永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1249)

2013年04月27日 | Weblog
2013. 4/27    1249

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その41

「いとあへなし、と思ひて、かかる心の離るるなりけり、さてもあへなきわざかな、いとをかしく見えし髪の程を、たしかに見せよ、と、一夜も語らひしかば、さるべからむ折に、と言ひしものを、と、いとくちをしうて、たちかへり、『聞えむかたなきは、岸遠く漕ぎはなるらむあまぶねに乗りおくれじといそがるるかな』例ならず取りて見給ふ」
――(中将は)がっかりして、それほどまでに出家の願いが強かった人なればこそ、ちょっとのお返事も、し始めまいと、よそよそしく振る舞っていたのであろう。それにしても、何とあっけないことよ、たいそう綺麗な黒髪の具合だったのに、もっとよく見せてくださいと、先夜も少将の尼をかき口説いたところ、その内に折をみてなどと、言っていたものを、恨めしさも並大抵ではない。すぐ折り返して、「申し上げようもないご出家のことは。(歌)この世を厭うて出家されたという貴女を追って、私も早く出家したい気がしきりにいたします」と認められます。浮舟もいつもと違って、この度は手にとって御覧になります――

「もののあはれなる折に、今はと思ふもあはれなるものから、いかが思さるらむ、はかなきものの端に、『心こそ憂き世の岸をはなるれどゆくへも知らぬあまのうき木を』と例の、手習ひにし給へるを、つつみて奉る」
――出家したばかりの、何となくあわれの心の沁みる折から、中将の、今はと諦めたご様子なのがいかにもお労しい気もしますが、そうかといって今更どうにかなるものでもなし、何と思われたのか、ちょっとした紙の端に、「心だけは辛いこの世を棄てましたけれども、末はどうなるやら分からないはかない尼のわたくしです」と、いつものように、書くともなしにしておいでになるのを、少将の尼はそのまま包んで、中将に差し上げようとなさるのでした――

「『書き写してだにこそ』とのたまへど、『なかなか書きそこなひ侍りなむ』とてやりつ。めづらしきにも、言ふかたなく悲しうなむ覚えける」
――(浮舟が)「せめて何かに書き写してから差し上げてください」とおっしゃいますが、少将の尼は「かえって書き損じましては」と言って、そのまま持たせてやります。中将は珍しい自筆の歌と思うにつけても、言いようもなく悲しく思うのでした――

「物詣での人帰り給ひて、思ひ騒ぎ給ふことかぎりなし。『かかる身にては、すすめきこえむこそは、と思ひなし侍れど、残り多かる御身を、いかで経給はむとすらむ。おのれは、世に侍らむこと、今日明日とも知りがたきに、いかでうしろやすく見置きたてまつらむ、と、よろづに思ひ給へてこそ、仏にも祈りきこえつれ』と、伏しまろびつつ、いといみじげに思ひ給へるにも、まことの親の、やがて骸もなきものと思ひ惑ひ給ひけむ程おしはかるぞ、先づいと悲しかりける」
――初瀬に参詣にいらした尼君がお帰りになって、事の次第に嘆くこと並々ではありません。「私がこのような出家の身ですから、出家をお勧めするのが本当だとは思いますが、まだまだ長いご一生ですのに、一体どうしてお過ごしになるおつもりですか。私はこの世に長らえるのは、今日明日とも分からぬ身の上ですから、何とかして、貴女を安心なご境遇に置いて差し上げたいと、いろいろ思案すればこそ、このように観音様にもお祈り申したのですよ」と、伏しまろびながら、
ひどく悲しそうなご様子でいらっしゃるのをご覧になりますにつけ、浮舟は、他人の尼君でさえこのように悲しまれるのですから、まして実の親が、行方不明のまま亡きがらも見ないことよと、悲しみにくれておいでかと思いますと、そのお姿が思いやられて、何よりもそれが悲しいのでした――

では4/29に。