永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1246)

2013年04月21日 | Weblog
2013. 4/21    1246

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その38

「聖心にいといとほしく思ひて、『夜や更け侍りぬらむ。山より下り侍ること、昔はこととも思う給へられざりしを、年の経るままには、堪へがたく侍りければ、うち休みて内裏には参らむ、と思ひ侍るを、しか思しいそぐことなれば、今日仕うまつりてむ』とのたまふに、いとうれしくなりぬ」
――(僧都は)聖ごころからまことにあわれと思われて、「もう夜も更けてしまいましょう。昔は山から下りることなど、何とも思いませんでしたが、年をとるにつれてひどく身体にこたえますので、一休みしてから御所へ参上しようと存じておりました。そのようにお急ぎになるのでしたら、今日、戒をお授けしましょう」とおっしゃいます――

「鋏とりて、櫛の箱の蓋さし出でたれば、『いづら、大徳たち、ここに』と呼ぶ。はじめ見つけたてまつりし、二人ながら供にありければ、呼び入れて、『御髪おろしたてまつれ』といふ」
――(浮舟が)早速、鋏を取って、櫛の箱の蓋に添えてさし出されたところ、僧都が「どれ、大徳たち、こちらへ」とお呼びになります。いつぞや宇治で最初に姫君を見つけ出した弟子の二人が、お供の中にいましたので、それを呼び入れて、「御髪(おぐし)を落ろしてさしあげるように」と言います――

「げにいみじかりし人の御ありさまなれば、うつし人にては、世におはせむもうたてこそあらめ、
と、この阿闇梨もことわりに思ふに、几帳の帷子のほころびより、御髪をかき出し給へるが、いとあたらしくをかしげなるになむ、しばし鋏をもてやすらひける」
――全くあの時は、妖怪変化かと見紛うようなご様子であったので、俗人のままでは生きておられるのも不都合なことなのかも知れないと、この阿闇梨も尼への御発心をもっともなこととは思いますものの、几帳の帷子(かたびら)の間から、かき寄せて出していらっしゃる御髪が、ほんとうに勿体ないほど美しいので、しばらくは鋏を持ったまま、ためらっています――

「かかる程、少将の尼は、兄の阿闇梨の来るに逢ひて、下に居たり。左衛門は、この私の知りたる人にあへしらふとて、かかる所につけては、皆とりどりに、心よせの人々めづらしうて出で来たるに、はかなきことしける、見入れなどしける程に」
――こうしている間も、少将の尼は兄の阿闇梨のきているのに会うため、自分の部屋に下がっていましたし、留守居の左衛門は、僧都の供人の中で個人的な人々にもてなしをするとて席をはずしていました。こういう山住みでは、誰でもそれぞれ自分の親しい人々が珍しくやって来るのに対して、ちょっとしたご馳走などを用意するもので、丁度それを指図していました時で――


「こもき一人して、かかることなむ、と少将の尼に告げたりければ、惑ひて来て見るに、わが御上の衣、袈裟などを、ことさらばかりとて着せたてまつりて、『親の御方拝みたてまつり給へ』と言ふに、いづかたとも知らぬ程なむ、え忍びあへ給はで泣き給ひにける」
――ただ一人側にいました童女のこもきが、「これこれのことです」と少将の尼に知らせましたので、あわてて来て見ますと、僧都が御自分の上衣や袈裟などを、ほんの形式的にお着せ申して、「親のいらっしゃる方へ向いて御礼拝なさい」とおっしゃいますが、どちらの方角とも分かりません。その時浮舟は堪え切れなくて泣き出されるのでした――

では4/23に。