀬川古川のべに二本ある杉年を経てまたもあひ見む二本ある杉」
◆杉のもとだち=杉の幹
では4/7に。(4/3にはすみませんでした。本日2回分です)
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その30
「心ごはきさまには言ひもなさで、『心地のいとあしうのみ侍れば、さやうならむ道の程にもいかが、などつつましうなむ』とのたまふ。もの怖じはさしも給ふべき人ぞかし、と思ひて、しひても誘はず」
――(浮舟は)頑なな風には言わないで「気分が悪くてなりませんので、そのような遠出も憚られまして」とおっしゃいます。確かに宇治で正気を失っていた時の事を思えば、物の怪に怯えていらっしゃるのであろうと、尼君はむりにはお誘いになりません――
「『はかなくてよにふる川の憂き瀬にはたづねもゆかじふたもとの杉』と手習ひにまじりたるを、尼君見つけて、『二本は、またもあひきこえむ、と思ひ給ふ人あるべし』とたはぶれ言を言ひ当てるに、胸つぶれて、おもて赤め給へるも、いと愛敬づきうつくしげなり」
――(浮舟が歌を)「心細い有様で過ごしている私の身では、とても初瀬の二本杉(ふたもとすぎ)を尋ねてゆく心地にもなりません」と、手習いの反古の中に混じっていましたのを尼君が見つけて、「二本とあるからには、またお逢いしたいと思う方がおられるのでしょう」と、さりげなく冗談を言いますのに、浮舟はそれが半ば当たっていますので、どきりとして顔を赤らめていらっしゃるのも、まことに愛敬があって美しい――
「『ふる川の杉のもとだち知らねども過ぎにし人によそへてぞ見る』ことなることなきいらへを口とく言ふ。忍びて、と言へど、皆人慕ひつつ、ここには人ずくなにておはせむを、心苦しがりて、心ばせある少将の尼、左衛門とてあるおとなしき人、童ばかりぞとどめたりける」
――(尼君の歌)「貴女がどなたか知りませんが、私は亡くなった娘の代わりと思っております」と、特に優れたともいえぬ歌を即座に言います。尼君は少人数のつもりで詣でようとしましたが、皆が付いて行きたがり、ここに残る浮舟側が人手不足になりますのを気の毒に思って、気の利いた少将の尼と左衛門という呼び名の年輩の女房、そして女の童だけはこの庵室に残しておかれました――
「皆出で立ちぬるをながめ出でて、あさましきことを思ひながらも、今はいかがはせむ、と、たのもし人に思ふ人一人ものし給はぬは、心細くもあるかな、と、いとつれづれなるに、中将の御文あり。『御覧ぜよ』と言へど、聴きも入れ給はず。いとど人も見えず、つれづれと来し方行く先を思ひ屈し給ふ」
――一行が出立するのを浮舟は見送って、情けないわが身の上を嘆きながら、今は致し方が無いとは思いますものの、頼みに思う唯一の尼君が不在では、なんとまあ心細いことよ、と所在なくしております折に、中将からお文がきました。少将の尼が、「御覧になりますよう」とおすすめしても、浮舟はいっさい聴き入れません。普段よりいっそう人も少なく、心細そうに来し方行く末のことなどを案じていらっしゃる――
◆ふたもとの杉=古今集・旋頭歌「初瀬川古川のべに二本ある杉年を経てまたもあひ見む二本ある杉」
◆杉のもとだち=杉の幹
では4/7に。(4/3にはすみませんでした。本日2回分です)